第63話 竜が住む湖
文字数 3,282文字
その間にもいくつかの村や集落があったが、魔族たちはいなかった。それでも週に一度、街まで食糧を運ぶよう脅されていたとのこと。
そういった状況だったからか、ネレイドたちは歓迎された。
おかげで、食事や寝床には困らずに済んだ。
もっとも、エリスは忙しそうにしていた。
ネレイドが逃げるように獣を捕りに行ったからか、どの村でも教会の高位職と勘違いされたようである。
村の人たちにとって馴染み深い祭服を着たネレイドが使い走りをして、見慣れぬ色彩を纏ったエリスが残っていたのだから、誤解されたのも致し方ない。
結果、休む間もなく人々への祝福に始まり、土地の浄化、祭壇の修復をお願いされる羽目となった。
時間が許す限りエリスは尽力し、その見返りという訳ではないが、街への支援と教会への奉仕を約束させていた。
一方でサディールは人型のまま情報収集。年配の方を対象にして、山に関する噂や伝説を聞いて回る。
同時に、旅に必要な諸々を徴収――もとい、譲って貰う。
そのようにして得た情報を、サディールは山を登り始めてから語った。
「とりあえず、竜に関する伝承は幾つか残っていました」
麓で切り出さなかったことから、大した話ではないだろう。
誰もがそう判断する中、ネレイドだけが耳を傾ける。
「村の人たちにとって、竜とは天を司る神獣という認識のようです。とはいえ、普段から祈ることはなく、悪天候や災害にまみえた時だけ貢物を捧げていたとか」
真面目に聞いているのが一人だけと気づいてか、羽虫型のサディールは少女の肩へと移る。
「どうして、普段から祈らないんですか?」
「神獣はあくまで神の使いだからでしょう」
ネレイドが首を傾げると、
「人間で例えますと、竜は教会の司祭ということです。何かお世話になった時はともかく、常日頃から感謝はしません」
サディールは噛み砕いてくれた。
「なんであれ、使者に祈るのは何か便宜をはかってもらう時だけです」
その説明に先を行くエリスが振り返るも、
「……」
口は挟まなかった。
「災害の中でも、特に雪が降ると村の人たちは竜の元へと赴き、礼拝と貢物――場合によっては生贄を捧げていたそうですよ」
「竜の元って、この山の上ですか?」
嫌そうな顔で、ネレイドは進むべき道を見上げる。
「えぇ。外からは山に囲まれていて見えませんでしたけど、この山岳地帯の中心には大きな湖があります」
「約束した竜がいるのも、そこですか?」
「お察しの通り。どうやら、かつては本当に竜と交流があったのかもしれません」
「でも、今はないんですよね? あっ、今っていうか結構昔から?」
「そうですね。竜が死んでしまったのか、それとも人々が忘れてしまったのか。もしくは、雪が降ることがなかったか」
「わたしの記憶する限り、この辺りで雪が降った話は聞いたことすらない」
言い草から自分に向けられた質問と判断して、エリスが答える。
「更に言わせて貰えれば、竜についてもだ。この山は生物がおらず、とても静かだという話です。いるとすれば、鉱物を掘りにきた人間くらいでしょう」
緊張しているのか、いつもより硬い口調であった。
「ほんっと岩ばっか。緑もないし、歩いていてつまんない」
だからこそ、ネレイドは真面目に話を聞いていたのであった。
呑気で勝手な感想にエリスの瞳が細まるも、
「安心しろ。竜は生きている」
無視できない、初代の言葉。ネレイドのヴェールの上にいたので、仕方なく歩幅を狭めて並んで歩く。
「先代も気づかれました?」
言い草からして、サディールも察していたようだ。それでいて、勿体ぶった話をしていたのだから、やはり面倒くさい性格である。
「およそ千年近く経っているのに、まるで変わっていない。人の手がついていないのならともかく、鉱物を掘っていてこれは異常だ」
それは初めて見る少女たちにとっては、気づけない変化だった。
「特に、千年前は魔境だったんだ。変わらないはずがない」
「水鏡の観測者が長いこと謀っていない限り、あり得ないことですね」
「それはさすがに関係ないはずですっ」
エリスが早口に文句を言う。
「ところがどっこい。そうでもないんだよな」
少女の気持ちを知っていながらも、初代は軽い口調で説明する。
「当時、ペドフィの奴が依り代として目星をつけていたのは神帝懲罰機関の一人なんだ」
「それも彼を色香で誑かせた人です」
続く二代目の発言で、ネレイドは納得する。あの時、頑なに引きこもっていたペドフィが竜の名前を口にした訳を。
「だから、神帝懲罰機関が竜の存在を知っていてもおかしくはないんだが……」
「先ほど言った通りです。聞いたこともありません」
「エリスさんの立場なら、知らなくて当然です。それにあなたに対する助言からして、マテリアさんもご存じなかった」
サディールの推測に、エリスは頷きで返す。
「もっとも、教役者が知らなくてもおかしくはありません。ですが、正式なテスタメントと水鏡の観測者が知らないとなると話は別です」
「オレたちの中で、水鏡の観測者は真っ黒だからな。知っていて、竜の存在を放置しているとは思えない」
「となると、やはり黙っていたんですかね……彼女は」
「だとしたら罪悪感か?」
含みのある物言いは、おそらくペドフィに対する当てつけであろう。
それでも反応はないと、ネレイドは視線で伝える。
「ペドフィ様はその人にだけ、竜のことを教えたんですね」
「どう考えても、争いの火種にしかならないからな。適当に一人攫って、引き渡してから説明するつもりだったんだ」
相変わらず、初代の言い分は無茶苦茶である。
「ただ、問答無用で攫うのはペドフィ君が納得しませんでしたので。誰を選ぶかは彼に一任したというわけです」
「その件に関して、質問があるのだが?」
エリスが訊くと、
「どうぞ、エリスさん」
サディールはわざわざ肩に飛んで来てから応じた。
「水鏡にどう映るのだ? その竜の存在は……」
「どうも映りません。アイズ・ラズペクト自体は魔竜ですが、封じ込めている結界は聖なるモノらしくて」
その結界に阻まれて、水鏡では魔力を観測できないとのこと。
「魔竜、なのか?」
「えぇ、魔竜です。もっとも、教会の方々は魔剣レヴァ・ワンのことも神剣と呼んでいらっしゃいますので」
神竜と呼びたければご自由にどうぞ、とサディールはぶん投げる。
「あの竜がどう感じるかはわかりませんけど」
「……あなたは本当に面倒な人だ」
ネレイドであれば指で弾いたりもできたであろうが、エリスには無理だった。
そのネレイドはいつの間にか随分と前に進んでおり――
「わーっ! 湖だっ! あったあった! 本当にあったー!」
山頂に辿りつくなり、大声で喜びだした。
何がそんなに楽しいのか、その場で跳んで跳ねて手を振っている。
「エリスも早くっ! 来て見てっ! すっごく奇麗なんだよっ!」
ここまで幼い呼び声を無視するのは、どことなく気が咎めた。
諦めの溜息一つ。エリスは返事こそしなかったが、走り出す。
「ほらっほらっ!」
そうして、少女に急かされるまま広がる風景を見下ろす。
「……本当に奇麗。それに大きい」
文字通り、山に囲まれた水源。竜がいると知らなくても、この湖には何かがあると思わせる雰囲気があった。
距離の所為か、今まで見たこともない翠色の水面。本当に水なのかと疑うほど、奇麗で輝いている。
そんな風に素直に見惚れている横で、
「竜さーん!」
ネレイドは大声であり得ない台詞を吐き出す。
「お待たせしましたー! 四代目レイピストが約束を果たしに来ましたよーっ!」