第94話 王都ヴァンマリス
文字数 4,211文字
「あれがお城なんだー」
緊張感のない声はネレイド。
双剣を模した尖塔を見上げ、全貌を見られるのが楽しみだと言う。
「あなたは本当に……」
エリスが呆れたように漏らすも、言葉とは裏腹に瞳は称えていた。
「ご覧の通り、この正門を通らない限り中には入れません」
サディールが説明する。
「王都の城壁は自然の霊山ですので、さすがに壊すのは躊躇われます」
王都とその奥にある聖都は山に覆われていた。とはいえ、決して登れないモノではなく、普通の女性でさえ踏破できるとのこと。
「立派な門ですね」
山と調和していながらも、人間らしい装飾を兼ね備えている。機能性だけでなく、優美さも追及された一つの芸術品。
「閉じられているのは、初めて見ました」
サディールの言葉に誰もが頷く。
「オレもだ」
あの初代でさえ、この門は常に開かれていたと口にした。
「この近辺は、魔物も猛獣もでてこなかったからな」
扉は黒いが金属ではない。また石で作られた表面は均されてはおらず、所々に無骨さが残っていた。
しかし、隣接する山々のおかげで欠点にはなり得ず、むしろ自然の扉として完成していた。
「やはり、上からも無理ですね」
サディールは門を超える高さから目を飛ばすも、弾けて消えてしまった。
「じゃぁ、壊しちゃいます?」
「少し、整理してからにしましょうか」
呑気なもので、ペドフィを除くレイピストたちは葡萄酒を温めて、呑み始めた。
「王都は五芒星を象っています。つまり五つの点を有しており、それこそが結界を構成する力点となっている」
「えーと、たぶん私以外はみんな知っていると思うし。私は興味ありませんので、飛ばしていいですよ?」
ネレイドはぶった切り、
「わかりました」
サディールも応じた。
「私たちの推測では、この結界は魔の存在によるもの。では、何処に配置されているかと言いますと当然、五つの点でしょう。中心には城があり、王がいるはずですので」
誰も異論は挟まなかった。
「そして、その頂点となるのがこの門。これを壊せば、結界は力を失うと思います」
その代わりと繋いで、
「封じられていた、四体の魔が解放されるかと」
注意事項を告げた。
「正直、ユノさんとニケさんでは勝負にもなりません。大人しくここで待っていただけると助かるのですが――まぁ、無理でしょう」
二人は硬い顔で頷く。
気持ちだけでなく、立場的にもここで待つわけにはいかない。
王家を守る剣と神の剣――どちらも、振るわれる時であった。
「お二人は王城まで行って、王子を救出してください。建物に配慮をする余裕がないかもしれませんし、結界の魔力によって中で魔物が誕生した可能性もあります」
結界発動中は大丈夫だろうが、それがなくなれば王や王子から守護は失われるはず。
「――命に代えても」
「その命に従いましょう」
「いえ、命は大事にしてくださいよ。二人が死んでしまうと、否応なしに私たちが恨まれるんですから」
それに旅においては二人とも便利だったので、いてくれたほうが助かる。
「で、私たちはちょうど四人いますので。それぞれ、散って戦いましょう」
「大丈夫なんですか?」
ネレイドが心配そうに訊く。
「わかりません。ただ、纏めてお嬢さんが相手にするのも危ないかと。集団戦になると、色々と被害が増えますからね」
建物の崩壊に始まる予期せぬ攻撃。
レヴァ・ワンを持つネレイドはともかく、他の人間にとっては一緒に戦うほうが危険極まりない。
「もし、一人で倒せるようなら倒してしまって構いません。無理そうでしたら、時間稼ぎ。それすら叶わなければ、お嬢さんに救援を求めるということで」
ペドフィとエリスが頷く。
「お嬢さんは可能な限り早く目の前の敵を倒して、援護をお願います」
「はーい」
「では、いきましょうか」
サディールの言葉を合図に、初代が大剣を象る。
本物の神剣レヴァ・ワンを目の当たりにして、ニケとユノは動揺を隠せないでいた。
大人一人、後ろに隠せるほどの幅広と長さ。夜の闇すら呑み込む、漆黒の刀身。柄から持ち手に至るまで真っ黒で、手に触れるのさえ躊躇われる存在感。
「――ていっ!」
それをネレイドは足蹴にした。
正確には持ち手の下に足を入れて、蹴り上げた。
「――なっ!」
「――あぁっ!」
罰当たりな、と言わんばかりの悲鳴があがるも、少女は気にしない。
持ち手をしっかりと掴み、四肢に闇を纏う。
同時に背中から翼をはやして――飛び立った。
「――でぇぇぇやぁぁぁぁぁっ!」
門の高さまで飛空して、勇ましい声と共にぶった切る。
硬い岩の扉に見えたが、レヴァ・ワンは人を切るより容易く割いてみせた。
そうして、刀身に赤い紋様が奔る。
結界とそれを構成していた魔を食らって、興奮しているようだった。
「わー、凄い」
事実、扉は開いたというよりも消失していた。
「では、ご武運を」
真っ先にサディールの無数の目が中へと入り、本人も続く。
「気を付けろよ」
その後をペドフィ。
「気を付けて」
竜の四肢と翼に尻尾のエリス。
前もって話し合っていたのか、それとも先着順なのか――サディールとペドフィは左右に分かれ、エリスは左寄りに飛んで行った。
なので、ネレイドは残った右寄りに飛ぶ。
それを見届けてから、ニケとユノは走り出した。
「……思ったよりも、厄介そうですね」
分担と言いながらも、サディールは目を全方向に飛ばしていた。
が、早くもそのすべてが消し飛ばされてしまい、独り言ちる。
瞬間、前方の家々が吹き飛んだ。
いや、あらゆる方向から滅びの音が響き渡る。
爆炎、落雷、飛瀑、凍結、暴風、崩壊――そして、溶解。
暴力的な多重奏の中、物静かな溶解音を聞き逃さなかったのは、一番近かったからに他ならない。
進行方向に向かってサディールは再び目を放つも、相手の姿を視界に収めることすらかなわなかった。
見えたのは緑色の霧。
毒性ではあろうが、数秒は飛んでいられたし、衝撃を感じたことからして目を潰したのは別の何か。
「まぁ、この身体で空中戦は難しいので助かりましたよ」
建物は溶け、残った瓦礫も泡を立てていた。
サディールは目以外を闇に包んで、慎重に距離を詰めていく。
臭い。とにかく臭い中を進む。
周囲には目を浮かせたまま、およそ五十の目と共に緑色の霧をかき分ける。
やはり、臭いだけで霧自体に力はない。また、何も飛んでこない。
間違いなくこちらに気付いており――対話を望んでいる。
証するように、ソレの周囲は霧が晴れていた。
「……」
そうして、サディールは目を合わせる。
五十にも及ぶ、全ての目と目が交差する。
「ハジメマシテ、オマエ……人間ない、ゾ」
「……失礼な。これでも人間ですよ」
一言で説明するのなら、虫であろう。
けど、それも決して正しくはない。
「違う。人間、ない。だから怖くない、ゾ」
不気味な声。
まさに虫が喋れば、こんな感じだろうと思わせる不快な響き。
「ところで、あなたに名前はあるのですか?」
大きさとしては人間の三倍程度。形も似ているのか、二足歩行に見える。
ただ、その身体はおびただしいほどの蛆虫に
また、それとは別の虫が周囲に飛散している。形としては開いたダンゴムシなのだが、腹の中に大きな目が一つ。
「魔獣ムスカペニア、だゾ。オマエは?」
その姿で礼儀を弁えられると、かえって不気味である。
「サディール・レイピスト」
「そうか、サディール。死ぬ、人間ない、レヴァ・ワン怖くない、ゾ」
こちらがレヴァ・ワンと知っての台詞。
柄にもなく、サディールは背筋を冷やす。
「なら、レヴァ・ワンの元へと案内してさしあげましょうか?」
「それも無理。人間ある、レヴァ・ワン怖い。だから、オマエ死ぬ、ゾ」
ムスカペニアの言葉と共に、大量の虫が湧いた。
ここまでかき分けてきた緑の霧がすべて虫へと転じ、完全に退路を塞がれてしまった。
「……やってくれますね」
「オマエ、ワタシ舐めていた。ワタシ、オマエ舐めなかった、ゾ」
腹立たしいことに否定はできない。
最悪、ネレイドに頼めばいいからと、判断を見誤った。
時間稼ぎに徹するのなら、何もここまで接近する必要はなかったのだ。
余裕と好奇心から、のこのことやって来た自分をサディールは恥じ入る。
「……そうですね。私は今まで、ずっと相手を舐めてきました」
特に、生前は本気になったことすらなかった。遠くにいる敵は一方的に蹂躙し、接近戦になれば初代に任せる。
「ですが、自分が最強だと思ったことは一度もありません」
なんせ、常に初代の影があった。
絶対に敵わないと思わせる存在が一番近くにいた。
「そして、私はこれでも負けず嫌いなのですよ」
だからといって、初代に勝つ方法を考えたことがないわけではない。幾度となく、頭の中で戦略を組み立てたことだってある。
「なら、戦うか?」
「本当、礼儀正しくて嫌になりますね」
「礼儀、大事。レヴァ・ワン、人間が教えた、ゾ」
「……真にレヴァ・ワンに選ばれた者というのは、やはりとんでもない人なのですね」
とてもじゃないが、サディールには真似できそうにない。こんな悍ましい魔物に礼儀を教えるなんて、正直あり得なかった。
「えぇ、戦います。なんでしたら、周りの虫を引っ込めて全力できてもいいですよ?」
「ワタシ、馬鹿じゃない。そんな手には乗らない、ゾ」
「そうですか」
半分以上本気だったのだが、ムスカペニアは信じなかった。
だったら、全力を出す前に叩き潰してやると、サディールは戦闘態勢を取る。
「では、参ります」