77. 《 バカラの日 》 2023/6/14

文字数 1,291文字



バカラグラスを割ってしまった、何個も割ったあげくの果て最後のバカラを。

ぼくが手にした最初のバカラはワイングラスだった。
イタリア産ミネラーレコンガス(発砲ミネラル水)の雑誌広告制作の時、バカラグラスを使った。その時コンサルタントとしてイタリア食品商社の広告を担当し、企画からデザイン、コピーライト、媒体手配まで請け負っていた中での写真撮影だった。
いわゆる「白物」という色味のないミネラルウォーターを印象深く切り取るため、高級グラスの底から立ち上る泡を狙ってのショットに大苦戦したことをよく覚えている。
備品として購入したバカラの処分をクライアントに問いあわせたところ、そっちで好きなようにしていいよ・・・とのことだった。
商社でバカラグラスを一個だけ保管する意味がないといえばない、代わりに僕がバカラを預かることにした。自宅でワインを飲むという形でお預かりした。

確かにバカラで飲むワインは格別な味がした(ような気がした)。
その後、ビアグラス、オールドファッショングラスと揃え、一端にバカラファンを気取る。
とはいえ、バカラ製品は高額なので複数セットではなく自分一人用に限定した品ぞろえになってはいた。
夏の夕暮れジョギングの後の冷えたエールビール、
爽やかな渋みが身上のキャンティクラシコ、
心地よいブレンドのジョニーウォーカー・ブラックのオンザロック、
お酒好きのお楽しみにいつもバカラが付き合ってくれた。

最初からバカラを洗うのはぼくの役目にしていた、家人もいやだと言っていた、万が一割ってしまうと申し訳ないと(ほんとは間違いなく喧嘩になるから)。
そのうちアルコールに弱くなり始めたのと時を同じくして、目がかすみ手が震えるようにもなった、すべては加齢のせいである。
グラスの縁を蛇口に当てる、洗剤で洗っている時滑って取り落とす・・・不注意から失敗してバカラを失くしてきた。

最後に残ったウィスキーグラスは、ぼくの最後の拠り所になった。
このグラスが割れてなくなるときは心身の健全を失うことになるだろうと思った。
まるでO・ヘンリーの「最後の一葉」のような「最後のバカラ」になった。

最後のバカラはキッチンではなく酒棚で粉々になった。
ウィスキーを注ぐためバカラを置いたまではよかったが、ウィスキーの大瓶をグラスの上におろした、それも力強く。
原因は単なる物忘れ(ボケ)、グラスを棚に置いたことを忘れていた、たった2~3秒前のことを。恐れていたことが現実になった。ぼくがぼくである証が危うくなっていた。

せめてその前に、最後の一葉が煉瓦に描かれたようにグラスが割れない工夫を施しておけばよかったのか? たとえば仏壇の奥にそっと鎮座させるとか・・・。
いやいや、グラスはいつか割れてしまうもの、いつか必ず死んでしまう人間と同じだ。
よくよく考えてみれば、「最後の一葉」で蔦の葉を描いた画家は嵐の中の作業が原因で亡くなっている、一つの命が入れ替わっただけに過ぎないではないか。
何かに縋り付いて生きる無意味さをO・ヘンリーは伝えたかったに違いない。
・・・と開き直りながらもバカラの味わいを懐かしく思い出している 今日である。
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