109.       《 爪切り最後の日 》 2024/1/24

文字数 1,278文字


COCO/ /  /




おうちから散歩だと7~8分、裏道だけど車は結構通るのでCOCOのリードをしっかりと握って歩く。いつも新鮮なお野菜を直売している知り合いの農家さんの手前、坂を上り切ったあたりを右に入る。
三代目ビーグルのCOCOは右に曲がると両手を踏ん張って後ずさりする・・・「いきたくないのっ」という声が聞こえてきそうだ。
二代目の小夏はクールにUターンしようとした・・・「わたし今日は都合があるのでちょっと遠慮するわ」という感じで。
初代のゴルビーについては、すべて妻に任せっきりだったので、この角の曲がりエピソードは全く知らない、彼との絆は細かった。

その右に曲がったところあるのはT動物病院、開放的な大きなガラスの扉だけど、病院のイメージを和らげてはくれないようで、二代目、三代目のお嬢さん方は形こそ違うがこのアプローチに入ると、必ず拒否行動に移る。
やさしいドクターご夫婦と看護婦さんのいる病院なのにね~。
ビーグルたちは人間の子供と同じ、病院の匂いや白衣や、何より仲間が発する悲鳴(のようなもの)に敏感なのである。

「大丈夫だよ 今日は爪切りだけなんだから」 と説明しても、爪切りが終了するまで安心できないようで最後にはガタガタと震える始末だ。
でも、爪切りが終わるとケロリとした様子でヘリコプターのように尻尾を振るのだ、「わたし 何にも怖くなかったよ」と言いたげに。

ビーグルたちが怯えるのにはちゃんと理由がある。
毎年の狂犬病はじめ生まれた時から多種のワクチン接種を経験している、これは立派なトラウマになる。
体調不良の時には、人間と同じように血液検査で血を抜き取られる。
この痛さはよく知っている、もっと言えば ぼくも基本的には病院は好きではない。
でも治療のために我慢するという利己的モチベーションがぼくにはある一方ビーグルにはない(と思うけど)。
ビーグルたちはぼくに強制されて治療を受けるわけだ、本人の意思を尊重されることもなく。
ビーグルと家族になるという心温まる物語の裏には、人間のエゴとビーグルの屈辱がある。

しかし僕にもビーグルを守らなければいけないというトラウマがある。
二代目小夏を急病で失った時、もっと健康に気を付けてあげればよかったと後悔したが後の祭りだった。三代目COCOには小まめに治療を受けさせている、咳をした・便が緩い・耳がただれてる・肉球が腫れた・・・すぐに診てもらう。

T動物病院は2023年末閉院した、ドクター自ら決めた定年引退のためだった。
この一年、少しづつ治療の軸脚を別のペットクリニックに移してきた。
三代目の健康管理体制に如才はない。

T動物病院には、30年間お世話になった、三代のビーグル全員がお世話になった、ワン・ワン・ワン・ダフルなお付き合いだった。
COCO最後の爪切りが終わって、感謝の言葉とともにケーキを贈った・・・・念のため付け加えておいた・・「これ、人間用ですから」


どんどん 古くからのご近所づきあいが消えていく。
これも世の常、仕方のないことだけど
寂しい想いを断ち切ることができない 今日である。
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