8.《 日本が沈没する日 》 2022/3/9

文字数 2,329文字



ふつうの日本人なら、僕のような変な爺さんであっても、自分が日本人であることを意識する機会は限られている。あるとすれば海外旅行した時くらいかもしれない、そこで日本国発行パスポートを肌身離さず身につけて失くさないようにする。
それでも、パスポートが手元にあっても心もとなくなる時、日本国民を意識する自分がいることに気づいた時があった。

最初は2001年9月11日、同時多発テロがアメリカで勃発した時だった。
9月11日僕は出張でソウルにいた、衝撃の飛行機突入映像が何気なく見ていた日本語放送に突然割り込んできた。
その日、顧客先近くの38度線で国連軍(アメリカ軍)を目の当たりにしたばかり、この事件で朝鮮半島のバランスが崩れるのか?  とっさに思った。
それは最悪の想定だとは思ったが、今僕はその想定地域にいることが気に入らなかった、少し焦った・・早く日本に戻らなければ。 
翌朝、一番最初の羽田行きに変更して僕は日本に戻った、着陸する際に観た羽田の様子はそのあとも記憶に強く残った、
そこには、見たこともない数の旅客機がずらりと駐機していた。
アメリカ発着の航空便が止め置かれた緊急措置に伴って全世界で旅客機の運航が中止された、ソウル発の日本行も僕の便をもって、当分の間キャンセルになった。
もしも、あのままソウルに滞在せざるをえなかったら、どうなったか?
そのあと何度も考えてみた。
ソウルでは新規取引先との会議が中心だったからソウルには親しい人間も企業もなかった。
おそらく、最悪の事態になっても何とかなったとは思うが、長期間一人での生活が強いられたことは間違いない。
その時は「早く日本に戻ること」だけを考えていた、日本国民という安全なコクーンに包まれたかったのだった。

次に日本国民を意識したのは2021年12月、新型コロナパンデミックの中で海外渡航した時だった。10月に海外渡航に関する予約を終了していたが、出発日が近くなるにつれてパンデミックが新たなフェーズに変わっていった。
感染力がアップしたオミクロンストレインが今までのデルタに取って代わり始めたのだった。
日本は(国は)すべての入国者を拒否する、日本人もしかり・・・との決定をした。
もっとも、すでに入国の便を予約しているものはこれにあらずとのことであり、僕は10月時点で「12月10日、18日」の往復便を予約していたので、日本に戻れないことはなかった。
この措置は、オミクロンを水際でシャットアウトするというドン・キホーテのような理想妄信に近い新政権のパフォーマンスではあったが、日本中が押し黙ってしまった
・・・なにか物言えば反日のレッテルすら押し付けられそうな雰囲気だった。
さすがに、海外在住の日本人の帰国を拒むのは止めようということになり、結局 日本人であれば入国(帰国)できることになった。
そこに見えたのは、「日本人」というコクーンであり、裏返せば攘夷思想、鎖国、皮肉に言えばガラパゴス根性が底に横たわっていた。
僕はと言えば、この日本の対応を嬉々として受け入れた、所詮自分が一番かわいいのだった。
14日間の自宅隔離も確りとずるしないで守ります、あとから追加になった3日間の強制政府施設隔離も喜んで・・・と。
すべては日本にいること、日本人でいることが僕の安心基盤だった。

しかしながら、「外国人入国禁止」は時代錯誤な荒唐無稽措置に違いない。
今 世界各国は条件を付けてはいるが外国人の入国を拒否してはいない。
実際僕はアメリカ(ホノルル)に隔離なしですんなり入国した、ワクチン接種2回・前日PCR検査陰性の条件はあったが。
一方で外国人は日本に入ることはできない、鎖国というよりも思想背景もない単に意地の悪い身勝手な不平等が粛々と実行されている。
まるで物わかりの悪い子供が駄々をこねているように思えて仕方がない。
そういえば、
日本そのものが「子供」のまま、まったく成長していないことに気づいたのがこのウイルスパンデミックの二年間だった。
太平洋戦争敗北で占領統治された時、マッカーサー司令官に「12歳の子供」と評された日本人、その後エコノミックアニマルと揶揄されながらも経済力を世界に見せつけた日本人だったが、所詮「未成年アニマル」にしか過ぎなかったのか。
意思決定の遅れ、実行力の欠如、旧制度依存、権益死守、政治腐敗、ありとあらゆる悪弊が湧き出て陽に晒されるのを僕は目の当たりにする。 今 日本は沈没しかかっていることを、ウイルスが教えてくれた。

小松左京原作「日本沈没(1974年)」がまたまたTVドラマ化されたのが2021年末のことだ。半世紀近くを経て、小松左京のメッセージが深く僕の心に突き刺さる。
太平洋戦争で300万人もの犠牲を出しながら、自ら反省し変革するチャンスを捨て去り、ずるずると経済活動(金儲け)にこだわり、そこに生じる歪みを無視し成長に突き進む日本に対する警告が「日本沈没」のテーマだったと、今でも確信している。
一度、日本という国土を消してしまう、日本国民を裸のままで世界の中に放り投げる
・・・・・その時日本人はどう生きていくのか?
異民族の偏見に立ち向かえるのか、勤勉で穏やかな国民性は維持できるのか、そもそも世界は日本人を受け容れてくれるのか?
壮大でありながら、厳しい問いかけを「日本沈没」を読んで受け取った記憶がある。

2022年のいま、
ウイルスが暴露した日本の実相は、48年前の警告通りになっている。
富の格差拡大、非科学的思考、不平等・差別、少子高齢化、
こんな日本が日本人のコクーンになり得るのだろうか。
日本沈没の日は決して遠くはない、すぐ目の前の今日なのかもしれない。
そんな「今日である」には出逢いたくない。

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