28.《 衣食足りて礼節を知る日 》 2022/7/21

文字数 1,507文字



中国東北地方への旅行で親しくなった観光ガイドさんの言葉だった。
「みんな腹一杯食べることができるようなりました、鄧小平さんのおかげです」、
働く喜びに輝いていた。
今から30年前のことであるし、東北地方瀋陽に住む方の感想だからある程度バイアスがかかっていたかもしれない。
ここから説き起こして、今に至り経済大国になった中国は衣食足りて礼節を知ることになったのか?などと野暮な問いを発するつもりはない。

実はこの話には続きがある。
「では衣服はどうですか、例えばジーンズは手に入りますか?」
「??ジーンズって何ですか」
ガイドさんは年配の方だからジーンズを知らないのかもしれないが30年前(1990年前後)日本はバブル景気が破綻したころ、僕の周りではジーンズはもはや衣類の定番から外れていた記憶がある。
「衣」は「食」と同等のレベルにはないことを、この時実感した。
英語だと同じ意味の言い回しで  WELL FED, WELL BRED が近いらしい、
ただし「よく食べてよく育つ」だからやはり「衣」は入っていない。
それでは一歩譲って「食」が足りて初めて礼儀や節度を学ぶものなのだろうか、
本当にそうなのだろうか?

実例として、落ちぶれたとはいえ世界3位の経済力を維持している日本人は礼節を知る生き物なのか?  気になるところである。
結論は簡単だ、礼節を知る人もいればそうでない人もいる、
何事も一括りで判断してはいけない。

しかし、大きな危険信号が今年になって灯った、物価高騰である、それも生活必需品・食料品の大幅な値上げである。
一方で巷間騒がれているように個人所得はこの30年間ほとんど上昇しなかった。
さて、「食」が足りなくなるかもしれない状況を前にして「礼節」の心配をしなければいけない。
もちろん、食べるものがまったくなくなったり、芋の蔓や水団を食べることになることはないだろうが、、一般世帯においては「食」に関するお金を切り詰めるようにならざるを得なくなるだろう。贅沢な外食は控える、食材のレベルを下げる、食事の量を減じる、こんな対策を今から覚悟している。

並行して自分で買い物し、下準備し、調理することも大切になるだろう、節約と同時に「食」の本来の姿を知ることができるからだ。そこには「食」が足りることの意味、そして「食が足りなくても礼節を知ること」の道筋がきっと見えてくる。

昔 僕たちは年長者からこういわれてきた・・・お米一粒を大切にしなさい、お百姓さんが一生懸命育てたものだから。
「食」に限らずすべての身の回りのものに感謝しながら接することができれば「食」に限らず何かが足らないからと言って礼節を忘れ去ることはない。
特に、年金生活者である僕は毎日の食事を、身に着ける洋服を、寝起きする住まいを、有難く思う。
もはや成長するための養分(食)はいらない、豪奢な身なり(衣)を楽しむこともない、雨露をしのぐ場所(住)があればいい。

問題は本当に「食」が足りない、感謝する「食」すら手にできない人たちが日本にいることだ。
政治が救済できない経済格差に苦しむ人たちに「食」への感謝を求めることはできない。
「食」に続いて「教育」機会の喪失が起きるところに礼節欠如の芽が出てくることは想像に難くない。
「食」への感謝は「食」が生きるための第一の手段になったとき脆くも消え去るだろう。
「人はパンのみに生きるにあらず」という別の格言がある、しかし「パンのみ」という但し書きは、パンが必須だといってもいる。
パンのために礼節を忘れる人が増えてこないか?

世界的食糧不足、食糧高騰の時代を目の前にして、日本人のみならず世界が「礼節」を失くすことを心配する今日である。
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