33.《 惜別の日 》 2022/8/24

文字数 1,472文字




37歳から63歳までの26年間に52回トライアスロンレースに出場した。
そのきっかけは雑誌「ターザン」創刊企画「チームターザン募集」に応募し採用されたことだった。
詳細は【あるいはトライアスリートという名のナルシスト】でご確認いただきたいが、このチームターザン特集はあのバブル経済を象徴する豪放贅沢な催しものだった。
バブルの真っ只中1986年から二年間チームターザンメンバーとしてトライアスロンをスタートできたことは、僕の人生の中でも楽しい思い出のかなり上位に位置する一幕になっている。
編集企画記事として隔週発刊される雑誌に、チームターザンの動向がレポートされる、素人が世界選手権レース(ハワイ・アイアンマン)に挑戦するリアルタイムドキュメントだった、その企画は多数のスポンサーによって支えられていた。

前述のとおり、世はバブル景気真っ盛り、土地もマンションもありとあらゆるものが高額で取引されていた。
ニューコンセプトのトライアスロンにも関連業界がビジネス拡大のチャンスと虎視眈々だった。
バイク(パナソニック)、シューズ・ランニングウェア(ミズノ)、バイクウエア(パールイズミ)、リストウォッチ(セイコー)、ヘルメット・ゴーグル(スワンズ)、ウエットスーツ(アートスポーツ)、ジムトレーニング(ノーチラス)、移動用ウェア(ラコステ)の各社はチームターザンに物品を豊富に提供してくれた。
僕は有難く感謝しながら丁寧に提供品を使わせてもらった。
あれから40年近くが経過した、消耗品に永遠の命はなかった。

協賛メーカー商品のほかに、バイクケースもいただいた。
初めて手にしたバイクケースはメーカー生産品ではなくひとつひとつ手作り、アルミ素材で造られ、ホイール、ペダルを外し、ハンドルを緩めるとコンパクトなケースにバイクがしっかりと収納された、よく考えられた傑作だった。
このケースは、チームターザンが目指すハワイ・ビッグアイランドに出場することを最初から想定したグッズだった。

ハワイアイアンマン出場というチームターザンのミッションを僕は達成できなかったが国内、海外(グアム)遠征で役に立った。
トライアスロンレースは原則として海でのスイム、陸上でのバイク・ランすべてに地元の許可と協力が必須であるから、どうしても遠隔の島での開催が多かった。 
時同じくしてバブル時代に便乗しての地方村おこし運動がブームになり、島部がトライスロン誘致という方策に至ることもあり島部開催に拍車がかかった。

チームターザン二年間が終了してから後の24年間、僕はトライスロンに魅了されたまま趣味として自力でレースに出場し続けた。
当然ながら、チームターザンのグッズを使うことはできなくなったし、前述のとおり時間とともに消耗品は無くなる。並行してバイクはじめすべてのトライアスロンギアは最高のパフォーマンスを追及して改良進化し続けていった。
しかしそんな中で、ターザンのバイクケースは永遠の光を放って僕のそばに居てくれた・・・宮古島、徳之島、フィジー島、ハワイ島、オアフ島、済州島に同伴してくれた。
車で遠征できないレース地には必ず、このバイクケースがいた。

そんな長年の戦友とも別れる時が来た、前エピソード(32.振出しに戻る日)にある通り、再び家族が7人になることから改めて不用品を廃棄し、居住スペース回復の決断をしたのだ・・・
「捨て去る」今日を再び迎えたのだった。

唯一残っていたチームターザンの証が消えてゆく寂しさ、
それ以上の深い感謝に包まれて幸せな今日である。
「バイクケース 本当にありがとう」。
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