6.《 ナイトメアの日 》  2022/2/23

文字数 2,652文字



父親が特別養護老人ホームでお世話になっていることは本エッセイの中(第1話 仔犬が来た日)でも触れている。
入所した時すでに新型コロナパンデミックが始まっていたので、父の様子は短時間の面会でしかわからない。コロナ以前 ショートステイを利用した折に部屋の中まで入ったりしていたのでおおよその父の生活状況は想像できるが、やはり心もとない。
毎日の生活サポートはありがたいことに一切お任せしているし、館内の環境もベストに保たれ、医療法人運営のため医療面でも安心だ。
毎日きちんと着替えしているのか? 歯磨きできてるのか? ・・・くらいしか心配の種を思いつかない。

時折 特養から「xxxが壊れた、なくなった、必要になったのでご持参ください」という連絡が入る。ご飯椀がひび割れました、シェーバーの歯が壊れました、爪切りもお願いします・・・という具合に。
先日、「タオル一式」のご依頼があった、入所して1年半が経っているのだからタオルも擦り切れるだろう。翌日早々に散歩を兼ねてバスタオル3枚、フェイスタオル3枚を届けた、自宅から0.9㎞のご近所なのでこんな時は便利だ。
今使用しているタオルが肌になじむだろうと、日常分を届けたのでその補充で新タオルを買わなくちゃ…と思ったら、
「ありますよ、使ってない新しいタオルは」という妻。
その夜、お風呂を出た後身体にまとったのは、30年前のタオルだった。
1992年宮古島全日本トライアスロン大会のフィニッシャータオルだった。
「こんなもの よく残してたね」、 
「ええ まだありますよ」と言って見せてくれたのは同じく1990年のタオルだった。
すべて処分したつもりだったトライアスロン関連物品・資料だが、見落としがあったみたいだ。
働き止めから3年目の2018年、自分史「あるいはトライアスリートという名のナルシスト」を
6か月かけて書き上げた時に、関連資料は廃棄してしまった・・・と思っていたからだ。
そもそも、トライアスロンをコアにした自分史を書こうと思い立ったのはおかしな理由からだった。

毎日が休日になる定年後の生活を「サンデー毎日」と称して好き勝手なことばかりしていたが、眠りにつくと必ずと言っていいほど、トライアスロンの夢を見るようになった、それもいつもきまって大ピンチの夢ばかりを・・・例えばスタート地点に並んでいる自分だけがランニングウェアだったり、バイクが組み立てられていないままラックに掛かっていたり、一人だけコースを外れて戻れなくなってしまったり、すべて実際にはありえないようなズッコケ・トラブルに見舞われるという筋書きだった。
当然寝覚めは悪いが、こんな夢に襲われる理由に思い当たることがあるので、余計に困ってしまった。
26年間52レースのトライアスロン人生の最後は呆気なく終わった、63歳の時だった。
65歳の延長定年になれば好きなだけトライアスロン三昧だと思っていた時、先制パンチのように病が襲った。人生最後のトライアスロンレースは前年(2012年)秋の佐渡国際大会だったが、ここでは不注意の数々から不本意な結果となってしまった。
それでもまだまだ先はあると念じてトレーニングを再開した早春のことだった、壊れてしまった身体以上に心が折れてしまった、ポキっと。
たとえてみれば無念の最期を恨み過ぎて成仏できない魂のように、心の暗闇が広がっていたのだろう、それが数年間熟成されて夢の中に現れてきたのだと思った、ナイトメア(悪夢)と言っても言い過ぎではなかった。

自己分析してみると、僕はトライアスロンに未練たらたらだった。
押入れの奥には出場したレース単位で資料(要綱、結果、写真など)が、箪笥の奥にもスイムウェア、バイクジャージ、ランウェアが後生大事に残されていた。
手元に残されていたトライアスロン日誌をもとに26年間52レースのひとつひとつを記録に収める作業を始めたのが2018年の初め。資料はデータ化し、ウェアも写真からデータに、完走・入賞メダルもまとめて写真データに、現物はすべて廃棄した。
完成した自伝「あるいはトライアスリートという名のナルシスト」は親しい友人にCDとして渡した、自分勝手なナイトメアお祓い行為は皆には迷惑だったことだろう、申し訳なかった。
その後、小説サイト「NOVELDAYS」にアップロードすることで自伝は定住地を得ることになり、それと時を同じくして僕は夢に悩まされることがなくなった。ぷっつりとトライアスロンの夢を見なくなったわけではないが、少なくとも寝覚めの悪い心持にはならなくなった。

お話を戻すと・・・今般30年以上前のトライアスロンタオルに遭遇しても夢には影響はなかったようで、パンクしたバイクで急坂を下る夢を見ることは今のところない。

しかし、僕は毎晩いろんな夢をたくさん見る人間である。トライスロンの夢から逃れた後も多種類の夢を毎晩見続けている。
現状見るナイトメアの主流は「お仕事」関係に変わってきている。
現在 無職の年金生活者なのでこの「お仕事」というのはすべて現役時代のもの、ただし6回転職しているので夢のバリエーションも多数ある。
職種で言うと、宣伝、コンサルタント、輸入販売、物流。
商品で言うと、事務機、家具、実験器具、食品飲料、デザイン、マーケティングの有形無形。
しかし、圧倒的に多いナイトメア舞台は会社オフィス、登場人物は大勢の社員、それらは夢の中であるからリアルな状況ではなく、人も場所も不明で怪しいばかりで合理性などない。
ただ共通するのはその中で僕は独りぼっちで疎外されているのだった。
思い返せば、勤めていた6社には居心地が悪い会社、嫌いな職場もあったし、唾棄すべき人物も信頼できない仲間もいた。
考えれば考えるほどに、勤め人時代のストレスが、潜在的な嫌悪が浮かび上がってくるのに気づいて我ながら狼狽してしまう。
「そんなに いやいやながら仕事をしていたのか!?」

もはや、この猛獣を大人しくさせるためには「仕事史」でも書き起こさなければいけない。
ただし、「仕事史」だといくら仮名を使ってみてもリアルな会社や大勢の登場人物が特定されるに違いない、間違いなく暴露ドキュメントになってしまう。
そんな個人感情発露に正当性があるとも思えない、また暴露自体が僕の新たなストレスになる恐れもある。
こんなことを悩みながら、古い仕事仲間に毎晩夢の中で出会っている。
いまだに職場から逃れることのできないサラリーマンらしいナイトメアの日、
あること容易な今日である。


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