29.《 お家に帰る日 》 2022/7/27

文字数 1,270文字




「長いお別れ(2019)」、と言ってもチャンドラー作品ではなく山崎努さん主演の邦画の中で忘れられないシーンがあった。
山崎さんとは黒沢フィルム「天国と地獄(1963)」で強烈な出会いが今でも印象深い、エキセントリックな犯人像を作り上げていた。その後もシネマの世界でお目にかかるごとに個性的な役を嬉々として演じているようだ、個性的演技派面目躍如である。
そんな脇専門名優が前述の「長いお別れ」で主役として演じたのが認知症老人だった、どこまでもユニークな俳優さんだ。

忘れられないのは山崎さん演じる父親が夕食が終わってすっと立ち上がり、「じゃあ、家に帰る」という場面だ。
家族が口を揃えて・・・「お家はここですよ、お父さん」、毎度のことのように狼狽することもない様子が痛々しい。
どうやら、この「家に帰る」という発言は認知症状における典型的言動のようだ。

僕が父親からこの言葉を最初に聞いた時も衝撃だった、当たり前だが。
父が92歳の時から同居することになった、それまで近所で一人暮らししていたが老齢による不都合が諸々噴出し、半ば無理やりに我が家に住まわせたのだった。
最初は、強制執行に納得がいかなくて・・「家に帰る」と反抗しているのかと思ったが顔つきから見てもそうではない、困惑しているのだ。
何度か「家に帰る」発言を経験していくなかで、確信に近いあることに気づいた、父は今旅の途中なのだということを。

では父が帰ろうとした家は何処なのか?
1923年満州で生まれた父は、満州、中国、朝鮮を転々とする少年時代を過ごした。
兄弟姉妹6名と両親、家族全員が一緒に暮らすことはまれだったのは祖父の仕事関係から致し方なかった、と聞いている。
戦後の生活においても、職業柄(警察官)転勤が頻繁にあったことも影響して父が自宅を持ったのは46歳の時だった。この自宅で24年過ごした後、母の死後僕の住んでいる海老名に越してきた。
海老名のアパート(僕の自宅そば)で22年、その後僕の自宅で7年過ごしている。
さて、年数で判断すると高松の自宅が一番長い、父が帰りたいと思ったのはここなのだろうか?
「どこに帰りたいの?」と聞いたこともあるが前述のように本人が困った様子になるので追及できないまま、「家」の正体は不明のまま父は逝ってしまった。

父の心に存在した「家」は、もしかして過ごした年月で測れるものではないような気がして仕方ない。
僕が知らない中国租界(上海、天津)で過ごした家、
僕が知らない満州(奉天、新京、哈爾浜)で過ごした家、
戦争中過ごした軍隊の兵舎、
母と新婚の日々を過ごした駐在所、
父の心の家はきっと楽しい思い出でいっぱいの場所だったに違いない。

では、僕の「帰る家」は何処なのだろうか?
物心ついてから住んだ家を数えてみると、11か所ある。
それぞれに忘れがたい思い出がある11か所、でも実際帰ることなどできない10か所、帰ることができるのは今住んでいるところだけ。
その10か所の懐かしい「家に帰る」ということは、たくさんの思い出に浸るということ。
そんな大切なことに気づいた今日である。
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