37.《 リライトの日 》 2022/9/21

文字数 2,559文字



人様の書いた原稿に手を入れて書き直すこと・・・をリライトという。

新卒で入社したのはイタリア・オリベッティの日本法人だった、社会主義創業者らしい仕組みがたくさんあるユニークな社風だった。
入社直前に結婚したばかりだったので妻の勤務先(大学)と同じ都内配属を人事部に直訴した。
新卒募集は営業と保守(製品メンテ)の二種類のみ、全国に拠点を持っていたので営業担当でせめて「都内配属」を図々しくもお願いした。
ダメだったら辞めてもいいくらいの気持だったのは、売り手市場の就職事情が当時あったとはいえ生意気な新入社員だったと同時に、
風通しの良い社内環境ののせいでもあった。
豈図らんや、営業職ではなくいきなり本社(目黒区)スタッフ部門勤務を命じられた。
ゆくゆくは企画か宣伝の仕事をしたい旨のキャリアプランを表明していたのと、広報部が人員拡大していたのがマッチした。
営業経験なしのいきなりのスタッフワークのため後年転職した際に苦労するのだが、「都内勤務」をその時は手放しで喜んでいた。

閑話休題、
広報部での一年目は色々な課(宣伝、販促、クリエイト、文化、調達・経理)で下働きをした、業務全般を実習する今でいうインターンである。
その一つが 企業文化誌「SPAZIO(スパチオ)」編集アシスタントだった。
イタリア文化にかかわる原稿を日伊VIPに執筆依頼し、出来上がった雑誌は国内外のインフルエンサーに配布された。
僕が初めて「リライト」という言葉を知ったのはこの時、リライターさんの都合がつかない折に代打でリライトを命じられた。
リライトは執筆者の生原稿を原稿用紙に印刷指定通りに書き写していく作業だった。
就業時間中に完成しないときは自宅に持ち帰って締め切りに合わせることもたびたびあった。
その折に教えられたのは、きれいな文字でなくてもいい、はっきり読める文字にリライトするという原則だった。
未だに僕の手書き文字は達筆とは程遠い、女学生のような丸文字だと揶揄されるのはきっとこの時の教えが生きているからだろう。
リライトの際、当然専門用語や難解な漢字に遭遇するので、ひとつひとつ辞書等で確認し不明な文字は専任編集者にわかるよう「要注意」をマークしておく。
明らかに間違った用語・単語が書かれている時は、正解(だと思われる)を併記することまで求められた。
リライトは単純作業ではあるが、文章を書く訓練になることは間違いない、今こうやってNOVELDAYSに書き残せるのもこの折の経験が役立っている。
今ではPC専用ソフトを使って簡単にリライトができるようになっているらしいが、当時ワープロもWIKIPEDIAもなかった時代(1973年)だからこその鍛錬だったに違いない。

あれから半世紀がたった、
三冊のノートが捨てられないまま僕の手元に残っている。
引っ越しや部屋の整理や、近年では「捨て去るミッション」にも生き残った三冊のノートは、1978年から1980年まで3年分の日記。
日記ではあるが年始決意と年末反省など折々の想い以外ほとんどシネマ感想文が占めている。
ノートに挟み込まれていた原稿用紙に書かれたレビューはキネマ旬報に投稿したコピーだ(一度も採用掲載されたことはなかったが)。
この3年間だけシネマレビューが多数書かれている、いったいこの時の自分に何が起きていたのだろうか?
年齢でいえば28歳から30歳、子供たち3人に囲まれて新しい3LDK住居を購入したばかりのころだ。
職場、仲間、先輩たち、仕事上の不満は何もなかった、唯一不安だったのが給金だった。
結婚当初は妻との共稼ぎだったが、子供3人を世話することが妻の重要な仕事になり、僕一人の稼ぎが重要になってきた局面で、500円という衝撃的かつ象徴的定期昇給が告げられた時・・・将来家族を守ることはできないだろうなと悟った。 
その時、新居購入の際に蓄えを放出していたので毎月の小遣いを3000円と決め節約していた。
楽しみは週に一度のシネマ鑑賞、3本立ての二番館の暗闇に籠りながらも将来の展望に苦悶していたころだった、1978~1980年というのは。
鬱積した不安を打開する何らかの行動が必要だと考え悩みながらシネマに没頭していた。
30歳の夏、お気に入りだった日本オリベッティを辞め元上司に誘われてコンサルティング会社に転職する。
欧州企業を日本に誘致するコンサルティングはこれまたユニークな仕事だったが、少数スタッフでタフでヘビーな日々となった。
月200時間残業も当たり前、全くノウハウがない新世界だったのでパワーだけでこなしていった。
そののち体を壊して入院する羽目になり、復帰後は仕事の仕方を改めることになる。
その対処方法というのがスポーツ、スポーツで仕事のストレスを解消する試みだったが、実際にはトライアスロンに巡り合い全身全霊で没頭することになる。

30歳から新しい仕事を確立するために数年間、36歳からトライアスロンに取り込まれること26年、シネマをゆっくりと鑑賞するライフスタイルからは大きく遠ざかってしまった。

振りかえってみれば、
1978年~1980年の三年間は人生の中で集中してシネマを愛した時間だった。
その三年間のシネマ・レビューを読み返し、しかしひとり赤面している、世間に公にする意図がなかったとはいえあまりにも拙い文章が並んでいる。
自分の文章をつくづく眺めていると、40年以上昔の自分が他人のようにも思えてくる。
シネマそのものも、どちらかというとB級プログラムシネマが多い、新作を紹介し鑑賞の参考にしてもらうという現在のミッションからすればすべてが旧作それも相当古いシネマばかりだ、当たり前だけど。

さてどうしようかと悩むこと数日、「リライト」という言葉を思い出した。
40年前の自分の感性を大切に残したまま、人様に伝えるような文章にリライトすることはできないだろうか。
数点試してみた、思いのほかリライトしやすいことを発見した、もともと自分の文章なのだからそれに感嘆することもないが。
いま NOVELDAYS「ナルシストは観た 勝手気ままなシネマ愛」に少しづつリライトしたレビューをアップしている毎日だ。
若き自分の想いを忖度し、今に通じるシネマレビューをリライトする、
得も言われぬ面白き「今日である」。

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