第66話 からっぽの器
文字数 3,494文字
同時に、ネレイドの神経を疑う。よく、こんなモノと話をしていたと。
それもあんな態度と言葉遣いで――
「えぇ、そうです」
本人を無視して、サディールが竜の質問に応じた。
「……そうか」
瞳や顔に表情がないからか、声だけは抑揚に富んでいた。竜は思案気な音色を奏で、器となる少女を見つめる。
その間に、エリスは立ち上がる。
そろそろ、お尻が冷たくて限界だった。
また、あのサディールが動揺を露わにしているを見て、少しだけ冷静になれた。
「何か、問題でも?」
声からして、いつもの余裕が感じられない。
人型だと、顔がよく見えるので勘違いではないだろう。サディールは明らかに緊張している。
「……いや、ただ懐かしい感じがしただけだ」
不満げに訊かれたにもかかわらず、竜は気を悪くした様子を感じさせない声で答えた。
「懐かしい?」
一方、サディールの物言いは疑念に満ちている。
「あぁ、懐かしくて哀しいだ」
「この方は
神帝懲罰機関は孤児で形成されているので血は関係ない。が、食事か習慣か儀式か――なんらかの手段によって、繋がりがあるのは間違いなかった。
「一応、全員がテスタメントの候補者ですので」
「悪魔のお手付きか……実に良い」
ここにきて、竜は初めて声に嫌な気配を滲ませた。正確には厭らしい、だろうか。
物言いからして、相手の得物を横取りにする快感を知っている。
「ちなみに、約束は憶えておいでですか? 我々、人間の味方をするという」
「勿論だとも。人間の命は長くとも百年程度、寄り添うことにはなんの問題もない。それに我が求めるは、ここより違う世界」
本当に
「では、こちらから言うべきことはありません。あなたの望みを叶えてさしあげましょう」
サディールはそう言って、羽虫型になった。そして、ネレイドの頭――ヴェールに止まる。
「で、どうすればいい?」
代わって、初代が訊く。
竜の息だけで吹き飛びそうなサイズなのに、堂々と顔の前に浮かんでいた。
「まずは、淑やかなる銀髪の少女の魔力を可能な限り消耗させる。我と人間の魔力はあまりに違い過ぎる。同じ器に収まるモノではない」
「器が壊れない為の配慮か。なるほど、本当に信じていいようだな」
「誓って嘘はない。聖なるモノが滅んだ以上、我に人間を害する理由はない。また竜の器を捨てれば、無暗に傷つけることもないはずだ」
「わかった。次はおまえの器を壊すことだろうが……どのくらいの力で叩けばいい?」
「先に言っておくが、
汝では駄目
だ。汝の振るう剣では『壊す』という器用な真似はできまい」「よく知ってるな」
否定も謙遜せず、初代はその評価を受け入れた。
「外の声は聞こえる。そして、同じ魔の力を持つ者の声は特に響く。だから、知っている。汝が多くの魔物たちを〝屈服〟させたことを……」
「そいつは悪かったな、と謝るべきか?」
「人間如きに〝屈服〟させられるほうが悪い、というのが同胞たちの見解だった。もっとも、我に言わせればあの時の汝は神懸っていたぞ。アレは快楽を得る為でも、子孫を残す為でもなかったのであろう?」
その言葉で初代は理解する。
竜が具体的にいつの話をしていたのかを――
「没頭していたから、憶えていない。ただ、あいつらはオレの仲間たちの血肉を喰らった。だから、オレは食うか犯すか迷って犯した。まぁ、レヴァ・ワンにだけは食わせたくなかったってのもあるな」
「聖と魔の争いの時代に汝がいなかったことを今、心より安堵しているぞ」
竜はしみじみと言って、
「それでは可憐なる赤髪のネレイドよ、我が器を壊す役を頼まれてくれるか?」
レイピストの末裔に頼む。
「えーと、はい。私で良ければ」
そういう意味で名前を呼んでくれと言ったつもりはなかったが、気分が良いのでネレイドは受けいれることにした。
「それでおまえの覚悟はいいか? エリス」
この段階になって、初代は当の本人に意見を求めた。
「……えぇ。今回、必要なのは強さではないようですので」
信じることさえできれば問題ない。
しかも、既に初代とネレイドのお墨付きの相手である。また、サディールだけが信じ切れていないのも、エリスをやる気にさせた。
「なら、レヴァ・ワンを握れ」
初代は空中で大剣へと転じ――落下するなり、切っ先が凍った湖を易々と貫いた。
「ちょっ!」
氷が目に見えて溶け始めたので、ネレイドは急いで持ち手を掴む。
「悪い、そういやこの氷は魔力によるモノだったな」
「気を付けてくださいよ」
気が締まらないやり取りを見せられて、
「握るだけでいいんですね?」
エリスは緊張を解く。
「あぁ、魔力が奪われるから覚悟しておけ。嬢ちゃんもエリスの様子をよく見ておけよ。放っておいたら、この馬鹿剣は殺すまで食うからな」
レヴァ・ワンは持ち手ですら、少女の二の腕よりも長いので二人で掴んでも余裕はあった。
「――っ!?」
忠告されていたにもかかわらず、エリスは掴んだ瞬間に放してしまう。
手に痛みを感じて、目をやると毛虫がいた錯覚。痛み自体は大したことなかったが、気味悪さが半端なかった。
「……申し訳ありません」
なるほど、大選別を儀式的にするわけだと今更ながら納得する。そうでもして気を紛らわせないと、この剣は握ることすら難しい。
というか、――これを握る? と早くもエリスの頭は拒絶を示していた。
「面倒だ。嬢ちゃんが上から握ってやれ」
「必要ない。大丈夫ですっ!」
エリスは感情だけで初代の提案を拒否するも、
「はーい」
ネレイドのほうが早かった。
「だから、あなたは人の話を……」
「そういうの、いまいいから」
「まったく、あなたは……」
認めたくはないが、手が触れあっていると安心できたので、エリスは余計な言葉を飲み込む。
それでも、何かを吸われている感覚は酷かった。
魔を喰らう剣と知っているからそれが魔力だと認識できるも、そうでなければ命を奪われていると勘違いしそうである。
使い手たるネレイドにはわからないのか時折り、
「にぎにぎっ」
ふざけた台詞を口にして、手を放す素振りで遊び出す。
咄嗟に蹴飛ばしてやろうかと考えるも、その時にはもうそんな元気もなくなっていた。
意図せず、両膝をついてしまう。縋っているような恰好で腹立たしくなるも、姿勢を気にする余裕もない。
「はぁ……っんぁ……はぁ……」
歯を噛み締めても、次第に声が漏れるのを抑えきれなくなる。
その様子を、ネレイドは真剣な眼差しで見ていた。
お互いに膝を付いているとはいえ、項垂れている所為でエリスのほうが見上げることになる。
よせばいいのに、年下の少女に両手を握られ、情けない声をあげている状況を自覚してしまった。
そのまま、羞恥で死んでしまいそうなほど顔が熱くなる。
なのに、身体のほうは徐々に寒気を感じ始めた。顔からも血の気が引いて、温度が一気に下がり、冷静になると同時に身の危険を覚える。
ネレイドはまだ、手を放さない。
硬い表情で、じっと見下ろしている。
厳しい顔つきを見て、エリスは本当に縋りたくなる。もう止めて無理だからと――気づけば、涙が頬を伝っていた。
泣いていることを自覚してしまうと、もう駄目だった。幼い子供のように目で訴えるしかない。
嗚咽を堪えるのに必死で、きちんと言葉を操れないから――泣いて、見つめるしかない。
それほどまでに、エリスは辛かった。
たとえるなら、服の中で虫が肌を歩き回り、少しず増えていく感覚。そう死骸に集る蟻のように――自分が食べられる恐怖には抗いようがない。
現に、身体から気力がなくなっている。もう泣く力もなく、縋っても無駄だと諦めて……見捨てられたのか、手から温もりがなくなった。
「――いきますっ!」
そうして、少女の凜とした声が遠くから……聞こえた。エリスがどうにか顔をあげると、黒い翼が飛び立つのが見えた。