91. 《 敬老の日 》 2023/9/18

文字数 1,053文字



今日は敬老の日 国の祝日 旗日である、とはいえ 敬老の日とは何なの?
祝日法(昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている・・・・ということらしい。

「老人を敬愛し、長寿を祝う」と言っても、老人の定義があいまいだし、したがって長寿もあやふやな言葉になってしまう。
まあまあ、そんなに尖がることなく身内のお年寄りにお祝いの言葉をかけて、何かお印程度のものでもお贈りすればいいのだろうと思う。
実際父親が百寿で亡くなるまで、父親には、そのように対応してきた、最後のほうは本人に敬老の日が認識できなかったみたいだったし、しっかりした意識のある時は「なにをくだらない、お祝いだと!」と叱られたものだった。
実際自分が敬老の対象となってみると、これはくだらない祝日だと確信するようになった。
早い話、休暇が取りづらい日本人労働者救済のための本末転倒政策にしか過ぎない。

実際に父がいない敬老の日を迎え、さてどうしたものかと困惑している。
取ってつけたように一人だけ存命の年長親類(叔母さま)にお祝いを申し述べるのは間違いなくおかしい、と言って知り合いの年長者にあたりかまわず言葉をかけるのも気持ち悪がられるだけだろう、きっと。
そもそも、敬老とは人間を対象とするものなのか? という素朴な疑問が芽生えたのはこんな長ったらしい思考の末だった。

敬老とは「老いを敬うこと」と定義してみた。
老いを敬うことの正当なる理由を思いつくまま挙げてみよう:
① (最優先すべきは)これまで命を長らえた幸運
② 長い経験から得た実践的叡智
③ 身体の老化に適応する順応性
④ 何かを受け渡す充足感
⑤ ①~④を統合した、しかしながらの虚無感
すなわち 「老いることは長期間の生の証として、老人理論を振りかざし、体の不具合を我慢し、小さな財産に固執し、無を目前にすること」

だとすれば へそ曲がりのぼくが選択する理想の老いの道は:
① 長生きは己の徳ではないと心得る
② 昔話、自慢話しかしない
③ 痛い、苦しい、と声に出す
④ 誰にも何も残さない、できればゼロにする
⑤ ①~④を統合した鼻つまみ爺さんになる
すなわち、等身大の自分でいようと足掻き続けることが、ぼくに残された道なのだろう。

敬老の日、国からのサーカスプレゼント連休を愉しむ若い世代がいるように、「老い」を本気で考える老人がいる。
すべての老いに若きに捧げたい「命短し 悔い無き人生を」と。
敬老の日は憂鬱な日だと確認する 今日である
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