10.《 すてざる(不捨)日 》  2022/3/23

文字数 1,374文字



僕が住んでいる海老名という市は人口14万に届かない小さな佇まい、自然がいっぱい残ってるが、近年の駅前開発でそれなりにお洒落にもなってきた。
市のキャッチコピーは「いつまでも住みたいまちエビナ」と言うだけあって行政サービスは悪くない、たまに市役所に行くと親切に丁寧に用件を処理してくれる、これを当たり前だと思ってはいない、感謝している。

市役所に入ると総合案内担当が向こうから歩み寄ってきて、「ご用件は何でしょうか?」と訊いてくる。
「これこれです」と言うと担当部署の方角を指し示してくれる、その先に担当部署案内係がいて、もう一度用件を言うと、「では受付番号をお渡しします、□□でお待ちください」と言われ、今度は受付番号担当係が番号札をくれる。
僕はその番号札を握りしめ、言われた窓口番号近くに待機する、これはマスカレードホテルのVIPレセプション対応である、マスカレードホテルに行ったことはないけれど。
ついこの間、父の死亡に伴う諸々の手続きを一括して処理してくれるという「よりそい」担当に相談に伺った時の実際の話である。

コロナパンデミックの2年間、地元商店振興のため特別割引商品券(最大50%引きエビーニャ券)を発行したり、中学生まで医療費無料(市が負担)、学童保育支援予算などなど、人生の半分以上の40年超を海老名で過ごす身としては有難いことが多い。
*ちなみに、「エビーニャ」とは市のゆるキャラ(冒頭写真)、エビーニャの姿が市内いたるところで見受けられる。

コロナワクチン接種においても早い対応が目立った、NHKニュースにその準備作業がレポートされたくらいだ、人口が少ないというメリットもあるのだとは思うがが、いつも積極的な問題処理に僕は感謝している。
ワクチン三回目接種では、先に市で日時を指定した接種券が送られてきた、僕はただそれに従って当日出頭して左腕を差し出すだけ、ネット予約にイライラすることもなく粛々と接種を受けることができた。

・・・唐突だけど・・・

「ワクチン接種」と言えばいつも読んでいるお経を思い出して仕方がない日々が続いたのもコロナパンデミックの想い出のひとつだ。
本エッセイ「サンデー毎日記 第二部 今日である」の出典は「今日である あること難き 今日である」という浄土宗僧の言葉にある。
僕自身は真面目な宗徒とは言えないが、それでも仏説阿弥陀経を経本に従って毎日読み上げている。
阿弥陀経の後の浄土和讃にこんな一節がある・・・
「せっしゅして すてざれば あみだとなづけ たてまつる」。
「せっしゅしてすてざれば(摂取不捨)」とは、確かな救いのはたらきに出遭っているからこそ・・・という意味で、
「あみだとなづけ たてまつる(阿弥陀名付奉)」とは 必ず浄土に生まれ仏となることに定まった身となる・・・という教えだそうだ。

つまり、ワクチンを接種しすべてを受け容れる(摂取不捨)ことで、
COVID-19から守られ救われる(阿弥陀名付奉)ということに違いない、
そのように勝手に拡大して解釈してmRNAワクチンに身を委ねた。
いやいや、「摂取と接種」の駄洒落では決してない。

「すてさる(捨去)」こと多き人生に近頃悲嘆していた我が身に
「すてざる(不捨)」ことのご利益を想起させてくれた海老名市のワクチン接種、
海老名市にいつまでも住みたいと思った「今日である」。
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