40. 《 愛国の日 》 2022/10/10

文字数 1,477文字




雨が上がった秋空に映える日の丸、今日は体育の日、スポーツの日ともいうらしい、日本の祝日だ。
デジタル化、男女格差、働き方、情報公開・・・諸々だいぶ遅れている日本を僕は愛している。
第二次大戦後まもなくに生まれて、経済復興から高度成長、バブル経済とその破綻を目の当たりにした、そんな日本が愛おしい。
国家主義者からほど遠い自分だから、素直に日本を愛している。

そんな素朴な愛国者の気持を逆撫でするような出来事があった。

ひとつは暗殺された元総理の国葬、あまりにもみすぼらしい国葬にがっかりしてTV中継画面をすぐに消した。
その直前催された英国女王国葬とのギャップがあまりにも大きく、同じ国葬という言葉に恥ずかしさすら感じた。国葬に値しないとする反対意見や、税金投入の正当性や、暗殺の背景にある宗教と政治はこの場合関係ない。
国葬の儀式そのものが、しょぼかった。
その理由については、すでに専門家から指摘があるように「宗教」有無の差であろう。
信教の自由は民主国家において個人の自由の権利のもとに保証されるものであるが、英国女王は当然のよう王室御用達イギリス国教様式で執り行われた。
王冠の輝き、宗教者のきらびやかな彩、荘厳な教会・・・国葬にふさわしい舞台設定がそこにあった。
一方で、元総理の国葬は無宗教をベースにしたもの、宗教家は登場しない代わりに時の権力者たちが葬儀を仕切っていた。全員が黒色一色、おまけに白いマスクが顔に張り付き、その表情は読み取れない。
無宗教の縛りのため執り行われた場所は武道館、それも予定が入っていたので2か月余り遅れての国葬だった。これだけの時間があったのにもかかわらず、盛り上がりに欠ける空疎な国葬になってしまったのは弔いの儀式がなかったからだ。
こんな国葬を決定した現総理の責任はここでは問わない。
日本国が主催する国葬は、もっと荘厳で感動的なものにしてほしいだけだ、もしもこれからも国葬を開催することがあるとすればだが。
その解決策を思いついた。
故人が信じていた宗教に国葬を任せてみてはどうだろうか?
例えば、僕の知る浄土真宗であれば大勢の僧侶の華やかな装束と読経のうねりできっと荘厳なものになる、信者である故人も喜ぶに違いない。
国は国葬だからと言っても費用は負担しない、ただただ故人の業績が国葬に値するか否かを決議するだけ、きっと立派な方が国葬で見送られることになるだろうし、見送る僕らも国を愛する気持ちをさらに強くするに違いない。

もうひとつは、円安対策に関して。
円の価値が下がるいうことは日本の国力が衰えていることに他ならない。
とはいえ金融緩和に固執する政策の是非を問うような論議はここでもしない。
一点だけ僕の愛国心がざわついたのは、「インバウンド」で経済効果を高めるという方針発表だ。
円安で海外旅行が負担になった日本人を脇において、円安のおかげで外国から大勢の人が日本にやってくるから、そこで儲けろと自慢げに言う。
いつから日本人は「他国の落とし物もらい」になったのか。
外国に比べて安価な製品やサービスを提供することがそれほどに美しいことか?
たとえ高価であっても、日本にしかない商品・サービスを求めて遠くから訪れてもらうのが美しい日本の姿ではないか。
そんな日本を今一度復活させる政策こそが日本人が日本を愛する気持ちを高めることになる、安易な詭弁ほど醜いものはない。

国葬、円安、何か難しく考えすぎてはいないか。
僕は誇りに思える国葬を自慢したいだけであり、卑屈な観光立国になってほしくないだけである。
日本を愛する気持ちを吐き出したくなった 今日である。
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