92. 《 縁の切れる日 》 2023/9/27

文字数 1,251文字



姻戚とは「結婚によって親類関係となった者」、つまり血の繋がりのない親戚のことらしい。
翻って 親類とは血縁や婚姻を通じて結ばれた人々のうち,本人の家族以外の人々。
古希過ぎまで生きて、いまさらながら 血の繋がり云々に戸惑いを感じることを最近経験した。
おかげで我が生き方、人生観の未熟を痛感し、知性不足を思い知る時間が長く続いたものだ。
自分の人生を悟るエッセイシリーズ【今日である】なので、今回も過去に遡ることをお許しいただき、お付き合い願いたい。

ぼくは一人っ子、兄弟がいないので甥っ子、姪っ子もいないのは当然だ。
しかし、父には5人の妹弟が、母には2人の弟がいる、いやいたというのが正しい。
叔父叔母6人はすでに鬼籍に入っており叔母が一人存命しているのが現状だ、これも自分の年齢を顧みれば不思議はない。
前述の定義によれば、ぼくの親類は叔父叔母,その子供たち(イトコたち)になる。
イトコたちとの交流は叔父叔母達とのそれより希薄なのはこれも不思議ではない。
つまるところ、ぼくの親類はほとんどいなくなった。


地方公務員(警官)だった父が薄給のため扶養家族を最少人数にしたわけではないと思うが、ぼくには兄弟姉妹がいなかった。
両親共働きだったので、当時ぼくは「鍵っ子」と称される高度経済成長期における歪、ある意味ではトレンディな子供だった。小学校から帰宅し、解錠し一人遊びし夕食の準備をすることも多かったし、中学生の時は毎朝自分で弁当を作った。
両親に放置されたわけではなく、そうしないと家計が成り立たなかったくらいのことは理解していたので、辛くはなかった。その代わり贅沢とは言えない程度の物的な見返りがあったのも事実だし、周りのみんなも似たような貧乏暮らし、気にもならなかった。

ただ、夏休みなど長期学校休みの時は身の置き所がないので、母の実家で過ごした。
ぼく自身 母の実家で生まれたし、両親も新婚生活をここで過ごしたくらいだから、我が家のように思っていた。
祖父母と叔父二人が真剣に遊び相手になってくれたことをいまも細やかに思い出す。
母の実家を訪れることに何も疑問を持つことのないまま、その慣習は母が亡くなっても絶えることなく、父を伴って訪問してきた。

母方の最後の親類である叔父が先年亡くなった、父の死の翌年のことだった。
直後、姻戚となった母の実家から「もうこれからは付き合いは無いよ」という趣旨の連絡を受けて愕然とした。あれだけ長い間、濃密にお付き合いしてきた親類からの言葉が呑み込めないまま、しばらくの間思い悩んだ。
今ようやく親類と姻戚の根本的な違い、ぼくの一方的な思い込みに気付き、一時ザワリと騒いだ心のなかも穏やかになった。

落ち着いて現状を顧みれば、もはや親類も姻戚も関係のない時間帯に自分は到達している。
親類・姻戚に困惑するより、子供・孫たち・友人との関係を充実させることの方がよほど大切だ。

ここに至って、いま一つ余計な心配事を捨て去ることができた。
過去にとらわれることなく、未来に何を託すかを考える 今日である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み