第2話 飼い主

文字数 4,725文字

「ねぇ、もう帰ろうよぉ……」
 ならず者のように昼の大聖堂を闊歩する幼馴染に向かって、ネレイドは訴える。
「ずぇっったい、罰当たりだよ。それにお母さんもおばさんも心配してるって」

「馬鹿だなぁ、ネレイド。本当に神様がいるんなら、聖都を守ってくれたはずだろ? けど、見てみろよ。大聖堂でさえ、この有り様だ!」
 ピエールは声を大にして罰当たりな台詞を吐くも、咎める者はいなかった。
 
 そう、聖都カギは壊滅していた。
 駆逐したはずの魔族たちに攻め入られ、建物は見るも無残な残骸となり果てていた。
 神剣レヴァ・ワンを祀っていた大聖堂も例外ではなく、まだ十四歳の少年少女が易々と忍び込めるほど風通しがよくなっている。

「それにせっかく近くまできたのに、何も見ないで帰るなんて勿体ないじゃないか」
 
 二人は――正確にはアックスの村の女、子供全員――大選別があるからと神光教会に呼び出されて、聖都カギに向かっている最中だった。
 しかし、その道中で聖都カギから逃げてきたという避難民と遭遇し、それどころではなくなったのだ。
 
 そんな中、ピエールはせっかくだからと抜け出した。
 避難民のおかげで、母親たちの目を盗むのは容易かった。

「それは、そうだけどぉ……」

 ネレイドは幼馴染の脱走に目敏く気づいたものの、連れ戻すことはかなわなかった。聖都カギには憧れがあり、一度は行ってみたいと思っていたからだ。
 けど、こんな廃墟が見たかったわけではないと、今では後悔している。

「でも、誰もいないよ? その、死体……も」

 びくびくしながら、ネレイドは気づいたことを口にする。
 大聖堂に来るまで結構な道を歩いてきたものの、街には死体はおろか血の一滴も残っていなかった。

「それは……確かに妙だよな」

「ほらっ! やっぱ天罰はあるんだよ! じゃなきゃ、誰もいないわけないもんっ」
 赤みがかった二つのおさげを激しく揺らしながら、ネレイドは訴える。
「だから、もう帰ろうよ。今なら、急げばお母さんたちに追いつけるだろうし……」

「えー、追いついたら怒られるじゃん。それに、俺は村に帰らなくてもいいって思ってる。あんな何もないところで一生を終えるなんてごめんだ」

「……ピエール」
 幼馴染の気持ちはもわからなくはないものの、ネレイドにはまだ故郷を捨てる覚悟はなかった。
 
 だから、肯定も否定もできず。
 ただ、ピエールを見つめることしかできない。
 少し前までは、自分のほうが背が高かったのに、いつの間にか抜かれてしまった。身体つきもたくましくなり、もう取っ組み合いの喧嘩なんてしようとも思えない。

「んな目で見るなよ。別に今すぐどうってわけじゃない」
 ただ……と、ピエールは自分に言い聞かせるように続ける。
「大選別だけは受けたかったんだ。それでもし選ばれなかったら、素直にアックスの村で生きていこうって決めてたから……」

 ――あんな風に帰るのだけは嫌だった。
 
 その言葉は紡がれなかったけど、ネレイドにははっきりと聞こえた。

「……わかった。それじゃぁ、神剣レヴァ・ワンを探そう。それでいい?」
「おまえなぁ……。それはこっちの台詞だ。俺は最初から、そのつもりだったんだからよ」
「あっ、そうか」

 二人は笑みを合わせて、大聖堂の奥へと進んでいく。上階の一部が崩れ落ちてなお、足の踏み場があるほど聖堂内は広かった。
 
 また、ところどころ天井も壊れているので、明かりも充分である。

 とはいえ、真っすぐに進めるほどではなく――ぐねぐねと曲がったり、瓦礫を超えたりよじ登ったり、二人は時に獣道にも劣らぬ悪路を選ばざるを得なかった。

「痛っ!」
「大丈夫か? ネレイド」

「うん。ちょっと指を切っただけ」
 そう言って、ネレイドは指先を口に含む。
「それで上と下、どっちに行く?」

「いや、おまえさすがに上は無理だろ? この螺旋階段はともかく、上の階はいつ崩れ落ちてもおかしくないぞ」
「じゃぁ、下かぁ」
「なんで残念そうなんだよ」

「だって一度、こういう螺旋階段を上ってみたかったんだもん」
 名残惜しそうにネレイドは階段を見る。
「これを上っていけば、すっごく高い所まで行けたんだよね」
 
 天井に穴が開いた今、階段は天空にまで続いているかのように思えた。

「そうだな」
 目を細めて、ピエールも見上げる。
「本当に高い所まで、歩いて行けたんだろうな」

 しばらく、二人揃って立ち止まっていた。
 村にいたら、見ることも知ることもなかった光景。

「先へ進もう」
 振り払うかのように首を振って、ピエールは口にした。

「……うん」
 同じようにネレイドも答える。
 
 憧れだったモノはもうここにはない。
 来るのが、遅すぎたのだ。

「暗いから気をつけろよ」
 
 そう言って、ピエールは火打ち石で蝋燭に火を点した。揃って魔術は使えないものの、生活に必要な技術は身につけていた。
 道中で拾った杖で床を叩きながら、二人は地下へと下りていく。

「でも、教会の地下って何があるんだろ?」

「たいていは貯蔵庫だろうけど……」
 階段を下りきるなり、ピエールは小石を掴んでぶん投げた。
「うーん。この広さからいって、違うだろうな」
 音からして、石は壁にぶつからないで床に落ちた。
「そうなると、地下聖堂か」

「えっ? それって罰当たりじゃ?」
「今更、気にしたって仕方ないだろう」
「う~、でもでもぉっ。そういう地下聖堂って、昔のお偉いさんの死体とかも保管してあるんじゃない?」
「あー、それはあり得るな。なら、ちょっと罰当たりかも」
 
 偶像に対してはともかく、死者に敬意を払うのはピエールにとっても常識だった。
 それでも止めるつもりはないようで、先ほどの投石を始め、これから眠りを妨げる行為をすることを詫びて、歩き出した。

「もうっ!」
 
 今度は何も言ってくれなかった。
 まるで付いて来なくてもいいように聞こえて、ネレイドは腹が立つ。

「待って、私も行くからっ」
「いいのか? 本当に罰当たりだぞ?」
「だから、あんた一人で行かせられないの」

「なんだよ、それ。おまえは俺の母親かよ」
 不満そうではあるものの、
「それで、どっちに進む?」
 ピエールは意見を求めてくれた。
「真っすぐか。それとも右か左の壁まで行って、それに沿って進むか」

「真っすぐ」
 ネレイドは即答した。
「ここまで来たんだから、小賢しい真似はやめよう」

「小賢しいって……まぁ、それもそうか」
 呆れるそぶりを見せたものの、ピエールも同意する。
「隠しているんならともかく、祀っているとしたら正面にあるはずだもんな」

「罠もないみたいだし、きっとそう」
 
 都合の良いように解釈して、二人は堂々とした足並みで進む。
 地上と違って障害物らしいものがなかったので、すぐにお目当ての物は見つかった。

「……あれ、だよな」
「たぶん……」
 
 炎の明かりすら届かぬ先に、謎の光が見えた。
 まるで月光のように淡い、地上で見かけることのない独特な輝き。

 二人は近づき、白い祭壇を発見する。

 膝の高さほどの段差が一つ二つ三つ。
 それを上っていくと、中心には棺があった。
 祭壇と同じく、雪花石膏〈アラバスター〉で作られた白い棺。謎の光に照らされて、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 そう、周囲に蝋燭はなかった。
 輝いているのは祭壇の床に刻まれた文様――五芒星の魔法陣。

「奇麗……」
 ネレイドが見惚れている中、
「ちょっと!」
 ピエールは棺に手を伸ばしていた。

「罰当たりなのはわかっているさ。けど、確かめないと。本当にレヴァ・ワンがあるのかどうか――」
 
 魔族の侵攻に伴い、教会が明かした真実。
 口にするのもおぞましい、罪人たちを示す言葉が英雄たちの名であったこと。

 そして、そんな彼らの遺品であり聖遺物――神剣レヴァ・ワンの存在。

 その使い手――レイピストの血縁を探す為に行われた大選別。
 大人の男たちの中に該当者はおらず、女や子供にまで手を伸ばしていた矢先、滅んでしまった聖都カギ。

「俺たちは、その為にここまで来たんだ」
 
 自身を鼓舞するように言い放って、ピエールは棺を開ける。
 古い造りで今と多少構造が違うようだが、開け方は同じであった。
 そうして、眠っていたモノが姿を見せる。

「――っ!?」
 
 ピエールは鋭く息を飲み、その様子を見てネレイドも恐る恐る近づく。
 何故だか、声はかけられなかった。
 棺の中を覗き込んでみると、場違いな色彩。
 
 ――漆黒の闇が納められていた。

「……」
 
 二人して、黙ってその闇を見続ける。
 柄から切っ先に至るまで黒い大剣。恐ろしいことに、どんな大人でも眠ることが許される空間を、余すことなく使っている。
 長さといい大きさといい、とても人に扱える武器とは思えない。
 それでいて、持ち手は人間が扱いやすいサイズで作られおり――ピエールでさえ、握ることができた。

「ふんっ! っっっ……駄目だ」
 
 けど、持ち上げることは叶わなかったようだ。

「ネレイドもやってみろよ」
 
 そう言われても、答えられなかった。
 まだ声が出せない。
 いや、何故だか声を出すことを恐れている。

「ほらっ」
 
 怖がっているのはピエールにもわかっているようだが、その深刻さまでは理解できているとは思えない。
 
 ネレイドは早くここから逃げ出したかった。

 なのに、場違いな色彩から目線を逸らせなかった。
 白光に囲まれてなお、霞むことのない闇。
 それでも、一目で剣とわかる造形をしている。
 
 柄頭があって――持ち手、鍔、刀身、切っ先へと至る。

 ただ、大きさが桁外れなだけ。
 持ち手ですら両手で掴んであり余るほどに長く、自分の腕の半分はある。そして、刀身に至っては自分の身体よりも広くて長い。
 これを振り回すなんて、ぶっちゃけありえない。
 そう、どう考えてもありえないはずなのに……ネレイドは恐れていた。

 自分が選ばれるかもしれない予感に。
 鬼畜過ぎて、抹消された英雄たちの血を引いているかもしれない可能性に――

「おぃ、ネレイド?」
 
 あまりの恐怖に、ネレイドは手を強く握りしめていた。
 ただ指の怪我を忘れていたので、血が滲んでしまった。

「大丈夫っ! 大丈夫……だ、か、ら……」
 
 ここにきて、やっと声がでた。
 瞬間、剣が胎動する。
 心臓が鼓動するかのようにドクン、ドクンと。
 音がする度、黒い刀身に赤い文様が奔る。
 
 いつの間にか、ネレイドの手はレヴァ・ワンを握っていた。

 あぁ、だから自分は声を出すのを恐れていたのだと、今更ながらにネレイドは思い知る。
 また、ここに来るまで血の一滴すら見かけなかった理由にも気づいてしまう。
 
 ――食べたのだ。

 何もかも、この剣が食らいつくしてしまったのだ。
 そしてまだ、この剣は空腹を覚えている。
 だけど、自分じゃどうすることもできないから使い手を――これまで、たくさん食べさせてくれた『レイピスト』を飼い主に選ぶのだ。

 そこまで理解が及んだ途端、ネレイドは意識を失った。

 なのに彼女は倒れることなく――
 
 立ったまま、自分の胸と股に手を伸ばしていた。
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登場人物紹介

 4代目レイピスト、ネレイド。

 長い赤髪に緑の瞳を持つ少女。田舎育ちの14歳だけあって世間には疎い。反面、嫌なことや納得のいかないことでも迎合できてしまう。よく言えば素直で聞き分けがよく、悪く言えば自分で物事を考えようとしない性格。

 もっとも、先祖たちの所為で色々と歪みつつある。

 それがレイピストの血によるモノなのかどうかは不明。

 初代レイピスト、享年38歳。

 褐色の肌に背中まである銀髪。また、額から両頬にかけて幾何学的な刺青が入っている。

 蛮族でありながらも英雄とされ、王家に迎えられる。

 しかしその後、神を殺して魔物を犯し――最後には鬼畜として処刑された忙しないお人。

 現代を生きる者にとってあらゆる意味で非常識な存在。

 唯一、レヴァ・ワンを正しく剣として扱える。

 2代目レイピスト、サディール。享年32歳。

 他者をいたぶることに快感を覚える特殊性癖から、サディストの名で恐れられた男。白と黒が絶妙に混ざった長髪にピンクに近い赤い瞳を有している。

 教会育ちの為、信心深く常識や優しさを持っているにもかかわらず鬼畜の振る舞いをする傍迷惑な存在。

 誰よりも神聖な場所や人がかかげる信仰には敬意を払う。故にそれらを踏みにじる存在には憤り、相応の報いを与える。

 レヴァ・ワンを剣ではなく、魔術を行使する杖として扱う。

 3代目レイピスト、ペドフィ。享年25歳。

 教会に裏切られ、手負いを理由に女子修道院を襲ったことからペドフィストの烙印を押された男。

 黒い瞳に赤い染みが特徴的。

 真面目さゆえに色々と踏み外し、今もなお堕ち続けている。

 レヴァ・ワンを闇として纏い、変幻自在の武具として戦う。


 エリス。銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ16歳の少女。

 教会の暗部執行部隊で、神の剣を自称する『神帝懲罰機関』の人間。

 とある事情からレイピスト一行に同行する。

 アイズ・ラズペクト。

 竜殺しの結界により、幾星霜の時を湖に鎖された魔竜。

 ゆえに聖と魔、天使と悪魔、神剣レヴァ・ワンと魔剣レヴァ・ワンの争いにも参加している。

 現在はペドフィが存命中に交わした『レイピスト』との約束を信じ、鎖された湖で待ちわびている。

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