71. 《 PTの日 》 2023/5/3

文字数 2,861文字


 HP



PTという聞きなれない略語を知ったのは3年ほど前の夏だった。
2020年7月末、僕は神奈川リハビリテーション病院に入院して久しぶりの手術の準備をしていた。
それまで4回入院経験があった、痔の手術、右鎖骨粉砕骨折修復手術、同鎖骨固定プレート金具取り出し手術、直腸がん手術、すべての手術から無事生還回復できたのは幸運な経験だった。

今度の入院理由は左肩鍵盤断裂腱をもう一度骨にくっつけるという修復手術のためだった。
自宅でのウェイトトレーニングの際、左肩にグキッという音とともに痛みが走ったのが2019年4月のことだった。ウエイトが過剰だったわけでもなく、メニューも一般的な肩プッシュだった、間違いなく加齢による腱の劣化による断裂だろう。
最初 かかりつけの整形外科ドクターは、「50肩症」(70歳でも50肩)だろうとの診断で、それからヒアルロン酸注射を定期的に受けたが、1年半になろうとしても全く改善しないばかりか、安眠できないくらいに痛みが激しくなった。
念のためということでMRI検査をしたところ、見事鍵盤を支える棘上筋が切れていることが判明した。

すべての問題は原因がわかれば後は解決方法を選択すればよい、もちろん解決方法がいつもあるとは限らないが。
かかりつけドクターからの提案は二つだった。
①特に何もせず薬で痛みを緩和して我慢する、手間も出費もないがQOLは当然低下する。
②棘上筋修復手術を受ける、入院、リハビリが必要なので時間に余裕がないと難しい。
近隣の鍵盤修復手術可能な病院(ドクター)を紹介された、お薦めだったのがお隣厚木市にある県立神奈川リハビリテーション病院。
病院名にリハビリが入っているだけあって、手術後3週間の入院リハビリが条件になっている。
当該病院はリハビリ全般とリハビリ必須の手術を専門にしている、人工関節(股関節、膝)そして肩鍵盤手術が看板メニューになっていた。
幸いにも、サンデー毎日の年金生活者であり、24時間介護していた高齢の父がちょうど2か月前特別養護老人ホームに入所したばかりだったこともあって、後顧の憂いなく3週間リハビリセットの入院を決意した。

手術3日前に入院し、精密検査、再検査で体調を確認した。
看護スタッフとの面談で、手術前の準備、手術当夜の体制(ICU に近い)、リハビリ概要を頭に叩き込む。看護師(ナース)には男性が二人いるがチーフ・サブともに女性、リハビリ責任者は男性だった。
この時初めてPT、OT という職名を知ることになった。
PTは理学療法士(physical therapist )、OTは作業療法士( occupational therapist)のこと、それぞれ身体能力回復、家事・仕事復帰のための訓練を受け持つ専門職だ。

手術は各種穴を7本(!)肩回りにあけ、内視鏡によるものとの説明に安心した。
かって右鎖骨粉砕骨折の際は鎖骨に沿ってざっくりと切り開かれそのあとが今も残っているくらいのワイルドな手術だったことが今でも軽いトラウマになっていたから、内視鏡手術が天使のように思えた。それでも手術は全身麻酔のもとに執刀される。
高齢が故の唯一の心配はこの麻酔だった、もし万が一意識が戻らないことがあると困るな・・・という程度の心配だったが。
手術自体に僕が関与できることは何もないどころか、仮死状態でいることが望まれているのだから、ここは心配しても仕方がない。

麻酔(ガス)を三秒ほど吸い込んでそこから意識は無くなった。
目が覚めると(覚醒させられると)とにかく肩が痛かった、そりゃそうだろ7本も穴をあけたのだから。妻が搬送中のベッドに寄り添って4時間かかったよと教えてくれる
僕は、もう一度目覚めることができてよかったとしか思い浮かばなかった。

手術当夜は痛みで全く眠ることができなかった、鎮痛剤点滴量はしっかりと抑制されていた、過ぎたるは及ばざるがごとしなのだろう。
過去の鎖骨手術の時、鎮痛剤注射に依存している自分がいたことを思い出し、この痛みを我慢すれば先は明るいと言い聞かせたが、猛烈な痛みと身動きできない姿勢に値を上げてしまった、その後入院中一度も熟睡することはなかった。
翌朝の看護師さんは男性だった。
尿管カテーテルはじめ各種機器接続チューブの除去、体洗浄、着替え(リハビリ用服装)を細やかな配慮で介助してくれる。しかし3週間入院中、男性ナースは2名、圧倒的に女性ナースが多かった。それでもナース職に男性が進出していることを実感し、微かに世の中が変化していることに気づいた。

肝心のリハビリは手術翌日からすぐに開始された。
肩ホールダーを装着してPT、OTそれぞれ1単位受ける、まだフラフラしながらも復帰を目指す挑戦が始まった。
2020年夏はコロナ感染波が初めて確認された時、病院は外来リハビリを休止していたが、入院患者のリハビリは通常通り土・日も含めて実施された。
コロナ対策の一つとしてPT 、OTともにチーム編成になっていた、チームメンバーが感染してもそのチームが活動を止めることで全体への感染拡大を食い止めるという対策が講じられていた、みんなコロナには戦々恐々のころだった。

このためPTはYさん他2人、OTはFさん他1人の2チームに接するだけのリハビリだったが、プロに徹した優しくも厳しい対応に感服してしまった。
病院内 まるで体育館のような広大なスペースに患者とスタッフがペアーとなって回復に向け立ち向かう壮観を忘れることができない。
リハビリ内容は多種多様、患者数だけリハビリ対応があることを思い知る、脊髄障害、脳障害、事故後遺症などリハビリのため転院してきた患者も多数いた。
肩鍵盤修復などは最も軽度な症状だと気が付いた時、まだ痛む肩身が余計に狭く感じられた。

PT、OT ともに国家資格の専門職、ここのスタッフ100名近くの半数は女性、きっとジェンダーのないやりがいのある仕事なのだろう。
リハビリということは、これから実生活に復帰する方々の手伝いをすること、医療従事者として「希望」の占める割合の大きい仕事に違いない。
PT、OTの仕事に個人的興味がわいたのも不思議ではなかった。
高齢化で老人が増え介護マーケットが拡大するなか、将来性の高い職業に違いない。

退院した後も、かかりつけ整形外科クリニックでリハビリを一年間・週2回続けた、ここでも優秀な女性PT Hさんに巡り合った。僕が出逢ったPTみな感じの良い優秀な若者ばかりだった。
彼女はもう一度フルマラソンを完走したいという願いを聞き届けてくれて、肩リハビリに加えコア部インナーマッスル強化も引き受けてくれた。
そのおかげもあって、2021年12月 ホノルルマラソンを、キャリア最後のマラソンを完走することができた。
お世話になったすべてのPT、OTに深く感謝している。

この春 孫のユウキがPT を目指して新たなスタートを切った。
きっと優しくて優秀なPTになるだろうと信じる爺馬鹿の 今日である。
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