22.《 寛容の日 》  2022/6/15

文字数 2,458文字




【 心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他人の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま】 を寛容という。

割と使い勝手のある言葉だから頻繁に使う・・・寛容の想いに満ちた小説だった・・のように。
だけどその使用傾向を顧みると、ほとんど他者(人やモノ)を評価する際に使っている自分がいることに気づく。
自分の行動規範に「寛容」はあるのか?と問われれば、少し狼狽えてしまう。
ナルシストを自認する僕には評価の対象が常に自分自身である、という特殊な条件があるためだろう、そして正しいのはいつも自分でしかない。
言葉を変えると、自分に対立するものは須らく邪悪とまではいかないまでも、理解する対象から外れることになる。
対立する人間や組織を単純に嫌う、かかわりを持たない、適当にお茶を濁す、・・・そうやって生きてきた、それをもって孤高と称するのもナルシストたる所以であろうと、心の奥底ではちょっとだけだが戸惑いつつ、これまでそんな風に生きてきた。
いったん不信感を抱くと執拗にその思いを継続させる、いやな性格である。
一言でいえば、僕には寛容の精神が欠如していた。

絶対的信頼を持つ(持ちたいと願う)対象として「お医者さん」がいる。
命を預ける相手に迷いがあってはいけない、たとえ完全な人間はいない、人は失敗する動物だとわかっていても。
直腸癌手術(48歳)を受けた外科ドクター、肩鍵盤断裂修復手術(70歳)を受けた整形外科ドクターには今でも全幅の信頼を置いている一方で、そうでないドクターもいる。
ただし一般的に言えば、お医者さんの仕分けは実は簡単だと思う。
いわゆる「かかりつけ医」は身近にいて気安く相談できる健康カウンセラーと位置付ける。
重篤な症状に際してはその「分野の専門医」をかかりつけ医に紹介してもらう。
かかりつけ医も専門医も信頼して、命を預けられるというわけである。

お話は続く、この医者分担の構図が取れないケースがある。
動物病院に関してである。
ビーグル犬三代と過ごしながら、いまだに獣医さんの仕分けができないままでいる。
ごく近所に30年お付き合いしているかかりつけ獣医さんがいる、狂犬病ワクチン接種、フィラリア予防薬投与はこちらのルーティンだ。
一方で、残念ながら重篤な症状を診てもらう専門獣医さんを、いまだに特定していない。
想像するに、大学(獣医学部)にはそのような専門獣医さんがいるのだろうがこれまで実際に診てもらったことはない。
近年、駅周辺ショッピングモール内に動物病院があることを知った。
二代目ビーグルの時から、かかりつけ獣医さんでは改善されない症状の場合には診察を受けている、専門獣医さんというよりはセカンドオピニオン獣医としてかな。

僕の問題は、何が重篤なのか、どんな時専門獣医さんに診てもらうといいのかの基準がないことだ。選択を誤ると、これはかわいい家族犬の命に係わる。
二代目の病死に際し専門獣医には診てもらわなかった、特に理由はないが何となくそうなった。
三代目がうちに来た当初ペットショップ・コフに感染していたが、かかりつけ獣医の治療では完治せず、セカンド獣医の薬で治った。
どうやら、「かかりつけ・専門」の仕分けが僕なりにできつつあるような気がしていた。

三代目COCOが1歳を過ぎて月経がはじまった、二代目での記憶が鮮明でないのは彼女がひ弱だったからだろう。
そんな二代目は遅目(2歳過ぎくらい)で避妊手術を受けた、かかりつけ獣医の執刀だった。
さて、COCOはどうするか?
避妊手術そのものは現在では特殊なものではなく、二代目のこともあったのでかかりつけ獣医に任せた。手術は専門獣医だろうと思う気持ちがなかったわけでもないが、前例に従った。

手術は簡単、当日一泊入院して翌日退院、一週間後抜糸という予定だった。
手術当日9時半にCOCOを預ける、「夕方また連絡します」というかかりつけ獣医の言葉を聞いて帰宅する。
夕刻6時過ぎ電話がある、「COCOちゃんは元気です、手術は無事終わりました。がちょっと問題があります・・・」
詳しくは病院で・・・ということで取るものも取り敢えず出かけた。

手術に際し脾臓を傷つけた、たいした傷ではないがあと三日入院して様子を見たい…とのことだった。なぜ脾臓を傷つけたかの説明も受けた、COCOの脾臓が不測の場所にあったという。
通常と違う局面に対応できなかったことを、医療過誤というのかどうか、よくわからない。
僕がとっさに思ったのは、専門獣医に任せなかった自分の判断過誤だった。
専門獣医でも不測のことが起きたかもしれないが、やはり悔いは残った。

翌日の夕刻、電話でCOCO の様子を知らせてくれる、元気でいるらしい。
それから毎夕4日間、かかりつけ獣医から毎日COCOの経過報告を電話で受けた、毎回肯定的なお知らせだった、「今日も元気でよく食べてます」。
脾臓の悪化は貧血症状として現れる、COCOの歯茎の状態を見て、その傾向は99%無いとのことだが、僕としてはデジタルでまたは映像などで確認してほしいと訴えた。
ちっちゃなCOCOの体ではX線、エコーでは判断できないとのこと、血液検査は万が一のために静脈を確保しておきたいので退院予定日の前日に実施するとのこと、渋々納得した。

明日退院という夕方、血液検査の結果、赤血球、白血球とにも正常で問題がないとの事前通知があった、5日ぶりに少しだけ安心して眠ることができた。
数値結果詳細を退院の時にも説明してもらい、もう少し安堵した。

医者は命を預かる仕事だけに、一般のそれとは根本的に異なり責任が大きい、それはよくわかる。そして人間は完ぺきではないことも、我が身を振り返れば、よ~くわかる。
今回 COCOに降りかかったトラブルは、物言えない動物だけに家族としては苛立ちばかり覚え不満が蓄積する経験だった。
その怨嗟にも近い感情を少しづつ治めてくれたのは、30年もの長い付き合いのかかりつけ獣医の細やかな対応だった。

寛容の気持ちを知ることになった、貴重な今日である。
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