第68話 古の街
文字数 3,995文字
「あ、起きた」
寝台で上体を起こしたまま。
不安げにきょろきょろしているのに気づいて、ネレイドは声をかける。
「大丈夫?」
どう見ても様子がおかしかったので、近づいて顔を覗き込む。と、幼子が母親を求めるようにエリスは抱きついてきた。
「……よしよし」
驚きながらも、ネレイドはその頭をそっと撫でる。理由はともかく、彼女が怖がっているのはわかった。
「……ごめんなさい」
エリスは恥ずかしそうに零してから、腰にしがみ付いていた手を離す。
「うん」
一言だけ返して、ネレイドは寝台に座った。
「ここは?」
冷静になったのか、エリスが訊いた。
「カイル。山岳地帯を超えた、旧都側の村の一つだよ」
「……旧都側? わたしはどれだけ眠っていた?」
「半日。まだ、竜に会った日の夜だから」
「……半日?」
「うん。魔力が余っていたから、ここまで飛んできたの」
その言葉で、エリスは色々と思い出したようだ。
「そうか、わたしは竜を……」
「上手くいったみたいだよ」
「そう、なのか?」
「自分で訊いてみたら?」
いったい、どうやって? と思った途端、頭の中で声がした。
『具合はもう良いのか? 淑やかなる銀髪の少女よ』
『……はい』
『それは良かった』
返事があったことからして、念じるだけで届くようだ。
『あの……これからどうすれば?』
『どう、とは?』
『その、何か望むモノはないのでしょうか?』
『我にとっては目に見えるすべてが物珍しくて楽しいゆえ、望むモノは何もない』
奇しくも、ネレイドが言っていた通りであった。レイピストたちに比べると、竜はマシどころか手もかかりそうにない。
『そうですか』
そうなると、あの羽虫たちに苛立ちがわいてくる。
結局、散々脅されただけであった。
「大丈夫?」
頭の中で会話していたからか、また心配された。
「あぁ、大丈夫だ」
ネレイドの顔を見るのは、少しだけバツが悪かった。
あの時――レヴァ・ワンに魔力を奪われた際、心の底から縋って、本気で見捨てられたと勘違いしたからだ。
それなのに、目を覚ますと何も考えずに縋りついてしまった。
「他のレイピストたちはいないのか?」
「レイピスト様とサディール様ならお散歩。なんか、この辺りは懐かしいみたい」
お散歩と言われたにもかかわらず、
「徘徊か」
エリスはそう言いかえた。
「村の人たちはお休み中。ここにも、魔族たちがいたから」
部屋を見渡すと、普通の小屋だった。竈が寝台から見える位置にあるので、普通に誰かが暮らしていたのだろう。
「一瞬だったけどね。竜さんにはまだ加減がわからなくて、私が戦うまでもなかったよ」
「なら、わたしも気を付けないと……」
「うん。次は城塞都市アレサ。レイピスト様たちが言うには、これまでのようにはいかないってさ」
最後に作られた城塞都市だけあって、一番の防衛能力を有している。それも魔物を想定した造りなので、人の身で攻略しようと思ったら至難であった。
「あそこは外壁だけでも五枚。それも中心から小山、丘、平地と三つの階層に分かれている。平地が一番広くて、丘の階層に行くまでに壁が三枚。最初の壁を超えると草原地帯があって、どうやら当時はそこで家畜たちを育てていたみたい」
エリスはすらすらと難しい理由を説明する。
「えっ、五枚もあるの? 聖都でも三枚だったのに。それに三つの階層って……」
どうやら、ネレイドには想像すらつかないようだ。
「そうね――」
ちょうど竜の魔力を試す意味でも、エリスは空中に模型を作る。
「こういう形……わっ、凄い」
つい、自賛してしまった。この手の投影魔術は得意ではなかったのに、ちょっとイメージしただけで完璧に再現できている。
『もしかしてあなたが?』
『余計なことだったか? 淑やかなる銀髪の少女よ』
『いいえ、ありがとう。それと、わたしのことはエリスと呼んでください』
『わかった。淑やかなる銀髪のエリスよ』
『いや、そういう意味ではなくて。ただのエリス――淑やかなる銀髪の、は言わなくていいという意味です』
『左様であるか? 人間の娘なら喜ぶと思っていたが……やはり難しい』
『嬉しいことは嬉しいですけど、そう何度も使うべきではありません』
誉め言葉の種類がどれだけあるか気になるが、今は止めておこう。
竜との会話で放っておいたが、ネレイドは投影に夢中だった。
「ねぇ、これ平地と丘の間に水が流れているんだけど?」
彼女自身、内なるレイピストたちと話しているからか、見事な頃合いで訊いてきた。
「えぇ、その通りよ。どうなっているのか、どうやって作られたのかはわからないけどね」
家畜を育てる草原地帯と、人間が暮らす生活区域の間にも壁が一枚。そこからは、石畳が敷かれた道路となっている。
「教会で学んだ話によると、地面よりも魔物の行動を鈍らせることができるそうよ」
正確には、自然にないモノであれば良かった。なので地面だけでなく、木々や植物も一切ない。
文字通り、冷たい石の街。ここは戦える者だけが暮らす、戦士の集落でもあったとのこと。
そして、丘の手前に三枚目の壁。四つの門を有しており、そこを通ると上の階層へと続く階段が設置されている。
「これって、階段の下も水が流れているの?」
「えぇ。石の街と丘の街の間に、川が流れていると思っていいかも」
「なら、これは階段と言うよりも橋なんだね」
石で作られた巨大な渡り。
その先にもまた壁と門――四つ目の境界線。
おそらく、もしもの時はこの階段橋で魔物を食い止める手筈だったのだろう。
丘の街には整備された道だけでなく、地面に生い茂る木々や植物もあった。
「ここが、普通の人たちが暮らしていた街。その先が教会の総本山で、聖職者の区域だったそうよ」
丘と小山の間に最後の壁。門は表と裏の二つで、そこからは傾斜がきつくなっており、石の階段が設けられていた。
「これって、もし下の階層が襲われても教会の人たちは来れないんじゃ?」
「そうでもないでしょう。魔術を使えば、これくらいひとっ飛びじゃない」
「あっそっか」
自分だって飛んでいるくせして、ネレイドは気づかなかった。きっと先祖たちの所為で、教会に不信感があったからであろう。
だから、無意識に逃げていたに違いないと決めつけてしまった。
「私たちはこれを、攻略しないといけないんだ」
今更ながら、先祖たちの忠告を理解する。
「いつものように飛んでは駄目なの?」
「感知能力に長けた者がいる可能性が高いから、飛ぶのは無謀だって」
「……まぁ、いるでしょうね」
エリスも同感なのか、強く肯定した。
「あと一番楽なのは街ごと吹き飛ばすことらしいけど、それは絶対にエリスが認めないだろうって言ってた」
「当たり前です。アレサの建築様式は不明な点が多すぎて、修繕することもできないと言われているのですから」
「私は旧都側に来るのは初めてだしなー」
いまいち、実感が掴めなかった。新しい知識や技術を持っているのに、どうして古いモノを解明できないのか。
魔術ならともかく、対象は建築物である。
「あっ、そういえばお城もあるんだよね?」
「あるのは旧聖都の近くだから、だいぶ遠いわよ。城塞都市サンドラだけでなく、クリノも超えなければならないもの」
エリスは街の模型を消して、地図を投影して説明した。
「旧聖都とお城は、作り変えたりはしなかったんだ」
「旧聖都に関しては土地の関係が大きいわね。特に水鏡は移すことができないから。お城はわたしの管轄じゃないからわからないけど、おそらく失われた技術で作られたんじゃない?」
そこまで説明して、
「その辺りのことは、あなたのご先祖様のほうが詳しいでしょうね」
エリスは肩を竦めた。
当時を知る者がいるのに、当てもない知識を披露したことを恥ずかしく思ったようだ。
「そうだ、ご飯食べる?」
空気を読んで、ネレイドは訊いた。
「えぇ、いただくわ」
朝以降、何も食べていないことを思い出すなり、エリスは空腹を覚える。
「じゃぁ、待ってて。温めるだけだから」
ネレイドが寝台から離れると、
『我も人間の食事には興味がある』
竜の声。
『そのままでも、味は感じられますか? それとも、レイピスト様たちのように外に出られますか?』
『ふむ、やってみよう』
感覚的には投影魔術と似ているのだろう。もっとも、ゼロから魔力で生み出す点でいえば、結局は
「どうだ?」
何かが光ったと思ったら、目の前に小さな竜がいた。
「ふむ……やはり、レヴァ・ワンのようには上手くいかぬな」
自分で大きさの違いに気づいたのか、竜は哀しそうに漏らす。
「問題ありませんよ」
とはいえ、気にするほどではなかった。
実際、手の平には収まるので邪魔にはならないだろう。
「あれっ? 竜さんだ、かわいいー」
ネレイドが気づいて、笑顔を浮かべる。
「なんか太ったトカゲみたい」
が、誉め言葉としては微妙であった。
「太ったトカゲ……?」
本人も傷ついているようで、今にも泣きだそうな声。
本当、声だけはとても奇麗なので可哀そうに思えてくる。
「そんなことありませんよ。トカゲには羽も角も生えていませんから」
だが、それを除くとお腹を大きく膨らませたトカゲに似ていたのも事実だった。