84. 《 お稽古始の日 》 2023/8/2

文字数 1,006文字



「利き目」を知るにはウィンクすればいいらしい、開いた方が利き目だという。
「利き脚」を知るには、後ろから不意に押された時、とっさに出た方が利き脚だという。
試してみた。
利き目はどうやら右眼らしいが、右眼は緑内障で視野が欠けているので、もはや利かない眼である。後ろから急に押されると顔から倒れ込みそうなので、利き脚は試さないことにした。

利き手なら簡単に判定できる、お箸を持つ方だから右手だ。
問題なのは、ぼくのお箸の持ち方が正しくないこと、おかしな握り方をしている。
親のしつけが行き届かなかったのだろうか? それとも・・・

バイク落車で右鎖骨を粉砕骨折したことがある(1987年)。
砕けた骨を寄せ集めプレートでつなぎボルト固定する手術を受けた。
術後一週間 枕なしでベッドに仰ぎ寝たまま絶対安静で過ごすよう強制された。右腕は固く固定され、天井を見ながら大きく口を開け食事介護を受け、腰を浮かして排便した。
起き上がることが許されてからも右腕は堅く固定されたままだったので、食事の時左手で箸を使うしかなかった。
その時、テーブルに食べ物をボロボロとこぼれ落としながら、どこか安らかな気持ちになったのを不思議に思った。

母が独り言を呟いていたことをうっすら覚えている・・・
「あんたのギッチョを治すのは大変やった」
母はサウスポーだった、左利きの人に多い熟練のサウスポーだった。
ぼくは母の技を真似して左使いを目指したが、母は左利きの不便を承知していたので厳しく矯正してくれた(のだろう)。厳しい躾けだったに違いない、物心ついた時には僕は右使いになっていた。

手術入院で覚えた快感もその後の忙しい日々の中で忘れてしまった、それでも時折左手で箸を持ってみようと思う時がある。
何か得体のしれないものに腹立たしかったり、解消できない鬱積を覚えた時だ。
そんな時には、左手に箸を正しく持ちゆっくりと動かす。
心の奥襞に隠れていたくすぐったいような懐かしさが蘇る。
やがて、きちんと箸を使えないストレスのほうがが快感を上回り、もとの右手に持ち替える。

サンデー毎日の日々の中、こんな快感を捨て置くことはないと気づいた
左手を使うお稽古を始めよう。
まずはお箸から。
母がぼくの左手をじっと見つめ、首を振って箸を右手に持ち替えさせる。
そんな ぼくの記憶にはない場面を想像しながら左手で箸をとる。
厳しさの中に優しさがにじむ母のまなざし、母を懐かしく思い出す 今日である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み