15.《 アロハオエの日 》  2022/4/27

文字数 2,203文字




ヒルトンワイキキヴィレッジにはたくさんのホテル棟が立ち並んでいる。
初めてタパ・タワーに宿泊したのは2003年3月、結婚30周年記念旅行でのことだった。
この時ハワイに徹底的に絡み取られることになるとは思ってもいなかった。

ハワイと言えばワイキキビーチがあるオアフ島のこと・・・というのが一般的な日本人のイメージだろう、きっと。
ところが僕には、「アイアンマンハワイ」が開催されるハワイ島がハワイだった、トライアスリートの哀しい性ではある。
IRONMANN TRIATHLON WORLD CHAMPIONSHIP と称するアイアンマンレースの最高峰レースは毎年10月、満月に一番近い土曜日に開催される、ハワイ島コナで。
トライアスリートにとってはそこは聖地、いつかはその舞台に立つことを夢見て、たとえ立つことが叶わなくても、見果てぬ夢としてのシャングリラがハワイ島だった。
僕たちトライアスリートは「ハワイアイアンマン」と唱えてそのご利益を願う信者だった。
1990年、1991年 二度この夢舞台に立つことができた。
1993年の三度目は直前の母の死でやむなく もったいなくも辞退した、アイアンマン神の怒りに触れたのかそれ以降日本予選を通過することはできなかった。
レース開催地ハワイ島コナからの帰途は2度とも一泊だけホノルルに寄ってから帰国するスケジュールだったので、オアフ島(ホノルル)の思い出は薄かった。

時が過ぎ、年を取り、トライアスロンが重荷に感じられるようになったのがミレニアム前後のころだった。
すこしトライアスロンを離れてみようと考えて選んだのが、アイアンマンとは対極の(と思っていた)観光マラソン「ホノルルマラソン」、2001年 ホノルルマラソンに初めて出場した、51歳の時だった。
そこで、ホノルルマラソンに・・・というよりはハワイに、いやオアフ島に魅了された、そして翌2002年もオアフ旅行のためにマラソンに再び出場した。
2003年3月の結婚記念日、30周年の節目のお祝いに、またオアフに舞い戻り、ヒルトンホテル・タパ・タワーに滞在したのは、そういう意味では自然の成り行きだった。

ハワイ旅行、5回目にして運動ギア(バイク、ウェットスーツ、ヘルメット、ウェア、シューズ、諸々)を一切持たない旅になった。
ふたりでオアフを観光した、定番とはいえダイヤモンドヘッド、ドールプランテーション、ハロナ、クアロア・・オアフ島内をドライブした。
ヒルトン滞在中にホテルからの勧誘セールスに出くわしたのはちょうど観光にも疲れた滞在中日、話を聞くだけで100ドルのホテルクーポンがもらえるという・・・
「聞くだけねっ」と思って日本人女性担当のプレゼンを聞いた。
ヒルトンではこの時ワイキキヴィレッジ内でコンドミニアム販売を始めていた、ターゲットは日本人夫婦、つまり僕たちだった。
「マラソンに毎年来たいんでしょ、だったら一部屋買いましょう」 妻は乗り気だ。
「・・・でも・・」と僕は口ごもる。
「いいわよ、私が出すから」 即決で契約した。
2001年、2002年のマラソンツアーには妻は同行していない、同居していた母親の介護でそれまでも長期間家を離れられなかった。1年前母親が亡くなり久々の旅行がハワイだった、そんな長年にわたる介護疲れのストレス晴らしだったのかもしれない。

コンドミニアムはオーナーとして共同所有する形式で、ハワイ州に税金を、管理費用をヒルトンに支払うことになる。おかげでホノルルマラソンの時期に合わせてコンドミニアムを1週間確保できた、それ以外の期間でも空きがあれば格安で利用できた。
この時以来、故障の年以外は毎年ホノルルマラソンに出場し、2005年からはホノルルトライアスロン(ショートタイプだが)にまで手を広げるようになる。
これまで、ホノルルマラソン15回、ホノルルトライアスロン6回に出場し、レース後一週間はオアフ島内のお気に入りを訪問した。
オアフを探索し終え、島巡りに移るのはハワイ大好きのよくあるパターンだそうだ。
マウイ、カウアイ、ハワイ(アイアンマンレースのためではなく)、モロカイの島々に足をのばした、それでも僕のお気に入りは やっぱりオアフだった。
オアフには僕のお好みがすべてそろっている、海、山、魚、花、ファッションメゾン、レストラン、バス、そして友人たち。

2020年以降、オアフとの交流が途切れたのは現在も継続しているウイルスパンデミックのため、ハワイのみならず僕は自宅に籠ってどこにも出かけることはなかった。
2021年12月、最後の力を振り絞ってパンデミックのなか開催されたホノルルマラソンに万難を排してたどり着き、完走した。
アスリートとして最後のとっておきの目標だった70歳代マラソン完走、自分でマラソン人生に終止符を打てた満足感があった。

妻は飛行機の長旅がもともと苦手だった、今までも薬を服用して何とか乗り越えていたが体力面からも限界に近付いている。
ウイルスパンデミックはまだ収束していない、海外渡航が正常化するのはいつになるか? 高齢者にとっては時間との戦いにもなる。
先日、コンドミニアムを売却した、19年所有した愛着は深かったが「捨て去る時」だった。

それでも、
パンデミックが終息し安全安心な環境の中でオアフの地に再び脚をつける日が来るに違いない。
その時までは「アロハオエ」は言わないでおこう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み