14.《 田舎に住む日 》 2022/4/20

文字数 2,769文字




海老名市に移り住んで40年をゆうに越えた、人生の半分以上を此処で過ごしてきた。
生まれは讃岐(香川県)観音寺市 8歳までのんびり過ごし、その後県庁所在市高松で高校卒業まで四国の田舎都市で青春を謳歌した、
・・・と言いたいところだが、僕の青春には「グラフィティ」も「デンデケデケデン」も「Quadrophenia」も無かった、あったのは受験戦争だけだった。
恋に溺れることもなく、部活に背を向け、ただ映画館の暗闇で秘かな愉しみをため込む以外は大学受験の道筋に沿って勤勉していた。
一年浪人して臨んだ大学受験は歴史上一度だけの東大受験がない1969年、トコロテン式に志望校が押し下げられたこともあって受かるであろう大学に目標を変えた、行きたい大学ではなく。
大学4年間は大森(大田区)の学生寮で過ごし、卒業後は笹塚(渋谷区)のアパートに住んだ、卒業直前に結婚していたのでお互いの通勤に便利な都心を選んだ。
新婚生活2年 そろそろ家族を持つと決めその為に少し広い家を探した。
神大寺(横浜市神奈川区)の公団住宅に当選し引っ越したのは1974年の暮れだった、敷地にスーパーマーケット、保育園、クリニックもあるマンモス高層団地の1LDKで長男が生まれたのが1975年、家が広くなった分通勤時間がそれまでの倍になった(1時間)。

海老名市に格安の分譲マンションが抽選販売になっているから冷やかしに行こう・・と職場の先輩に誘われたのは、二人目の長女が2歳過ぎのころ、
1LDKでは今後手狭になると思っていたし、階下の部屋から騒音のクレームがあったりで、軽い気持ちとかすかな期待で「海老名」とやらに出かけた。
当日はお弁当を作ってピクニック気分で初めて相鉄線に乗り込んだ、終点に着いた時乗客がほとんどいなかった、1979年の海老名駅だった。
駅前はがらんとした広場でお店はパン屋兼お菓子屋の1件だけ、マンション案内のチラシにある駅から南方面に目的のマンションが見える。
マンションまでは湿田と小川と稲刈りの終わった田圃が延々と見渡せる、マンションまで何もなかった、そこに至るのであろうと思われる農道が一本。
想像以上の田舎ぶりに愕然としたが、子供たちは嬉しそうに田んぼの中で切株に躓きながらも追いかけっこに夢中になっている。
子供にとっては、毎日がピクニックになるのだろうが、僕にとっては毎日片道二時間の遠征になるな・・・と思ったが、即座に否定した「いや、それはありえない」。

マンション抽選会場広場でお弁当を食べた後、どうにも気が向かないままモデルルームを見せてもらう。
2LDK/74㎡の間取りは広々として、神奈川県公社物件なので建物・内装・設備・共同施設も充実している、何よりも新しい、当たり前だけど。
とはいえ・・・「ありえない」と心の中でつぶやきながら価格を確認する。
1600万円~となっている、角部屋が高くなっている、5階建てなのでエレベータはないから低階層がいくぶん高い、1階は庭付き・・・。
次は抽選申し込みの状況、1部屋だけ1件の申し込みがある、つまり無抽選。角部屋ではないが1階の部屋。
「僕がビットしても確率は50%だよな・・・」
ふと階下から騒音クレームで妻が悩んでいることが思い出される。
1階だったら誰からも文句を言われることもない、二階の騒音は我慢すれば済むことだし・・・
気が付いたら、その物件を申し込んでいた、申し込み最終日の夕方だった。

数日後、当選通知が来た、生涯で一番高価なくじ引きに当たった、ラッキー29歳だった(?)。

覚悟はしていたが、新しい住居地は田舎だった、それも格別の。
都心への通勤時間は片道2時間超、夜遅く酔った折には農道から足を踏み外し沼地に落ちた。
ライフラインを調達する小売店がなかった(スーパーは無論)、毎日曜日バスに乗って隣町(厚木市)まで食料品を買い出しに出かけた。
公的機関もなかった、警察署は座間市、病院は厚木市、法務手続きは大和市まで出かけた。
夏の夜には食用ガエルの大合唱モウモウ、朝になるとザリガニが小川から溢れて農道を占拠していた。
その小川には鮒、鯉が群泳し釣り糸が無意味、手づかみし放題の混雑だった。
小さな前庭にはイタチが出現し、たくさんの昆虫が訪れた。

あれから40年以上が経つ。
すこしづつ海老名市は変わっていった。
一本だけだったアクセス農道の横に幅広の道路が通った、そこに警察署、消防署、市役所が集約新設された。沼地の一部はファミリーレストラン群に変わったが、まだ田圃は残っている、だからあの農道も健在だ。
駅周辺にショッピングセンターが4か所作られた、イオン、丸井ビナウォーク、(ダイエー)ショッピングプラザ、ららぽーと海老名。
地域中核医療センター(海老名総合病院)が開院しER対応もしてもらえるようになった。
日本初(!)のシネマコンプレックスの他にもう一か所シネコンができた。
川はコンクリートで覆われ鮒・鯉はいなくなった、カエル・ザリガニは一番最初に消えてしまった。

7年前働き止めした、65歳の時だった。
その頃から海老名の近代化はスピードアップされた、駅周辺にタワーマンションがニョキニョキと立ち上がっていくのを見ている、いまも。
一番弱点だった外食店舗も増えてきつつある、ウィルスパンデミックの中においてもその勢いは止まらない。
僕は美味しいものに執着するグルメではないが、近くに美味しいお店があると安心する。
とはいえ、年金生活者には家庭料理が似合っている、自分で料理する楽しみも覚えたので、
せっかくの名店にも馴染みは少ないままだ。

ただし、海老名で手に入らない物がある、ネットでも見つけられない物たちがある。
試してみたい物たち、専門家に相談したい物たちがある。
そんな時は都心に出向く、海老名から新宿へ片道45分、10分間隔で電車がやってくる。
最近は遠出は控えてきた、感染症予防のため、世のため人のため・・・と言いながら結局は自分のために自粛してきたが、久々に伊勢丹デパートに立ち寄った、新宿のお店のほうだ。 

小田急快速急行で新宿まで一本、改札を通ってJR東口改札を抜けようとしたら、自動改札ゲートが赤く光ってドアが閉まった。
何度もくりかえしても、毎回ピンポーンと行く手を阻まれる。
この改札は、そういえばこの場所にはなかったような気がする、新しい接続線への入り口かも?
別の改札出口に向かう。ここでも、ピンポーン、赤いライトに閉じるドア。
係の駅員さんに訊くしかない。
「出たいんですけど・・・」
「小田急で来たんですね、こちらから出るのでしたらJRの入場料金がかかりますが・・・」
「えっと、前は出れたのに・・・いつからそうなったのですか?」
「だいぶ前からですよ、2年くらい」

2年間も新宿に降り立つことがなかった僕、立派な田舎者だった。
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