111.《 液状化の日 》 2024/2/7

文字数 1,505文字



2024年2月1日 74歳、「梨(り)寿」になった。
梨(74 なし)のようにフレッシュで爽やか、それでいて食感は手強いという老人のイメージである。 (注:勝手な創作です、念のため)
あるいは 「無(なし)寿」ともいえるかも、もう何もないお歳ですよ・・・ということになる。
しかしながらサルトルいわく 【すべての答えは出ている、どう生きるかを除いて】のとおり、74歳になってもどう生きるかの答えは見つからない。
せめて2024年は どう生きるかのヒントになるものでも会得したいものよと微かな希望をもって新年を迎えたのが一月前だった。

しかし、日本は新年早々地震災害に見舞われた、よりによって元旦に。
偽クリスチャンが跋扈するクリスマスや、ハロウィンも今では日本の中で定着した聖なる一日だが、到底元旦に敵うものではない。
初日の出から始まって お屠蘇、おせち、初詣、年賀会と厳粛な行事が元旦を彩る、そんな元旦が地震で、津波で吹き飛んだ2024年だった。

初動救済活動の遅れの原因が、能登が辺鄙なところだったという理由がささやかれているが、被災地に対して失礼な話である。
その原因は行政・政府の準備不足と不手際もさることながら、「元旦」だったことも大きく影響している、この日ばかりは日本人は休む、厳粛な祝日として休む。
公的機関、警察、消防、病院もほぼ人の気が無くなる。
今でこそ商業施設が営業する世知辛いご時世になったが、元旦に働いてはいけないという、暗黙の定めがあった。
神聖で不可侵な元旦を打ち壊したのが母なる地球だったことは大いなる暗示、もしかして地球からの警告、いや怒りなのかもしれない。
2024年が激動の一年になると確信した元旦だった。

震災被害状況は同じような理由から、1週間過ぎた頃から明らかになってきた、近年のSNS、スマホ進化のおかげで臨場感あふれる映像がくっきり鮮やかに届けられるにいたり、科学の発展は諸刃の刃ということを痛感する。
見たくない被害状況を見れば見るほどに恐怖がマヒしてくることに気づく、想像を超えた惨状に慣れてくる自分がいる。
明日は我が身と気持ちを引き締め、せめて「どう生きるか」を覚悟しておくに越したことはないだろう。

地震、津波災害の伴う二次的被害にも対応することが大切だ。
たとえば 「液状化現象」。
液状化とは、地震の振動によって水分を含んだ砂質土が液体に代わることをいう、そこに建物、道路、配管がある場合は損傷を受ける。
「令和6年能登半島地震」では比較的離れた新潟市内などで液状化被害が大きかった。
自宅が液状化した地面に沈む、そんな悪夢が今回も現実になった。

そんな折も折・・・
ぼくが最近体験したのは生身の体が沈むような液状化だ、その相手はリビングのフローリングだったり、仏間の五寸柱だったり、二階への階段だったりする。
液状化したそれらにぼくは呑み込まれて沈む、ザワザワと。

愛犬との散歩のとき、歩道の側溝やブロック塀が液状化してそこに吸い込まれそうになる、特に人とすれ違ったり車が通り過ぎる時この手の液状化が多発する、堅いと思っていたセメントや石がグニャリとなるので脚はふらつき、支えるため突いた手もそこに吸い込まれ、最後には尻もちをついてしまう。
はて ブーブーとなる地震警報も聞こえなかったし、周りを見渡しても地震が発生した様子はない、人は平和そうに寛いで歩いている。
最近は足腰に加えて耳も眼も経年障害になっているので、もう一度しっかりと周りを確認してみる、しかし天地がひっくり返った様子はない。

もしかして、液状化しているのはぼくの脳の中なのか・・・こんな液状化だけは勘弁してほしいと願う今日である。
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