61. 《 小夏の日「小夏と、やさしい仲間たち」 》 2023/2/22

文字数 4,004文字



平成22年2月22日が誕生日だと血統書に記載されていた小夏。
ニャンが五つも入っている大当たり誕生日なのに小夏はニャンコではなくてビーグル犬。
平成22年(2010年)2月と言えば僕が60歳、定年に到達した時でもあるので忘れることもない。
さらに言えば、小夏を迎え入れた費用、小夏を撮影するための一眼レフカメラ購入代金を賄ったのも退職金だったという因縁があった。
定年にはなったものの65歳まで継続雇用として素直に薄給を受け入れて有終の美を飾ったので、この後5年間二人の距離はさほど近くはなかった。

正真正銘の働き止めは2015年2月10日、翌日から小夏との濃~い生活が始まった、小夏5歳間近の寒い季節だった。
朝起きると蒸しタオルで小夏の顔を隅々まで拭ってきれいにし、一番お愉しみの朝食を用意する、ドッグフッドを小皿に盛ってコマンド《待て、お預け》、そこから朝の挨拶を始める。
「オッハー」、「グッモーニン」、「ボンジョルノ」、「ボンジュール」、「グーテンモルゲン」、「アンニョンハセヨ」、「ザオ」の各国語で呼びかけ、その都度小夏は左右の手を交互に差し出す、大切な朝の儀式だった。
ビーグル犬らしい食べっぷりでものの数秒で朝ごはんは消えてしまう。
大好きな散歩は毎回3~5㎞を1時間以上二人でゆっくり楽しむ、どちらかというと小型犬にはオーバーワーク気味と注意されたが、小夏は疲れを見せることはなかった。
散歩大好き、食事は朝夕一日2回にしていたのに、小夏はどんどん体重を増やしていく。
この頃から小夏は人間の食べ物を覚えた、いや僕が人間の食べ物を与えるようになった。
僕の食事の時には必ず小夏が椅子のそばにぴったり座る、優等生の顔つきをして僕をじっと見上げる、「良い子してるでしょう」って。そのしぐさに負けてついつい食事を分けてあげる、飼い主としては失格だった。
特にこの頃から調理し始めたパスタ、茹で上がった鍋の底に残っていたパスタを小夏は上手に食べた、チュルチュルと。パスタをゆでるコツはお湯にたっぷり塩を入れること、健康によくないといわれる塩分を僕は小夏に与え続けた。

誕生日には、妻手作りのキャベツで作ったバースデーケーキでお祝いした、キャベツは日常でもふんだんに食べ慣れていた。
2020年2月22日の誕生日、10歳になった小夏は初めてそのケーキを食べなかった。
「そういえば このところ散歩に行ってもすぐに帰りたがるよね どっか具合が悪いのかな?」 そんな話もしていた。誕生日を過ぎて数日、あれだけ食べることが好きだった小夏がドッグフードもお菓子も何も食べようとしなくなった。
かかりつけ医に診てもらった。
血液検査の結果どうやら脾臓がはれているらしく機能が低下しているとのこと、そして治療法がないことを聞いた。翌日から毎日点滴のため医院に通ったが、何も口にしないまま4日目の夜トイレに行っても尿が出なくなった、かわいそうで見ていられない、そのうち体温が下がってきたのが抱いていて感じるほどになった。全身をマッサージし名前を読んで励ました、その夜はなんとか持ちこたえたが、翌日天国に旅立った。
10歳と7日の命、5年間の濃密な小夏との時間が途切れた。
初代ビーグル犬ゴルビーは15歳の長寿だった、小夏の病気は間違いなく僕が不適切な食事を与えたのが原因だ、悔やまれて仕方なかった。

小夏の短い一生に報いるにはどうしたらいいか、小夏ともう一度遊ぶにはどうすればいいか?
小夏の死以来ずっとそのことを考え涙に暮れていた。
6月に父が特別養護老人ホームに入所、8月今度は僕が肩鍵盤断裂修復手術・リハビリのため1カ月入院した。
入院が決まった時、病室で1カ月を過ごす方法を模索し、一度諦めた小説にもう一度挑戦しよう、そこに小夏の思い出を注ごうと決めた。
一度ギブアップした小説とは、我人生のエッセンスであったトライアスロンを素材にした小説だったが、構想時点で行き詰まったままだった。

―メイキング  《 小夏と、やさしい仲間たち(2021) 》https://novel.daysneo.com/works/d4410efc1b33abec11d45887f2548353.html -

26年間52のレースを経験したトライアスロン、そのためのトレーニング、ギア、仲間、遠征にかかわるエピソードは数多く、レース結果(順位やタイム)だけでトライアスロンの思い出を語り尽くす事はできない。
バブルの華のように豪華だったチーム・ターザン、地域社会密着のチーム・サブ3、仲間たちと各地に遠征したことは今も楽しい思い出になっている。
Kさんと佐渡国際トライアスロンに出場するため海老名から関越高速道・フェリーを経て佐渡に向かったのは僕が60歳前後のキャリア終盤のころ、クラブメンバー高齢化で参加者も減少し他のクラブとの合同での遠征旅行になっていた。
Kさんはチーム・サブ3仲間ではなかった、そこで長距離ドライブの徒然に20年超に渡るチーム・サブ3で見聞きした面白話をお聞かせしたことがある。
ほとんどはメンバー個人個人のハチャメチャな伝説であり、同じトライアスリートでなければその神髄は理解できない類のものだ。控えめに言ってもトライアスリートとは個性豊かな変人が多いので爆笑逸話がごろごろ転がっている、もちろん僕も含めて。
伝説の詳細は門外不出なのでここでは公開できないが、初めて聞いた武勇伝(?)にKさんが甚く面白がってくれた。
「この話をぜひまとめてみてください」
「そのままだと個人情報などで問題があるから、小説にしようかな」
「その時はきっと読ませてください」
話の成り行きというものは恐ろしいもので、僕自身いつかトライアスリート小説、面白メンバーエピソードを書くつもりになっていた。

2015年65歳で働き止めした、その2年前にはトライアスロンは引退していたが僕はトライアスロン小説を書く約束を忘れていなかった。まずはシノプシスを構成してみた。
「某クラブチームメンバーが素人から鍛錬して世界選手権ハワイアイアンマンレースを完走する。その過程で個性豊かなメンバーの爆笑エピソードとアスリートとしての成長を盛り込んでいく。クラブチームを地元商店街の個性豊かな店主たちに設定し、彼らのモデルはリアルチームメンバー」。
・・・とここまでで行き詰まった。
このまま進めると、自分のレース経験を土台にし、お笑いエピソードをちりばめただけの何の変哲のないアマチュアアスリート物語になってしまう。
そのころ自分史として準備資料整理していたトライアスリート・ノンフィクション「あるいはトライアスリートという名のナルシスト(2018)」との差は何処にあるのか?
小説執筆を開始することはなかった。

それでも、いつか小説を書くことが夢だったので、トライアスロン以外のテーマでもいいからまず一作完成させることにした・・・自分の人生を振り返れば誰もが小説をひとつ書ける・・・という有難い教訓に従い身近な話題を検討してみた。
初小説は家族をモデルにした、「昭和九十五年(2019)」。
ハワイが好きなので二作目はハワイ物語にした、「布哇是好日(2019)」。

閑話休題、手つかずのトライアスロン小説のことを思い出させてくれたのが小夏の死だった。
2020年夏、構想から10年以上が経っていた。

神奈川リハビリ病院で手術・リハビリ1カ月入院と時を同じくして、新型コロナが世界を覆い尽くした。東京オリンピック2020が1年延期され、ステイホーム、マスク着用、手指消毒徹底、三密禁止が毎日の話題になった。
10年以上休眠していた小説に、「小夏、コロナ、オリンピック」という新たな要素が加わり、厚みと伸びのある構想になってきた。

商店街チームメンバー6名の個人情報(性別、年齢、職業、性格、家族、運動特技)を創った。
小夏をチームマスコット犬として位置づけ、飼い主をイタリアンレストランオーナーとした。
時代背景は僕自身のキャリアとシンクロさせ1990年ハワイアイアンマン完走を軸とし、執筆時翌年2021年をゴールにした。
コロナの恐怖を物語の負のベクトルとして採用した(詳しい使い方は見えていなかったが)。
オリンピックイアー2020年/2021年を物語のクライマックスとする、そうすると1990年から30年に及ぶ大河物語が見えてきた。
小夏は哀しいかなドッグイアーというくらい短命が宿命、その解決策として生まれ変わりのアイデアをシネマ「僕のワンダフルライフ(2017)」から拝借した。
これで小夏は30年の間、生まれ変わるたびにチームメンバーに再会できることになった。
1990年と2021年を結び、コロナ犠牲を阻むキーパーソン謎の女性アスリート、彼女には過去に旅してもらうことにした、かくして物語はタイムスリップSFに変貌していった。
人間とコミュニケートし、生まれ変わりする犬を主人公にしたくらいだから、パラレルワールドなどは気にしないことにしたが、タイムパラドックス整合性に気配りしなければいけなかった。
小説作りは面白いもので、書き進めるうちに登場人物が勝手にしゃべり、行動し始める、それも僕の意図しない方向に。
イタリアコネクション、シドニーオリンピックのアイデアは睡眠中に突如現れた、すぐにメモを取ったのは言うまでもない。
「小夏と、やさしい仲間たち」はこうして2020年8月に動き出し、2021年5月完成した。
トライアスロン賛歌、クラブメンバー愛、小夏への感謝が込められた小説になった。
当初意図した仲間の面白エピソードは《やさしさ》というキーワードに昇華した、もちろん後悔してはいない。

小夏は10歳の誕生日(2020年2月22日)の7日後に亡くなった。
それからまだ一度も命日の2月29日を迎えていない。
だから 誕生日に小夏を偲ぶ 今日である。
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