58. 《 超える日 》 2023/2/1

文字数 1,464文字



1950年2月1日に生まれ、2023年2月1日 73歳の誕生日を迎えた、今日である。

日本人男性の平均健康寿命が72.6歳(2019年試算)とすれば、大きな節目となる73歳を迎えた。
73歳になると健康スイッチが突然切れるわけでないが、何が起きても不思議ではない領域に踏み込んだことになる

ついこの間のお昼ごろ、愛犬COCOを連れて夫婦でシマホ(元 島忠)までお買い物・散歩に出かけた。
シマホでは愛犬専用カートが用意されているのでCOCOと一緒に店内をぶらぶらする。
実はシマホ内ペットショップがCOCOの実家なのでちょっとした里帰りも兼ねた散歩なのである。実家で小さな後輩たちとご対面してもCOCOはさほど感激しないようだ、でも以前のように無駄吠えはしない、賢くなったものだ。散歩途中で食べるおやつを買って帰途に就く。

ぽかぽか陽気だから散歩に出たくらいなので周りにも散歩する人と何度もすれ違う、みなさんお元気そうなお年寄りばかりだ。正午前後の時間に散歩できるのは老人しかいないことにいまさら驚くことはない、僕たちもその類である。
小径の曲がり角で昔からの知り合いに鉢合わせした、僕のランニングの師匠だった方だ、今日はランニングではなく散歩らしい。
ご近所なので年に数回お会いするが、いつもお元気で減らず口も相変わらずだ。
「お元気そうですね?」
「元気だよ、まぁ あちこちガタは来てるけどね、医者に診てもらっても同じことばかり言われるよ」
「あれでしょう、 加齢のせいだから仕方ないって」
「でもさ 俺はカレーなんかぜーんぜん食ってなんかないんだけどね」
「いやいや いいお年ですよ しっかりと」
師匠は僕より三歳年上だから後期高齢者(75歳超)になっているはずだが、見た目も口先もしっかり元気だ。再会を約束して別れた。
年寄りだからと言って、元気な方もいるしそうでない場合もある、個人個人の健康寿命には大きな振幅があるというエピソードだった。

そもそも「健康寿命」とは何か?
WHOの定義によると:
《 健康寿命は日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間 》
一読しただけでは、わかったようでよくわからない定義だ。
いつも思うのだが、公的文章は故意に理解を妨害しているとしか思えない、まして老人相手には不親切な説明ではないか?
「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで」・・・・とは【医療保険や介護保険を使うことなく】、
「自分の心身で生命維持し」・・・・とは【看護師・介護士さんや機器のお世話にならず】、
「自立した生活ができる」・・・・とは【一人暮らしできる】、
と読み解けば 「医療・介護機関に縁のない生活をしている独居老人」が生き残る期間を健康寿命ということになるのか(?)。
今時そんな老人は仙人村にもいないだろう。
僕の場合だと、継続的に整形外科で膝・股関節の治療を受けているし、会話サポート器を使い難聴に対応し、家族の協力を貰って自立した生活を送っている。

この際 WHOの定義は実はどうでもよい、老人を一括りで枠にはめ込もうとすると無理がある。
僕が健康寿命を定義するならこうなる:
《 過剰ではない適切な医療を受け 周りの手助けに感謝しながら自分の面倒が見られる期間 》

気懸かりなのはWHOの定義の裏側に隠れている「寝たきり」や「機器による延命」、本人のみならず家族の健康も阻害する。

僕に延命措置はいらない、その意思はすでに家族には伝えている。
あらためて強く念を押しておきたい 73歳 節目の今日である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み