89. 《 子離れの日 》 2023/9/6
文字数 814文字
〈 2012年 父89歳〉
2010年 60歳のとき就業時規則上の定年退職になった。
定年を報告したとき、当時独り暮らしで87歳 矍鑠としていた父の対応がいまも忘れられない。
「お前の定年退職の報告を聞かされるとはな・・・・う~ん・・・」
父なりの想いがあったのだろうが結局言葉にならないまま絶句した。
先月 長男の誕生日にギフトを用意し彼の家に届けた。
サンデー毎日の自由な身なのでちょっとしたドライブは気晴らしになると思い、「カガワ急便で~す」と冗談にしながら配送した。
家族の誕生日を祝う習慣は程度の差こそあれどんな家族にもあると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ひとりっ子だったぼくは、必ず誕生日にはご馳走(死語か?)とプレゼントが用意されたものだ。
その慣習を3人の子供に継承した、その孫たち6人にも。
数えてみると一年のうち8ヶ月家族誰かの誕生日を祝っている。
年金生活が長いので、もはや高価なプレゼントは用意できなくなったが、思いやる気持ちは以前よりも強固になっている。
誕生日に齢を重ねることの尊さと哀しさをぼく自身が感じ取るようになったからだ。
配送往復のつれづれに前述の父の言葉を思い出したのは、決して唐突でもなかった。
父はぼくの定年を突き付けられて、ずっと脇に置いていた自分の老いを自覚したに違いない。
同様に、長男が50歳近くになった事実、その重さを自覚し少し狼狽える渋滞ルート134上のカガワ急便だった。
自分の「今日である」ことばかりに気を取られ周りの時間の経過にずっと無頓着だったことにようやく気づく。
振り返るまでもなく子供たちは皆とっくに立派な大人、当たり前だが。
では、子供の誕生日がこれから毎年ぼくの責苦になるのだろうか?
いやそうはならない、自分の老いをしっかりと見つめ直しさせてくれる子供たちの誕生日。
逃げることなく、正面から向き合っていきたい。
なんだ 死ぬまで子離れできないじゃないかと確信する 今日である。