第40話 ネレイドの決意
文字数 3,260文字
「うぅ……頭痛い」
単純に飲みすぎである。
それなのに早い時間を選んだのは、他の女たちが寝ていたからだ。
「もう少し休んでいけばよかったのに」
右肩に乗った、羽虫型サディールが正論を言う。
「でもぉ……皆が起きると髪やら服やら化粧やら色々と弄られて……それで私もついつい調子に乗っちゃうというか……」
昨夜の馬鹿騒ぎがまさにそれだった。お酒の力だけでなく、可愛い奇麗ともてはやされ、気づけば他の女たちの着せ替え人形になっていた。
「完全に浮かれていましたもんね。もしキルケさんがいなければ、処女を失っていたかもしれませんよ」
「そ、それは……嫌過ぎます」
「そうでしょうとも。初めてが同性で玩具なんて――あ、そうそう。一応、そのキルケさんから預かってきましたけど使います? 疑似男根」
「――結構です」
ネレイドはきっぱりと否定する。
「どうやら、大したことはなさそうですね」
反応速度から、サディールは診断した。
「……そういうのを確かめるなら、もっと普通にお願いします」
「ところで、どうして髪を解いたんです? お似合いでしたのに」
「あぁ、汚したくなかったからです」
「結んでいたほうが汚れないのでは?」
「そういう意味じゃなくて……」
気持ち的な問題であった。
「あの髪で鏡を見た時、すっごく嬉しくて楽しかったから。あれは幸せの象徴として、取っておきたいんです」
思い返した時、素直に喜べるように。
「つまり、今の姿を戦装束と決めたのですね」
ネレイドは頷く。
上手く言葉にできなかったことを、サディールは一言で表してくれた。
「はい、これが私の戦装束です」
教会の祭服に流した長い髪。
より一層赤くなった髪は魔力を帯びているからか、手入れをしなくても艶やかで燃えているように眩しかった。
「あと、一応ですけどレヴァ・ワンの使い方も決めました」
「そうですか。なら、さっそくですが披露していただきましょうか」
「はぃ?」
「お客さんです」
その言葉にハッとし、前方を見ると人がいた。
「あの格好……」
ネレイドは自分の祭服を見て、確信する。
「私と同じ?」
色こそ違えど、デザインは一緒。黒を基調とし、両手を広げると十字架に見えるよう赤いラインが入っている。
まるでレヴァ・ワンの色彩。
『……神帝懲罰機関!』
伝わってくる怒りからして、間違いないだろう。
ネレイドはどうしようかと悩むも、ペドフィはそれ以上、何も言わなかった。
「案の定、ペドフィ君は引きこもっちゃいましたか?」
「……たぶん」
念の為、声をかけてみたが反応なし。
「どうします、先代」
「別にいいだろう。それにここいらで、嬢ちゃんの成長具合を確かめるのも悪くない」
「なら、私は人型になりますか」
二代目が肩からいなくなり、代わりにベールの上に乗っていた初代が下りてくる。
「さて、あいつらは成長してるのかね」
いつもとは比べものにならないほど、意地の悪い声だった。
「期待するだけ、無駄でしょう」
サディールも同様。ペドフィのように怒ってはいないものの、思うことはあるようだ。
「現に、私がこうして人型になっただけで揉めていらっしゃる」
本当にそうなのか、五人の動きは騒々しかった。
「お嬢さん、虚勢でも構いませんので精一杯、大人ぶってください」
「……頭痛いのに、そんなの無理ですよ」
「なら、できる限り黙っていてください。それも顔を引き締めてね」
それなら大丈夫だと、ネレイドは快諾する。今なら頭痛を堪えるだけで、しかめっ面の出来上がり。
「では、参りましょう」
サディールは少女を守るように先導し、五人の前へと足を進めた。
「あなた方は、神帝懲罰機関の人間ですね?」
話し合いにこそ応じるつもりだが、友好的に振舞う気は更々ない。
「いかにも。貴方様はサディール・レイピスト。そして、そちらの娘がレヴァ・ワン――相違ありませんか?」
五人の内、四人はネレイドとそう変わらない年頃だった。どうやら、先ほどは揉めていたのではなく、叱責を受けていたようだ。
「相変わらず、女性しかいないんですね。今でも、得意なのは色香で誑かせてからの暗殺ですか?」
安い挑発だが、後ろの四人はあっさりと乗り――
「静かになさい」
怒られる。
「お初にお目にかかります。わたくしはマテリア・テスタメントと申します」
ベールを取り、女が顔を晒す。年の頃は三十といったところだろう。顔立ちに幼さは感じられず、かといって老いも見受けられない。
金色の長い髪を大きな三つ編みにして、左肩にかけるように流している。
「貴方のお名前は?」
マテリアと名乗った女は真っすぐ見つめて、訊いてきた。
「……四代目レイピスト、レヴァ・ワン」
けど、ネレイドは答えなかった。つい先ほど、そちらの娘と呼ばれたのを根に持っていたからだ。
それにキルケと比べると、この人からは慈愛が感じられなかった。
「そう。貴方のようなお嬢さんが、四代目レイピストなの」
「……」
黙っていると、
「えぇ、あなた方が散々、罪のない私たちの子孫を殺したおかげでね」
サディールが皮肉を言ってくれた。
「それは語弊があるわ。レイピストの血を引いていること自体が罪なのだから」
話を聞いていると、ペドフィの怒りがわかってくる。
この人たちは自分たちが正しいと妄信しており、こちらの話に耳を傾ける気がない。
「それで、貴方たちはここで何をしているの? アルベの街を解放してくれたのは褒めてあげるけど、その後はどうしてルフィーアなんかに?」
「五芒星の街を占拠しているのは、ただの人間でしたので。あなた方と違って、
人殺し
は得意じゃないんですよ」またしても、後ろの四人が喚きだす。
本気で怒っているところが実に滑稽だと、サディールは冷笑を浮かべる。
「冗談を。現に貴方たちはアルベの街を解放しているじゃない」
我慢できず、
「――そこには母親の仇がいました」
ネレイドはねじ込んだ。
「……」
そして、その男はまだ生きていて、城塞都市アレサに向かっているという。
だったら――少女の答えは決まり切っていた。
先祖たちの思惑がなんであれ、アレサに向かうのに異論などない。
「……」
けど、この
「……それで、満足したわけ?」
急に口を挟んだかと思いきや、沈黙。しかも、反抗的な瞳を浮かべたまま、口元は嘲るように笑みを象っている。
結果、マテリアは明らかに動揺していた。
「貴方は他の街の人たちを助けたいと思わなかったの? せっかく、神様も羨むような力を手に入れたというのに――それじゃ宝の持ち腐れじゃない」
「もちろん、困っている人は助けたいと思っています。でも、それ以上に私は魔族を殺したいんです」
それでも、少女はサディールの言いつけを守って大人な振る舞いを心がける。先祖たちと違って、相手が隙を見せたからといっていちいち煽ったりはしない。
「……どうして、また?」
ネレイドの性格が読み取れないのか、マテリアの顔に困惑が浮かぶ。
「一番助けたかった人を、助けられなかったから」
勝手かもしれないけど、それが本当の気持ちだった。
他の誰を助けても、空いてしまった心の隙間は埋まらない。何をしたって、助けられなかった母親たちのことを忘れることはできやしない。
「だから、それを一番の理由にするのは止めたんです。私は魔族を殺す。そしてそのついでで、困っている人も助けます」