106.《 ボランティアの日 》 2024/1/3

文字数 2,176文字



本当に困っている友達から援助を求められたらどうする?
できる事なら要請にこたえるだろう、誰だって。

ドイツの友人Sとは20年以上のお付き合いだ。
よくあるように最初はビジネスでの付き合いだったが、ぼくが働き止めした後もときおりコンタクトがあった。定期的に商談で来日していたので、その都度羽田や宿泊先に迎えに行き、近況報告して新幹線乗車案内ていどのお手伝いをしていた。
Sがぼくの子供の年齢に近いこともあってお互い言いたいことを言える気安さがあったものの、彼のビジネスの内容については全く知らなかったし、あえて知ろうとする気持ちもなかった。

そんなSも、世界的コロナパンデミックのため5年間来日できないまま、ようやく今年取引先訪問で来日するとの連絡があった。4か月前から、新幹線の予約を頼んでくるくらいだから、きっと張り切っているに違いないと微笑ましく思っていた。
ちょうど新幹線の予約が可能になる1カ月前、Sから沈痛な感じの連絡が入った。
取引先の英語が話せる社員が病気のため長期間出社できない状況なので、S自身で誰か通訳者を伴ってきて欲しいと言われたとのことだった。
Sからの依頼は一緒に先方に出張って会議に出てほしいとのことだった。
ぼくはと言えば、Sの願いを受け入れるかどうか以前の疑問がわいてきて仕方がなかった。
その疑問とは:
今どき、いくら工場とは言っても英語ができないスタッフが一人しかいないわけはないだろう?
一歩譲って工場には適任者がいないのなら、本社スタッフの誰かをその日だけ寄こせばいいのに?
ヨーロッパからわざわざやってくる取引先を気遣う気持ちがあるなら、まずは自分たちで通訳を捜すべきだろう?
もしかして、会議をしたくない言い訳なのではないか?
もしかして、取引そのものにひびが入っているのではないか?
次から次へと、よからぬ想像をしてしまう、まさに心配性老人の繰り言のように。

ぼくの仕事人生の中では常に海外顧客とのお付き合いがあった、過去務めた6社の中で。
顧客先に海外企業のスタッフを連れて商談に行くことはその中のお仕事だったから、今回も大丈夫だろうと思った。

しかしである。
定年退職してから9年近くになる、その間にビジネスの様相は大きく変わったに違いないが、むろんぼくはそれは知る由もない。
加えてコロナパンデミックの4年間、旅行はおろか外出すらしなかったので、Sたち(二名)をきちんと会議場所まで連れて行けるものかという不安があった。
言葉にすれば極めてシンプルなミッション・・・
東京の宿泊ホテルから二人をピックアップし新幹線に乗車し、下車後レンタカーを駈って東北の前泊ホテルまで連れていき、翌日顧客先まで伴い会議の通訳をする・・・だけのことである。
会議での通訳業務に関しては若干の準備、アジェンダ及び専門用語をチェック、以外は出たとこ勝負にする、ビジネスとはそんなものだ。
最大の不安は、体力・気力・知力の不足が露呈することだった。
足腰が痛くなる、風邪をひく、腹痛になるなど・・・を考えても仕方がないので気にしないことにしたが、予定日11月末の東北は雪・寒さにも対応する必要がある。
雪道のドライブにはまるで自信がない・・・しかしこれもその時考えるしかない、積雪のないことを祈るだけにした。

Sからの依頼があってから一か月、おかげで何かと緊張した生活を送ることになった。
流行中のインフルや、まだ消え去らないコロナに用心する毎日だったが、あろうことか 二週間前ルーティンのジョギング中に転倒して顔面その他を強打した。
まさかの「マーフィーの法則か?」と思ったが、幸いにも足腰も脳もたいした損傷はなく順調に回復し、当日は顔面の痛みは残っていたものの傷はほぼ消えていた。
危くSの来日そのものを無駄にしてしまうところだったと、今思い出しても冷や汗ものである。

では、実際の結果はどうだったか、簡単にお知らせしておく。
新幹線駅から前泊ホテルまでのドライブは山脈越えのワインディングロード、灯もない山道に肝を冷やしたが無事到着。
Sの予約勘違いで楽しみにしていた宴会夕食はお流れになったが、近くの寿司屋で新鮮な魚と地酒を堪能した。
会議にはオンタイムで到着、ランチを挟んで14:00までびっしり討議、4年間の問題点とこれからの課題をクリアーできた、ウジウジと心配した老人の妄想は全く杞憂だった。
新幹線駅へは前夜の道を戻るだけ、小雨/2℃のなかだけど同じ道を高速ドライブで一時間に一本の新幹線便にこれまたオンタイムで間に合う。
夕刻東京着、Sから慰労会を提供され神戸ビーフ(本当はSの希望)をご馳走になる。

今回濃密にSのビジネスに関与し、彼の苦労を肌で感じることができたことが一番の収穫だった。
そんな場所に老体のぼくの位置がまだあることを確認できたのは同じくらい重要な収穫だった。
Sと話し合った日独年金政策問題、退職者が働く機会が少なく、それも満足度の高い就業機会が少なく、両国の年金生活は厳しいことを確認した。
働く高齢者側にも、ITの急速な進化は高い壁となり、加えて根底には知力・体力の減退という悲しい現実もある。

それでも、いやそれだからこそ今回のSの援助のような機会は貴重だった。
働く機会ではなく、誰かの役に立てる機会は何処にでもある。
ボランティア活動の真髄を体感した 今日である。
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