第46話 少女たちの一騎打ち
文字数 3,392文字
「それじゃ、やろっか?」
気安く、ネレイドは声をかけた。
「……ふざけているのか? それとも、本気で愚弄しているのか?」
エリスが怒りに声を震わせるも、
「どういう意味?」
質問の意図がわからず、首を傾げる。
「……そうか。本当に、わたしを愚弄しているんだな。構えもしないとは!」
「あー、それはレイピスト様の教えです。敵は構えるのを待ってくれないから、自然体で戦えるようにしろって」
正直に答えたのだが、
「それを愚弄していると言うのだっ!」
エリスはますます、激高してしまった。
ネレイドにとって、それは理解できない感情だった。
もともと、戦いを知らない田舎娘。加え、これまで戦いといえば殺し合いだったので、相手に対する敬意や礼儀といった感情を知る機会などあるはずもなく。
「エリスさん、お嬢さんはあなたを馬鹿にしているわけではありませんよ」
また、先祖たちもその手のことは教えずにいた。
勇者や英雄といったモノになりたいのであればともかく――
ただ魔族を殺したいだけのネレイドに、そのようなモノは必要ない。
むしろ、邪魔な代物であった。
「むしろ、あなたのほうが馬鹿にしているのでは?」
サディールが忠告する。
「なんだと?」
「名乗りを上げ、武器を構え、わざわざ相手の目の前に立つ。それは教会騎士団の作法であって、神帝懲罰機関の流儀ではないはずでは?」
「それはそうだが……これはわたしの実力を確かめる場だろう?」
「えぇ、ですから本気を見せてください。戦いではなく、殺し合いの。私があなたに求めるのは強さではなくて、強かさです。勝つ必要はありません。ただ、負けないよう頑張ってください」
負けん気の強い彼女なら、今ので理解できただろう。暗に、ネレイドよりも実力で劣っていると言われたことに。
「……わかりました。今までの非礼の数々をお詫び申し上げます」
静かに、エリスは頭を下げた。
一部始終を聞いていながらも、話の流れがネレイドにはよくわからなかった。自分が馬鹿にしたともされたとも思えず、ひたすら悩まされる。
――と、目の前に刃が迫る。
エリスが頭を下げたまま、短剣を投じたのだ。
急なことだったので手が出る。やっぱり、これで正解だったとネレイドは確信を得る。
少女は黒い手で短剣を掴み――刃を追うように、放たれた雷撃が襲う。
「あー、びっくりした」
が、レヴァ・ワンの闇で覆った手にはなんの効果もなかった。
「ペドフィと一緒か。やっぱ、戦い方を知らない奴は纏うんだな」
初代の感想に、サディールも同意する。武器や防具の扱い方を知らないからか、既存の装備に頼らない。
少女は肩から腕にかけて闇を纏い、異形の手を象っていた。脚も同じように黒く、鋭利な先端を形成している。
そして、背中からは大きな両翼が広がり――
「……まるで魔物だな」
エリスが吐き捨てる。本音と挑発。
しかし、相手に反応は見受けられない。
一方、ネレイドは悩んでいた。短剣を掴んだのは反射的行動である。
結局、咄嗟の攻撃に対して避けることも、泰然としていることもできなかった。
その結果、レヴァ・ワンを今の形にすることに決めた。
正面からの攻撃はなんとか対応できるから、鎧はいらない。
けど、後ろからの攻撃は怖いから翼を付けた。
「――あっ」
なんとなく掴んだ短剣をにぎにぎしていると、飛んでいってしまった。どうやら、先ほどの雷撃は糸を成していたらしい。
エリスが手繰り寄せ、刃は持ち主の元へと帰っていった。
それも雷と糸、両方の性質に転換させている。
もし避けていたら、すかさず軌道を変えて襲い掛かっていたことだろう。そういう意味では掴んで正解だった。
「相変わらず、対人戦闘しか想定していないんですね」
今の攻防でサディールは見抜いた。
ネレイドが勝つと。それも呆気なく、容易く勝負を付ける。
その読みは正しく、エリスは攻めあぐねていた。避けられる、防がれる想定はしていたが、まさか掴まれるとは。
また、これ見よがしに魔術が通用しないのを見せつけられたこともあり、動揺せずにはいられなかった。
頭ではわかっていたつもりだったが、いざ相手をするとなると実に恐ろしい。
最初の完璧な奇襲を防がれた時点で、遠距離攻撃は通用しないだろう。かといって、あの異形の手足に向かっていくのは難しい。
憎らしくも、相手は阿呆面を晒して突っ立っている。
そして、その顔と華奢な身体が手足と噛み合っていない所為か、どうにも距離が掴めなかった。
それに相手の得物が素手である以上、距離を埋めたところで短剣が有利になるわけでもない。
なら、取れる手段は迎撃――相手の攻撃を避け、その隙を衝く。
立ち姿を見るに、彼女は戦いに慣れ親しんでいない。
ただ、レヴァ・ワンという強力な武器を手にしたからこその強さ。
すなわち獣と一緒だ。
強い武器を持つゆえに、技を知らない。
エリスは覚悟を決め、動き出す。
牽制と確認の為に短剣に雷を纏わせると、相手はあからさまに視線を向けた。それを振るい、電撃を飛ばしてやると、やはり右手を出して防いだ。
ゆっくりと、エリスは接近する。
相手が痺れを切らせて、攻撃してくるようにじらす。
まだ遠距離の間合いだが油断はしない。異形の足がどれほどの初速を繰り出すかわからないので、いつ来てもいいように集中する。
そうして、中距離――槍の間合いに踏み込んだ時、ネレイドが地面を蹴った。
「――はっ!」
エリスは声をあげ、雷撃を飛ばす。
案の定、相手は驚いた反応を示し、右手で防御する。
それにより、僅かだが勢いが止まった。
その隙にエリスは逃げるように後ずさり――思惑通り、ネレイドは足を出した。
左の回し蹴り。これを避けて、無防備の腹に短剣を突き刺せば勝負がつく。
果たして――エリスはかわした。
予測し、集中していたから当然である。
対して、ネレイドは深く考えていなかった。手で捕まえる目論みで飛び出したものの、届かないと思ったから蹴りを選んだに過ぎない。
結果、回し蹴りは避けられ――背中の黒い翼が、エリスの身体を容赦なく打った。
「あっ、ごめんっ!」
狙ったわけではなかったので、ネレイドは素直に謝る。黒い翼の一撃を受けたエリスは派手に転がっていた。
「対人戦闘しか想定していないから、そんな目に遭うんですよ」
マテリアに聞かせるように、サディールが言う。
「未知の相手に対して、迎撃はもっとも愚かな選択です。それも相手の攻撃手段を知る前に仕掛けるなんて」
実際、ネレイドが無手だったのは殺す気がなかったからだ。異形の手とはいえ武器は持てるし、いくらでも生み出せる。
「どうやら、エリスさんは小賢しい馬鹿のようですね」
それに比べて、ネレイドは考えていないようで考えていた。あの四肢と翼を前にすれば、後ろや横から攻撃しようとは思えない。
彼女の容姿も相まって、大抵の敵は正面を選ぶ。
「嬢ちゃんは、ディリスの森での一件を憶えていたと思うか?」
軽い調子で謝りながら、エリスを介抱しているネレイドを見て初代が訊く。
「どうでしょうか? そんな余裕はなかったと思いますけど、自力で辿りついたとしたら大したものです」
あの時、サディールが考えた最善策と同じ形態。それをペドフィの尽力なく、やってのけたのだ。
「残る問題は、対レヴァ・ワン用に鍛えられた戦士がいるかどうかです。もしいたとしたら、私ではお嬢さんを守れません」
遠距離から多人数を相手にするのが得意なぶん、近距離で少数精鋭と戦うのがサディールは苦手であった。
「かといって、あのガキを連れて行くとなるとペドフィは期待できないよな?」
「えぇ、おそらくは。そうなると先代に任せるしかないのですが……」
「嬢ちゃんとオレは身体の相性が悪いからな」
奇しくも、エリスが称した獣がレイピストであった。