第54話 それぞれの救い方
文字数 4,883文字
以前、サディールに言われた時は納得できなかったものの、結局、間違っていたのは自分のほうだった。
だからこそ、助けるべき相手を見て躊躇い、戸惑った。
それだけならまだしも、気まずさを払拭する為だけに形式的な言葉を投げかけてしまった。
その結果があの
サディールに助けられた挙句、叱られる始末。しかも、指摘されるまで自分の失態に気づかなかった。
けど、今ならどうすればいいかわかる。
エリスは自然に近づいて行く。
そうして傷つき、疲れ果てた人たちの手を握って、
「――必ず助けます。夜明けまで、持ちこたえてください」
そう、この状況で余計な言葉に意味はない。忘れていた。自分が救った小さな命――一緒に暮らすようになった妹が言っていたことを。
優しい声をかけてくれる人も、抱きしめ頭を撫でてくれる人も、食べ物やお金を恵んでくれる人も――施しを与え、可愛がる人は沢山いたと。
――だから、手を握って一緒に歩いて貰えた時、初めて救われたと思った。
時間はかかるけども、エリスは一人一人の手を握っていく。マテリアであればそれだけで充分なのだろうが、自分には無理そうなので魔術で補う。
慈愛というのだろうか。そこにいるだけで安心できる、母親のような雰囲気は未熟な司祭にはまだまだ出せなかった。
一方、サディールは無駄なく動いていた。それでもエリスの気持ちを尊重して、誰も殺しはしなかった。
というか、そういった人質を後回しにしていた。
「今夜の内に街は解放されます。もうしばらく、ご辛抱を――」
案の定、屋敷と呼ぶべき建物には若い女たちが捕らえられていた。
こちらは狭い部屋に押し詰めるのではなく、愛玩動物さながら鎖で繋がれ、それなりの扱いを受けているようだった。
もっとも、それが幸せとはいえない。見たところ、一つの屋敷内でも人質に格が設けられ、扱いが変えられていたようである。
「やはり、五芒星の街にいた魔族とは違いますね」
その所為で人質同士でも一体感が生まれず、むしろ疑心暗鬼に陥っていた。
現に何人かを解放して、他の者を助けるように頼んだら拒まれる顛末もあった。曰く、あの人たちは魔族に媚びを売っていた。一緒に私たちを傷つけた。
「効率的な人の管理をご存じでいらっしゃる」
これでは、解放したところで街は救われはしない。
ぞんざいに扱われていた人質が奇麗な女たちを見たら、間違いなく醜い感情を抱く。
そして、内の何人かは悪辣な手段を持って女たちを犯すだろう。
自分たちの不幸を語って、女たちの不幸を弄んで――魔族には喜んで股を開いたのに、俺たちには開かないのかと。
厄介にも、一度犯された女に酷く当たる男は多い。本人になんの落ち度がなくても、男は貞操を守れなかった女を責める。
娼婦などの商売女を,
他にも、人質同士で間接的に殺しあった気配もちらほら。
察するに数少ない食事の奪い合い、病気の伝染を恐れての隔離のようだが、本人たちは罪の意識を抱かずにはいられないだろう。
「さてさて、どうしましょうか?」
エリスやネレイドでは気づけないから、黙って見捨てるか。エリスにだけ話して、彼女をここに置き去りにするか。全員でしばら逗留するか。
「もし、レヴァ・ワンが善人であれば見事な足止めですよ」
少しばかりの焦りを込めて、サディールは独り言ちる。
このまま行けば、おそらくアレサで敵のレベルが急激に上がる。敵の主力武器が魔術であれば恐れるに値しないが、レイピストたちが知らない兵器もきっとあるはず。
平和な世界だったかもしれないが、
さすれば、秘密裏に武器を開発してしかり。
実際、魔術の使い手自体が減ってきているようなので、誰にでも扱える兵器は必須だ。
奇麗な女性や男性たちを助けながら、サディールの心は上の空だった。
「……ありがとうございますっ! この街の代表者として、深く――お礼を申し上げますっ!」
それを聞いて、サディールは嫌になってくる。絶対、この男はここで殺しておいたほうが平和に役立つ。
敵は本当に人心掌握術にお詳しいようだ。
安直に上の者を引きずり降ろさず、丁重に扱うとは。
こんな健康的な顔をした男がこれまで通り偉そうに振舞ったところで、下層民の反感を買うのが目に見えている。
つまり、敵はこの街が解放されることも見越していたというわけだ。
厄介なのは、捨て石の兵でさえその命令をきくほどの理性と頭があるということ。もしくは、呪いの類で枷を付けていたか。
またまた、埒のあかない推論をしていると、場違いな声が響いた。
「外にいた魔族たちは皆、殺しました!」
少女以外の何物でもない、甲高い声。
微笑ましくもあり、憎らしくもある。
「――魔族たちは全員、私が殺してやりました!」
それが、あり得ない出来事を口にしている。
だからだろうか、指示があるまで外に出るなと言っておいた者たちが勝手に外へと向かっていく。
「やれやれ」
面倒が起こる前に、サディールはエリスの前に姿を現す。
「――なっ! 何処から出て来た?」
銀髪の少女は抜かりなく、短剣を握っていた。
「空間転移ですよ。今の私は魔力の集合体ですので」
「……今のはなんだ? 仮にも、教会の祭服を着た人間が言っていい台詞ではないぞ?」
やはり、エリスは怒っていた。
「えぇ、私でさえアレは躊躇われます」
生まれも育ちも教会という点からして、二人の感性は似ていなくもない。共に、民に向かって殺しました、殺してやりましたはマズいと認識している。
「街の解放自体は楽になりましたけどね。とりあえず、自力で外に出られない人たちを出してあげましょうか。これはもう、止めようがありません」
続々と、外に人影が増えてくる。上階の窓からも、沢山の顔が飛び出しており、誰もエリスやサディールの指示を守っていなかった。
「あの娘は語彙力がないの? せめて倒したとか追い払ったとか……他に言いようがあるでしょうがっ!」
全員を外に放ってもなお、エリスの苛立ちは収まらないようだった。
ただ、その口調は妹を叱る姉の姿そのものであった。
「でも、効果は絶大ですよ」
解放された人たちは醜くはあったが、笑っていた。瞳に光が戻っていた。
口々に、そうか死んだのか、全員殺されたのかと物騒な台詞を乗せて、亡者さながら自分たちの街を闊歩している。
「仕返しをする相手はもういない。けど、その人たちは全員、殺された。経験がないのでわかりませんが、心がすかっとするようですね」
「どう見ても,健全的でないのは無視するのか?」
確かに、人々は生きている。先ほどまで、一歩も動けないで死んだように寝転んでいた者たちまでもが、自分の足で立って歩いている。
「まるで、墓地から死体が蘇ったようだぞ」
夜の闇と淡い月明かりが相まって、そう見えてならなかった。
「なら、お嬢さんはネクロマンサーですか?」
「ふざけている場合か? どう収集を付ける?」
「放っておいてもいいんですけ、助けたいですか?」
挑発するようにサディールは言うも、
「無論だ」
エリスは断言した。
「なら、協力してください。と言いましても、血を少し分けていただければ充分です」
「……血だと?」
「えぇ。どうも、お嬢さんは何処かへ飛んでいってしまったようなので。大きな魔術を行使するには、私のこの身体では足りないのですよ」
「他に方法はないのか?」
「唇を合わせて吸い出すか、男女の契りを交わすかになりますけど?」
「……わかった。だが、どのように渡せばいい?」
「お好きなところを傷つけてください。あとは、私がそこから吸い出しますので」
「……吸い出す?」
嫌な予感がして、エリスは訊く。
「それは口でか?」
「何か問題でも?」
少女は悩む。何処が一番、傷が浅くて済むかを。それは単純な外傷ではなく、心の問題であった。
真剣に考えこんでいるエリスを見て、
「手の甲なんてどうですか?」
サディールは助け舟を出す。
「……そうだな」
悪くないと判断して、左手に甲を薄く短剣で切り裂いた。
「それでは、失礼いたします」
恭しく膝を付いて、サディールはその手を取った。さながら、お姫様に忠誠を誓う騎士のようである。
そっと唇が触れ――エリスは自分の認識の浅さをまたしても思い知る。この男は血を少し分けてと言っただけであって、魔力を少しとは言わなかった。
自分で立っていられず、少女もその場で両膝を付く。魔力の集合体と自称しただけあって、舌の感触はなかった。ただ、左手の甲から魔力を吸われている感覚があるだけ。
ふと、見下ろすとサディールの後頭部。黒と白が斑に混ざった髪が目の前にあり、ついつい肘を落としたくなるも我慢する。
「ありがとうございます。これだけあれば、充分です」
「そう……か」
これ以上は無理だったが、言い返す気力もなかった。サディールに易々と抱えられているのも腹立たしいが、自分で立てないのだから仕方がない。
気づけば、外壁の上にいた。だから、エリスは寝転がったままでも街を見下ろすことができた。
「――
サディールは手を大きく振り上げ、下ろした。
「――
そうして、街に雨が降り注ぐ。外壁の上には一切の飛沫すら届かない、優しい雫が街だけに。
「――
「……黒い雨?」
「これで目だった傷と身なりは隠せます。しばらくすれば、汚れも落ちるでしょう」
「建物の一階には、汚物や死体もあったんだぞ?」
「ご安心を。ただの雨ではありませんので。それに余裕もないので再利用させて貰いました」
見ていると気付く。水たまりが一つもできてないことに。それなのに、雨はひたすら地面を叩いている。
「……凄いな」
「レヴァ・ワンは無知全能ですので」
「つまり、あなたは知っているということだ。人を癒す術を、穢れを落とす意味を」
「おかしいですか?」
「あぁ……。でもそれはきっと、わたしの認識が浅いからだろう」
そう自嘲して、エリスは誤魔化す。
わかっている。自分一人では、街を解放することなんてできなかったと。
そして、レヴァ・ワンに五芒星の街の解放を押し付けようとした身勝手を思い知る。
囚われている人々を助けるのが、ここまで過酷な作業とは思ってもいなかった。正義を成すのだから感謝されて当然なんて、勘違いも甚だしい。
「さて、あとは温かい食事ですね。お嬢さんが戻ってくる前に、大きな鍋とお湯ぐらいは用意しておきましょうか」
「……あの娘はまさか?」
「えぇ、獣を捕っています。ここに来るまでに見かけたらしくて。本音はさっさと熊肉を使い切りたいようですが」
「……そうだな。さすがに熊肉が続くのは辛い」
本当に田舎育ちの村娘なのだと、エリスは笑ってしまう。
あんな物騒な台詞を吐いて――いや、物騒な真似をした後に食事の心配をするなんて。
もっとも、レヴァ・ワンに食べさせた後だったので、ネレイドからすればそれは当然の思考の流れであった。