110.《 イタリア食い初めの日 》 2024/1/31

文字数 2,106文字



イタリア料理が得意なわけでもなく、それを言うなら料理上手でもないが、二日に一度「休日パスタ」と称する朝食を調理して10年以上が経った。
最初は単純に食べたいから作っていたのだが、写真に記録し、コメントを添えた日誌形式に進化した。ユニークなメニューを探し出したり、創り出す愉しみが趣味になったのは本格的にサンデー毎日になった働き止め後のことだった。
ネットに掲載してきた写真日誌も900点近く、家族の朝ごはんには欠かせない存在になった「パスタ」だ。

いったい何時イタリア料理なるものに遭遇したのか、ふとそのルーツなるものが脳裏によぎったのは、2024年年頭に「スープスパゲッティ」を作った時だった。
今では学校に通う孫たちのために6:30に朝食を用意するのが、ルーティンになっている。
休日パスタもこの中にローテーションされ、前述のとおり2日に一度登場しているのは、調理・後片付けの簡便さに起因している。
その結果、休日パスタ当初のお楽しみ調理からいくぶん焦点がずれて、お仕事モードになってしまったのも致し方がないことだろう。
それでも、予算の許す範囲で珍しい食材があれば買ってきて欲しいともお願いしていた。
2023年末、「こんなもの見つけたよ」と言って業務スーパーから戻ってきた妻が手にしていたのは、殻付きアサリの冷凍パックだった。
「便利なものがあるもんだね、お正月にアサリのスープ・スパゲッティを作ってみようか」と返事をしながらぼくの心は50年前にワープしていた。

「アサリのスープ・スパゲティ」は、どちらかというと定番のスープ・パスタだし、これまで食したことも数えきれない。
ただアサリという食材が入手しづらいことからマイ・メニューには入れていなかった。
初めての調理メニューだけど、ぼくの記憶の一番深い場所にその味がしっかりと刻み込まれていることはぼく自身がよーく知っている。
それは社会人一年目の自分が巡り合った、イタリア世界でもあった。

イタリアとのお付き合いは、なんといっても新人で入社したイタリア企業 OLIVETTIから始まったことは間違いのないところだ。
大学時代も含めそれまでイタリアと触れる機会はシネマ以外にはなかった。
OLIVETTI が社会主義を理念としたユダヤ人経営者が創立した一風変わった社風だったことが、ぼくのその後のビジネス人生を決めた。
OLIVETTIに30歳まで勤めた後、EUの前身であったEC委員会の仕事を請け負うコンサルタント事務所、そこで誘致したイタリア企業の立ち上げ・手仕舞いを経験し、のちにはイタリア企業に特化したコナサルタントとして日本でのマーケティングを仕事としてきた。

そんななかでいつ・どこでイタリア料理に、そして「アサリスープ・スパゲッティ」に出逢ったのか。
前述のようにOLIVETTI社は文化で社会に貢献することを理念として掲げ実践していた。日伊文化の紹介、交流を意図した細やかな文化活動が表舞台に登場することなく地道に進められていた。
新人だったぼくが配属された広報部門には、プレス、宣伝、デザイン、イベント部門に加えて文化を担当する部署があった。
入社後、今でいうインターンのようにすべての部署を経験していくなかで文化担当者のもとでも修業した時期があった。
日伊文化、イタリア研究に関わるVIPとの会議に訳の分からないまま同席し雑用をこなしていたが、興味深くかつ楽しいことばかりだった。打ち合わせの後に、連れていかれたのがイタリアレストランだった、そこで生まれて初めて本物のイタリア料理を経験した。

高田馬場の「文流」ではイタリア書籍の扱いの他に食の交流を図った小さなレストランを併設していた、書籍に囲まれて味わった料理。
材木町の「アントニオ」では戦前から代々継承されてきたリストランテの重みを目の当たりにした、赤と白のテーブルクロスが眩しかった。
それまでの人生で「ナポリタン」しか知らなかった田舎者にとって、狂乱のイタ飯ブーム前の黎明期にあって目が眩むような経験だったがここで「アサリスープ・スパゲッティ」を口にしたのではなかった。

京都に日本イタリア会館があった(今もある)。
出張の目的が何だったか、今では思い出すこともできないが、何度か打ち合わせのために会館に赴き、宿泊したことがあった。
会館の一階にはイタリアレストランが併設されていて、そこで巡り合ったのが「アサリ―スープ・スパゲッティ」だった。
スープの中にスパゲッティが泳いでいた、衝撃だったのはそのスタイルだけではなくお味だった。塩味と大蒜風味だけのシンプルなスープに漂うアサリのエッセンスが、ぼくの個人的味覚に見事マッチしたことを瞬時に感じ・・・忘れられないものになった。

その後数多のイタリアレストランで、おなじメニューを何度もオーダーしたが、最初の味に勝るものはなかった。2024年お正月 自分で調理するそれに会うまでは。

1973年 日本オリベッティに入社したその年に経験したイタリアの味に、いま半世紀を経て再会し、過ぎ去った長き時間を想う。
人生の終盤にきてもなお 愉快なことが経験できることを有難く思う、 今日である。
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