第52話 初めて祭服を着た記憶

文字数 3,804文字

 闇の中、男たちの恐怖の声が響き渡った。

「――っ!?」 
 怯えを微塵も隠そうとしない咆哮にエリスは身構えるも、

「どうやら、取るに足らない相手のようですね」
 サディールはそこから敵の行動と程度を理解する。
 時間的に斥候を出したのだろう。
 あれほど距離が離れ、あからさまだったにもかわらず――
「急ぎますよ」

「先ほどの悲鳴は、初代レイピストが?」
 走りながら、エリスが訊いてきた。

「いいえ、お嬢さんの仕業でしょう。先代なら、相手に悲鳴すらあげさせません」
 
 意外だったのか、少女は言葉に詰まった様子である。

「あなたはお嬢さんのことを随分と舐めていらっしゃるようで」
「……別にそういうわけではない」

「そうですか? まぁ、どちらでも構いませんが。一応、言っておきましょう。街の解放はお嬢さんには無理です」
 せっかくなので、少女の競争意識を利用させて貰うことにした。
「頼みますよ、エリスさん」
 
 実にわかりやすくて、サディールは微笑ましい気持ちになる。やはり、若い者はこうでないと。

 乗せられたとも思わず、エリスは速度を上げていた。
 もっとも、先導する者がいるからこその速さである。
 土地勘もなく見通しがきかないはずなのに、サディールは日中と同じ速度を保っていた。

「音を立てず、外壁は飛び越えられますか?」
「問題ない」
 
 新天地(フロンティア)の外壁の高さはどの街も同じだった。
 だから、どれほどの強化が必要かはわかっている。
 エリスは足に付加魔術(チャージ)を施し、無駄なく飛び越えた。空中で周囲を警戒すると、二つの門に光が集まっているのが見えた。
 どうやら、陽動を察するだけの頭はあるようだ。
 着地も同様、一切の音を立てずに行う。
 着地点の地面を柔らかくして、衝撃を吸収させた。

「では、二手に分かれて人々を解放しましょうか」
 サディールは地面に足を付けず、浮遊した状態で言う。
「とりあえずは拘束を解くだけで、外には出ないように。部屋の中での行動は言わなくてもわかりますよね?」

「暗闇の中、外にまで音が届かないように」
「よろしい」
 
 先生みたいな態度に苛立ちを覚えるも、エリスは頷いた。

「中央部からいきます。外壁に近いところ、門側は最後に解放します」
 
 異論はなかった。建物の影に隠れるように中心地帯まで走っていく。
 道中、上階を見上げてみると何処も窓が割れていた。
 一方、地上に面している階はゴミが酷い。

「汚物などに注意してください。転んでしまったら、目も当てられませんよ」
 余計な心配を言い残して、サディールは建物に入っていった。
 
 その向かいの宿屋に侵入しようとするも、エリスは躊躇う。 
 酷い、匂いだった。糞尿はもちろんのこと、食材なども放置されているのか鼻をつく。
 いや、それだけではない。
 
 死体もかなりの数が埋もれていた。
 
 そして、死体は階段付近に固まっていた。おそらく、階下まで運ぶ余裕がなく、上から突き落としたのだろう。
 しかし、これでは食事を運べそうにない。いや、与えていないのか……もしくは、割れた窓から放り投げていたか。

 どちらにせよ、鬼畜の所業である。

 中から上るのはとても無理そうだったので、エリスは外に面した窓から侵入することにする。
 窓から飛び降りたのかそれとも突き落とされたのか、塀の内側にも死体が折り重なっていた。窓の大きさもあってか、こちらは身体の小さい者ばかり。
 それでも、若い女性の姿はきっとないだろう。

 エリスは十字を切り、黙祷を捧げる。

 そうしてから、建物の壁に付加魔術(チャージ)で足を置ける突起物――階段を形成。警戒しながら上っていき、窓枠に足をかける。
 
 宿屋の一室だけあって、さほど広くはない。それなのに、十人以上がいた。いや、階段と下の死体を考慮すると、最初はもっと詰め込まれていたのだろう。
 誰も拘束されていなかったものの、逃げ出す気力はなさそうだった。見ただけで衰弱がわかるほど、やせ細っている。
 彼らは死者を羨む亡者のように、虚ろな瞳でこちらを見ていた。

「……大丈夫ですか?」
 とりあえず、この地獄が終わることを伝えようとエリスは声をかける。
「わたしは教会の者です。皆さんを助けに来ました。もうしばらくすれば解放されますので、それまで大人しくしていてください」

 言い終え、隣の部屋へ行こうと背を向けた途端、呻き声が聞こえた。
 次いで、声にならない怒りの声。――ふざけるな、と。枯れ果て、掠れていながらもその言葉はエリスに届いた。
 振り返る間もなく、亡者たちの手が少女の身体を部屋へと引きずり込む。

「――なっ!」

 驚きや怒りの声をあげる間もなくエリスは押し倒され、間近で怨嗟を浴びせられる。

「大丈夫?」「助けにきた?」「ふざけるな」「もうしばらく?」「解放?」「それまで大人しく?」「ふざけるな」「死ぬまで?」「大人しく?」「ふざけるな」「ふざけるな」
 
 抑揚のない言葉の羅列。
 誰が喋っているのかもわからないほど重なり合い、呪文のように反響する。

「ここに何十人いたと思っている?」「なのに食事は少ししかなく」「俺たちは殺しあって」「死体もゴミのように捨て」「いつまでもいつまでも」「死んだほうがマシだった」「けど、死にたくなかった」「だって殺したから」「殺してまで生き延びたから」「死ぬわけにはいかなくて」
 
 亡者たちは泣いていた。
 流れる涙はなかったけども、泣きながら訴えていた。
 けど、たった一人の何気ない言葉によって彼らは生気を取り戻す。

「……あんた、女かぁ?」

 完全に気圧されていたものの、その一言でエリスは気を取り戻す。

「女ぁぁぁぁぁぁっ!」
 
 声量こそあがったが、もう怖くはなかった。
 正者を恨む亡者ならともかく、女に欲情する男の言葉なんて聞く価値もない。

 エリスは魔力を電気に転換し、放電させる。静電気程度だが、覚悟のなかった男たちはそれで狼狽え、手を離した。
 その隙にエリスは制圧しようとするも、

「はっ……なんだ、あんたも俺たちを殺すのか」「助けに来たなんて嘘だったんだ」「楽しいか? こんな俺たちを騙して」「まだ足りないのかよ……こんな目に遭ってまだ……」

 またしても亡者たちに囚われ、躊躇ってしまう。

「――何を遊んでいるんですか?」
 瞬間、サディールの声。
 
 エリスが窓を見た時には既におらず、人が倒れる音に振り返ると黒衣の男は室内に立っていた。

「……殺した、のか?」
 あえぐように、エリスは訊いた。

「えぇ、そうですが?」

 平然と返され、衝撃が全身を襲う。
 言葉を操る余裕はおろか、呼吸すら危うくなる。

「はぁ……」
 サディールは盛大な溜息を吐いたと思ったら、エリスの頬を平手ではたいた。

「――っ! な、なにをするっ!」
 痛みと怒りで、少女は言葉と呼吸を思い出す。

「それはこっちの台詞です。――

、あなたは?」
 
 かつてないほど恐ろしい声で問いただされ、エリスはまた言葉を忘れる。

「私は言いましたよね? 見習いなら必要ないと。そして、あなたは言いましたよね? 自分は見習いなどではないと」
 
 馬鹿にするわけでなく、サディールは怒っていた。それも不甲斐ない生徒を叱る、教師のようなやるせなさを滲ませて。

「その祭服を身に纏った時から、一人の司祭になるのではなかったのですか? それとも、

とでも言うつもりですか?」
 
 少女には返す言葉もなかった。
 自分の至らなさに気づいて、涙が溢れ出てくる。

「言っておきますが、私はついでに人助けをしているだけですので、好意を受け取らない相手は助けませんし、邪魔する相手は殺します。時間も人手も足りませんからね」

 それでも、目の前の言い分に納得はできなかった。

「……だったら、先に魔族を倒してから全員で救えばいい」
「嫌です。お嬢さんに、このような真似はさせられません。あのコはただの善意でやっているだけですから。それを踏みにじるような輩と接触させたくはない」
「――ふざけるなっ! そんな言い分が通用するとでも?」
「あのコは教会の人間ではなく、ただの村娘です。そして本人を含めて、誰もあのコを英雄や勇者にするつもりはありません。もちろん、教会の戦士にも――」
 
 不甲斐なくて、悔しくて、許せなくて――エリスは涙が止まらなくなっていた。

「全員を救いたいのなら、あなたが救いなさい。私は助けを求めている人だけを助けます」

 言いたいことも言えず、ただ泣きながら睨みつけることしかできない自分が殺したいほど嫌になる。

「それと、お嬢さんを羨むのならあなたも

は脱いでしまえばいい。私はただの少女に、司祭の役割なんて求めませんから」
 
 ――馬鹿にするな! 

 それすらも言葉にできず……、サディールは行ってしまった。
 ここに残ったのは情けない司祭と物言わぬ骸のみ。

「……んなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 
 ぼろぼろと涙を垂らしながら、少女は死んでしまった者たちに祈りを捧げる。
 そうして、涙を振るって動き出す。
 自らの言葉を嘘にしないように、あの男を否定する為に――

 思い出すのは、初めて祭服に袖を通した喜びと誇らしさ。
 いつまでも色褪せない、嬉しい気持ち。
 
 ――それを嫌な思い出になんかしたくなかった。
 
 だからこそ、エリスは使命を果たしに行く。
 今度こそ、一人の司祭として皆を救いに赴いた。
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登場人物紹介

 4代目レイピスト、ネレイド。

 長い赤髪に緑の瞳を持つ少女。田舎育ちの14歳だけあって世間には疎い。反面、嫌なことや納得のいかないことでも迎合できてしまう。よく言えば素直で聞き分けがよく、悪く言えば自分で物事を考えようとしない性格。

 もっとも、先祖たちの所為で色々と歪みつつある。

 それがレイピストの血によるモノなのかどうかは不明。

 初代レイピスト、享年38歳。

 褐色の肌に背中まである銀髪。また、額から両頬にかけて幾何学的な刺青が入っている。

 蛮族でありながらも英雄とされ、王家に迎えられる。

 しかしその後、神を殺して魔物を犯し――最後には鬼畜として処刑された忙しないお人。

 現代を生きる者にとってあらゆる意味で非常識な存在。

 唯一、レヴァ・ワンを正しく剣として扱える。

 2代目レイピスト、サディール。享年32歳。

 他者をいたぶることに快感を覚える特殊性癖から、サディストの名で恐れられた男。白と黒が絶妙に混ざった長髪にピンクに近い赤い瞳を有している。

 教会育ちの為、信心深く常識や優しさを持っているにもかかわらず鬼畜の振る舞いをする傍迷惑な存在。

 誰よりも神聖な場所や人がかかげる信仰には敬意を払う。故にそれらを踏みにじる存在には憤り、相応の報いを与える。

 レヴァ・ワンを剣ではなく、魔術を行使する杖として扱う。

 3代目レイピスト、ペドフィ。享年25歳。

 教会に裏切られ、手負いを理由に女子修道院を襲ったことからペドフィストの烙印を押された男。

 黒い瞳に赤い染みが特徴的。

 真面目さゆえに色々と踏み外し、今もなお堕ち続けている。

 レヴァ・ワンを闇として纏い、変幻自在の武具として戦う。


 エリス。銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ16歳の少女。

 教会の暗部執行部隊で、神の剣を自称する『神帝懲罰機関』の人間。

 とある事情からレイピスト一行に同行する。

 アイズ・ラズペクト。

 竜殺しの結界により、幾星霜の時を湖に鎖された魔竜。

 ゆえに聖と魔、天使と悪魔、神剣レヴァ・ワンと魔剣レヴァ・ワンの争いにも参加している。

 現在はペドフィが存命中に交わした『レイピスト』との約束を信じ、鎖された湖で待ちわびている。

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