68. 《 故郷を想う日 》 2023/4/12

文字数 1,086文字



「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」 
石川啄木の有名な短歌、停車場は上野駅のことらしい。
「♪どこかに故郷の 香をの~せて 入る列車の なつかしさ 上野は俺らの 心の駅だ・・・♪」
「あぁ、上野駅」は1964年井沢八郎が歌った大ヒット演歌だ。

いずれも東北の故郷を想う気持ちが切々と感じられる、このように上野駅は東北につながる象徴だった。
現在東北へのアクセス起点は東京駅に移り、汽車(電車ではなく)から飛行機の時代になり東北コネクションも多様になっている。

僕の故郷は四国・香川県である、生まれ育った地を故郷というのであれば。
18歳まで県内で過ごし、そこから55年間は東京・神奈川に住み、働き、生活してきた。
人生の25% 四分の一を過ごした香川県と繋がる起点、東北の上野駅に当たるものは何か? 突然気になった。

それは連絡船の中にあった。
高松(香川県)と宇野(岡山県)を結ぶ宇高連絡船は遠い昔から四国と本州を繋ぐ象徴だった。
子供のころ香川県を離れる人を連絡船で見送った、蛍の光が流れ手にした紙テープがちぎれるまで手を振って別れを惜しんだ。
19歳からは僕自身が連絡船に乗り降りる番になった。
そのころは東海道新幹線そして山陽新幹線が開通し、東京から一本で岡山まで戻れた。
岡山から宇野線に乗り換え宇野で連絡船に乗り込むと、もうそこは故郷だった。
乗船してまず最初に船内のうどん屋さんに直行する、当時は(今もそうだが)香川県外で本物の讃岐うどんを食べる機会は皆無だった。
空腹かどうかは関係なく、讃岐うどんを一気に食べることが故郷へのコネクションだったような気がする。
連絡船の讃岐うどんが故郷の象徴だった。

讃岐うどんは、その後全国的に有名になり大手チェーンも登場している。
それでも本物の讃岐うどんはやはり香川県にしかない、ソールフォードという表現はおしゃれすぎる、うどんは香川県民にとって日常食である。
長年住み慣れた海老名市にも讃岐うどんショップが登場するご時世になった。
時折、ほんとに稀ではあるが近くの讃岐うどんショップに行くことがあるが、そこで故郷を感じることはない、啄木や井沢八郎がそうだったようには。

宇高連絡船は30年以上前に廃止され代替として作られた瀬戸大橋(高速道路)の上にはうどん屋はない、当然のことだけど。
高松空港内のうどん屋さんではだめなのか?  空港のうどん屋さんはいつも混雑していて、あわただしい。
他にすることもないぼ~っとした連絡船の一時間、故郷の香りを吸い込むかのようにうどんを呑みこんでいた時間が懐かしい。

故郷を 遠くにありて思う 今日である。
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