80. 《 サバティーニの日 》 2023/7/5

文字数 1,815文字




かれこれ20 年以上付き合っている膝・股関節の不具合に加えて加齢が原因のそれが頻発している。
まず家族の声、テレビの音が聞きづらくなった、昔風に言うと「耳が遠くなった」。
奥歯が割れた、救いようがないので抜歯した、どんどん8020が危うくなってくる。
記憶が飛んでしまう、そもそも記憶できないのかもしれない、認知症のどのレベルかわからないが間違いなくボケてきている。
緑内障になった、物をしっかりと見つめることができない瞬間がある、いわゆる視野狭窄である。
かくして、ロキソニンテープをベタベタと下半身に貼り付け、補聴器(集音器)を耳に突っ込み、歯茎で柿ピーを噛み砕き、今日の年月日・生年月日を思い起こし、眼圧を下げる目薬に痺れる毎日を過ごしている。

その反動のように、昔の人たち、昔の唄、昔の話を唐突に鮮明に思い出してしまうこと多く、我ながら驚き訝るこの頃である。
毎夜夢の中に昔の知人友人が登場して鮮明ではあるが夢らしい不可解な言動でぼくを困らせる、つまるところナイトメア・悪夢である。
流行歌「お富さん」、童謡「汽車」、軍歌「空の神兵」、そんな雑多な古い歌たちがが勝手に口端に上がってくる、・・・歌詞はさすがにおぼつかないところがあるものの。

昔話といってもも多種多彩だ。
今朝突然のように思い出した昔話のキーワードは「サバティーニ」、朝のTV番組で紹介されたイタリアレストランからの連想だった。正確な年月日は思い出せないが1986年から1988年の間のいつかに起きた二つの昔話である。

そのころ ぼくはイタリア家具メーカーKARTELL社の日本法人を任されていた。
ミラノ本社のデザイナー(兼社長夫人)が来日し夕食を共にしたのが「サバティーニ」、ローマ・サバティーニの東京店だった。
本格的なイタリア料理を提供するスノッブなお店という評判だったが、この時社長夫人に招待されるまで訪れる機会もなかった。イタリアをそのまま青山に運んできたというコンセプトだけに、インテリア・家具・小物は見事なイタリアンハーモニー、お料理はただただ美味しいという感想しか覚えていない、印象的だったのはテーブルごとに回って演奏するバイオリニスト まるでビスコンティの映像世界だった。
支払いを済ませた社長夫人が呟いた言葉が忘れられない、
「今夜の領収書を額に入れて飾っておくわ 一生の思い出にね」
これがサバティーニ逸話その一である。

逸話その二の舞台はフィレンツェ。
KARTELLミラノ本社でのワールド会議(世界の特約店、子会社、支店が集まる)を終えて週末にフィレンツェに向かった。同行していただいたグループ会社幹部のKさんがフィレンツェが初めての僕のために市内を丁寧に案内してくれた。
「おい 香川君 今夜はサバティーニに行くよ」
と言われた時 僕はサバティーニのフィレンツェ支店だと思っていた。
お店の支配人に東京のお店に行ったことがあると告げると、けげんな顔をしていた。
サバティーニにはローマとフィレンツェの二つの系統があること、そのころ名前を巡ってもめごとがあることをKさんがそのあと教えてくれた、どうりで・・・。
お店の名物は ビステカ・フィオレンティーナという地元牛のグリル、例えれば極めて上品なTボーンステーキといったところだろう。単純にフィオレンティーナとも称せられるこのステーキはとびっきり美味しい一品だった。
ただ、一週間以上イタリア料理ばかり食べているので、つい「明日の朝は味噌汁で御飯を食べたいですね」と冗談で言ったところ、
「バカヤロー 俺も我慢してるんだからそんなこと言うな」、Kさんに本気で叱られた。
Kさんとは働き止め後も定期的に麻布でイタリアンランチをご一緒した、この昔話を一緒に語ることもできないのが残念だ、彼が亡くなってからすでに久しい。
フィレンツェ・サバティーニで食べたフィオレンティーナ以上のグリル牛に出逢ったことは二度とない。その後 海外顧客の招待で銀座マキシム・ド・パリでいただいた神戸ビーフグリルも、一瞬心揺らぐものがあったがフィオレンティーナに軍配を上げた。

今日のエピソードのポイント:
サバティーニの二店、マキシム・ド・パリ いずれも一度だけ訪れたレストランなのに、お店・料理・同席者を鮮やかに詳細に思い出せる不思議。
30年以上前のことが昨日のことより明瞭に思い出せる奇怪現象。

加齢もまんざら捨てたものではないと 自虐快楽に浸る 今日である。
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