83. 《 謝罪する日 》 2023/7/26

文字数 1,340文字



小学5年生の孫の友達が遊びに来る、多い時は7人もの子供たちだが、みんな礼儀正しくて静かで騒ぐこともない。皆でゲームをしているらしい、だから静かななのだろうがちょっと気味も悪い。でも大丈夫、ゲームに飽きると公園に行って泥んこになって帰ってくる、バランスが取れているようだ。
先日、初めて遊びに来た友達が「ハルキの家は大きいね?」と言ったら「そうでもないけどね」と応えていた。

我が家は築30年に近い古い形式の木造二階(一部三階)、5LDKの造りになっている、最初から大家族用(7名)、そしてバリアフリー設計は妻の両親を介護するためのものだった。
両親をこの家で看取り、その後ぼくの父の介護を終え、一時は3名になった住人が今はまた7人に、最初設定した定員数に復帰した。
だから、ハルキの「そう広くない」という発言は謙虚でも間違いでもない。

ただし、最初に玄関口に立つと広さを感じる工夫がされている、設計士さんとの打ち合わせの中で生まれた発想の一つだった。
マイホーム(そういえば死語かな)建設に先立ち、詳細は設計士さんにお任せし、住み方の基本条件だけをお伝えした。
①すべての部屋に鍵をつけない
②L(リヴィングルーム)を広く取り家族全員が大テーブルで食事はもちろん、勉強、作業をする
③そのリヴィングルームはとにかく採光重視、開放感を持たせる
その時追加で話し合ったのが玄関間取りだった、それまで住んできた集合住宅の人ひとりでいっぱいの狭い玄関、そこに並ぶ靴の山が嫌いだと伝えたところ、思い切って通常以上の玄関スペースにし大きな靴収納を作りましょうとの提案を受け、もともと介護用車いすが回転できるスペースを取っていた玄関スペースが、そこからさらに拡張された。

と言っても、狭い敷地なので、スカーレット・オハラ邸の螺旋階段につながる広大なエントランススペースというわけにはならなかった。それでも、のちに訪れた友人が「ここで一人や二人寝れますね」といったくらいのの余裕あるつくりだった。
玄関ドアを開けた瞬間、予想外の広がりがある玄関口にみんな「家全体も広いのだろう」・・と錯覚する。
その代わり一人一人の居住スペースはミニマムを目指した、孫の「そんなに広くない」というのは実感なのだ。

孫たちの会話をきっかけに、マイホーム建築のあれこれを思い出し語りするぼくたち老夫婦。
そこで妻が突然思い出したように憤慨する・・・・
打ち合わせの時、ぼくが「台所は一人が動けるスペースで十分です、狭くてもいい」・・・・と言ったことに腹が立ったことを今になってぼくに告げる。
そんな遠い昔のことは覚えていない、数分前のことも覚えていないのだから・・・でも言ったのだろうな、きっと。

30年近くが経過し、今では夫婦二人と愛犬が押し合いへし合いで右往左往する台所になっている。7人分の夕食準備中、洗い物中心に僕はサポートに徹する。

「包丁とおりますっ」
「熱い鍋行きます」
「COCOどいて」
「糠漬け出したいんだけど」
「すぐ使うから表面だけ洗って」
「COCO そこ舐めちゃダメ」

ひとりスペース台所はまさに戦場になる。

「ジェンダー意識に欠け、かつ先見のない発言があったこと、心から謝ります、大変遅くなりましたが 」
と声に出して謝罪する 今日である。
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