第70話 アレサを守る目
文字数 4,739文字
夜と朝の狭間を選んだのは、ひとえに相手の意表を衝く為――仕掛けるにしては中途半端な時間だからか、警戒は甘かった。
ネレイドは難なく一枚目の壁を越え、
「先に魔物を駆逐して、草原地帯の魔力を全部食らうぞ」
大剣型の初代が命じる。
「いつもと違って、相手の攻撃を受けるのは論外だからな。全部、間合いの外から斬り殺せ」
「はい」
少女は勇ましく返事をして、暗闇に潜む敵に備える。
装備はいつもの黒い四肢と翼に、初代のレヴァ・ワン。ネレイドの黒包丁は魔族を殺す為にこしらえたモノなので、魔物を相手にするには力不足と判断した次第であった。
魔物――突然変異体といえど、結局は獲物を捕食するのに合理的な進化を辿る。
攻撃型が迎撃型か隠密型か。
そして、レヴァ・ワンにとって、厄介なのは攻撃型のみ。
迎撃型の基本である特殊装甲は取るに足らず、どれだけ巧妙に隠れてもレヴァ・ワンは魔の気配を逃さない。
さっそく、ネレイドは軽く宙を飛んで――地面を叩き割る勢いで大剣を振り下ろした。
――と、醜い声。
地中に潜んでいた魔物が姿を見せるなり、地上で息絶えた。
死骸は半分くらい潰れているものの、ミミズの身体に蛇の牙。太さは丸太、長さは少女の背丈と同じくらいであろう。
「このくらいなら、可愛いもんだな」
「充分、気持ち悪いですって」
初代の感想を即座に否定する。
「さて、今のでどんどん集まってくるぞ」
まだ、周囲は暗かった。正直、ネレイドはほとんど見えていない。それでも以前のようなメガネは装着おらず、なんとなくで戦っていた。
なんでも、魔物の姿を認識するとそこから無意識に攻撃や間合いを想像してしまうらしい。けど、それは突然変異体を相手にする際には余計な邪魔という、初代の指示に従った結果である
なので、ネレイドの攻撃は些か過剰になっていた。
暗闇の中、正面から草原を駆ける獣と馬の足音。空から鳥と虫の羽ばたく音。遠くから、軽い地鳴りを伴う重たい足音。
「――
ネレイドは上空に向かって剣を振り、暴風が魔物たちを地へと落とす。
代わって黒き翼を持つ少女が空へと君臨するも、
「うわぁ……」
なんとも締まらなかった。
「本当にただの放し飼いのようだな」
初代の言う通りだろう。
なんせ、地上から聞こえてくるのは魔物たちの奇声と断末魔。続いて、激しい咀嚼音となれば見えなくても状況は理解できる。
「じゃぁ、わざわざ私が殺す必要はないですね」
言うなり、ネレイドは下に向かって適当に剣を振るう。
とりあえず、手傷を負わせる目的で斬撃を飛ばし――その場から、遠く離れた。
案の定、後方では争いの連鎖が始まったようだ。
あちらの勝負がつく間に、ネレイドは他の魔物たちを殺すことに決めた。
迎撃型や隠密型は別の群れを成しているはずだと、その姿を探しに動く。
魔力補給だけでなく、人質たちの安全確保という意味でもここいらの魔物は一掃しておきたかった。
ネレイドが戦いを始めた頃、サディールとエリスはアレサ敷地外の上空にいた。
今回も二人は街の解放。
だが、その前に敵の本拠地と思われる神殿を急襲する思惑だった。
ゆえに、まだ動かない。
今までのように敵が無能であるならそれも悪くないが、指揮系統を潰すのはまだ早かった。
精鋭であれば、上が潰されたとしても相応に動ける。端から命令がなければ猶更だ。
そういった相手を混乱させるには、一度は命令を行き届かさなければならない。
そうして、敵全体が
竜という隠し玉があるからこそ、できる芸当。エリスの存在は知られていたとしても、さすがに竜のことはバレていないだろう。
よって、この急襲は見抜けない。
レヴァ・ワンを除いて、城塞都市アレサの五枚壁を超えられるモノは存在しないからだ。
更に、サディールとエリスは時間差で仕掛けるつもりである。
昨夜の一件から、空間転移は警戒されていると見て間違いない。
だからこそ、あえて空間転移で敷地内へと侵入して、空からの意識を逸らす。
問題はレヴァ・ワンに対する敵の理解力。
もし単順に三人――レイピスト、サディスト、ペドフィスト――いると考えていたら、厄介である。
最悪、ペドフィを警戒した結果、エリスの急襲が防がれる可能性もなくはなかった。
城塞都市アレサにいる魔族たちは千人を超える。
たいはんが旧都側に隠れ住んでいた者たちで、
そんな魔族たちを統率するのは僅か五人。
もともとは六人だったが、一人はレヴァ・ワンを手にして聖都カギと一緒に滅んでしまっていた。
内の一人、感知能力に秀でたアレクトが真っ先に気づいた。侵入者、第一の壁を超えた者がいると。
「はぁ……やっと寝れると思ったのに」
そろそろ朝になり、他の者たちが起き出す頃。それを見届けてから眠るのが、彼女の日課であったが、今日に限ってはそうもいかないようだ。
アレクトは五つの指にはめられた指輪から、まず薬指を選ぶ。
「――
呪文を唱えてから石に口づけ、
『レヴァ・ワンが来た。早くしないと、あなたの目的が果たせないわよ?』
伝える相手はヘーネル。
なので、大きな声は出さなかった。
『なんて中途半端な時間なんだ。夜か朝かどっちかにしろっての』
すぐに答えは返って来た。
寝起きとは思えないほど、はつらつとした声。女性としてはやや低いものの、それが欠点になるような人物ではない。
『今は第一の壁を超えた草原地帯。急げば見学に間に合うはずよ』
『見学じゃなくて下見だ。もしくは観察と言ってくれ』
『どっちでもいいから急いでよ。じゃないと、せっかくの魔物たちが無駄になっちゃう』
『あぁ、わかった。必ず、獲物のクセを掴んでみせる』
ヘーネルは石の街で寝起きをしているので、無事間に合うだろう。
「さて……」
アレクトが寝起きしているのは最奥の神殿。
彼女の役目はあらゆる感知と伝達なので、一番安全かつ人が少ないという理由でここを選んでいた。
神殿内には様々な彫像が並んでいる。それも残酷なくらい精巧で、不細工は不細工のままの形――これらはテレパシーを行う媒体であった。
各部隊の指揮官の数だけ用意されている。
ヘーネルと他の四人のぶんはない。彼らとはお互いにやり取りするので、小型かつ持ち運びやすい指輪にしてあった。
装飾の石は全員の血を混ぜて造られた特注品――もっとも、内の一人は既に死んでしまったが。
『レヴァ・ワンが来たわよ』
先ほどと同じようにして、他の全員に言葉を送る。
ただ、ちょっとばかしの嫌味を込めて――彼らは夜通しの警戒を無駄だと馬鹿にしていたから、ざまぁみろという気分であった。
『ヘーネルは既に動いている。各部隊長にはこれから連絡する。今は第一の壁を超えた草原地帯』
『なんだとっ!?』
声がしたけど、重なっていて誰が喋っているのかはわからなかった。
『ちなみに私は寝ていなくて、これから死ぬほど忙しいからつまらない質問はしないでくれる?』
しかも、返事をするに値しない感想だったので先に牽制しておく。
『わかったなら、さっさと動く。今のところ侵入者は一人。もっとも、レヴァ・ワンが何人いるかまではわからないけどね。とりあえず、魔力の塊は一つよ』
三人とも理解したのか、
『はーい、わかりました』
『ごめん、寝ぼけていた。すぐに動く』
『そうか……本当なんだな』
それぞれが返事をした。
「ったく……」
アレクトは吐き捨て、各部隊長に連絡。こちらは一方的に伝えることしかできないので、煩わしい返答はなかった。
そうして、アレクトは集中する。
もともとアレサに備わっている防衛魔術により、壁を超える者がいればすぐにわかるが、それでは空間転移に対応できない。
なので、自分の感知魔術も駆使しなければならなかった。
同時に、忌まわしいのか誇らしいのか――今となってはわからない、魔物の特性も使う。
容姿だけでいえば、アレクトは普通の人間だっだ。
家族以外の誰かに会うことがあっても、目が大きくてちょっとびっくりされるくらい。それも、多くの人は可愛いと褒めてくれた。
だから、どうして自分たち家族が隠れるように住んでいたのかわからなかった。
髪の色は黒に近い緑で変わっていたけど、特別に目立つほどでもない。
女にしては背が高くて背中も広かったけど、大勢の目を引くことはなかった。
それに両親たちも普通だった。祖父や祖母も、他の親族たちも――なのに、村とも呼べない集落で暮らしていた。
アレクトが自分の異常性に気づいたのは十年くらい前。
確か十五、六の頃だった。
両親の言いつけを無視して、街に遊びに行った帰りに男たちに暴行されたのがきっかけである。
お酒を飲んで浮かれていたので、なんの反応もできなかった。それどころか、楽しんでいる自分もいた。
――相手が一人じゃないとわかるまでは。
そのことに気づいた時には、もうどうすることもできなかった。
怖くて、痛くて、悔しくて、痛くて、怖くて、痛くて、悲しくて、痛くて痛くて痛くて死にたくて――
解放された後は、ただただ惨めだった。
悔しい思いも腹立たしい思いもその時にはなくて、ただ自分が恥ずかしかった。獣みたいに服も纏わず、暗い中、汚い地面で寝転がって寒くて……。
――そう、本当に寒かったんだ。
寒さを一人で我慢している自分がまた惨めで悔しくて……そこでやっと、怒りがやって来たのだった。
許せない、と何かが心の底から湧き上がってきた。
あとで知ったことだが、それこそ先祖が強く抱いた思いでもあった。
――人間の男に〝屈服〟させられた、忌まわしき記憶。
気づいたら、アレクトは男たちの姿を見ていた。
まだ寝転がったまま、土を噛んでいるのに何故か男たちの姿が見えた。
理由も方法もわからなかったけど、どうでもよかった。
アレクトはとにかく、追いかけて追いかけて追いかけて――
散々楽しんだはずの私の裸を見て、男たちは何故か勝手に腰を抜かした。それがまた、腹立たしかったけど、それは当然の成り行きだった。
――いつの間にか、少女の身体中に目があった。
でも暗くて、痛かったから――アレクト自身は気づかなかった。
身体に蔓延る違和感のすべてを、乱暴された所為だと思っていたから――
お腹、胸、肩、腕、太もも、足、おでこ、頬と様々な形と色をした瞳が瞬きをして、男たちを射竦める。
そして、
私は私を見ていた
。そう、男たちの身体や服にも――何故か、
私の目
が付いていた。それを見て、私は思い知る。どうして、自分たちが隠れて生きていかなければならなかったのかを。
「はっ……ははっ……」
男たちに付いた目で見た自分の姿は――どう見ても、
醜い化け物
であった。