第91話 鬼畜未満、悪女以上
文字数 3,620文字
城塞都市サンドラに着いた時点で山賊と出くわす危険性はなくなり、代わりに王都から逃げ出してきた民たちと先住民による些細な騒動が増えてくる。
それにはレヴァ・ワンの存在も一役買っていたので、騎士たちはネレイドの姿を隠すよう徹底した。
結果、追加人員の二人以外にとっては、つつがない毎日であった。
移動も食事も寝床も任せっぱなしで大丈夫。街や村に着くたびに、身体や髪を奇
麗にすることもできて、快適そのもの。
これまでの旅はおろか、村での生活と比べても破格の扱いである。そのことに苦笑しながらも、ネレイドは傷の回復に努めた。
ペドフィはその護衛。というか、ニケの視線が嫌という少女の要望に従って、壁役を望み出ていた。
それは優しさというより、サディールを無視する口実であった。
そのサディールは、ユノへの性的嫌がらせに全力を注いでいる。
女性陣の中では最年長であるからか、ネレイドもエリスも庇いはしなかった。またユノ自身、年下の少女に頼る発想もなく延々と虐められ、ニケがそのとばっちりを受ける。
黙って聞いていられるほど女性に免疫はなく、かといって聞き流せるほど薄情でもない。
更に言えば、サディールの面倒くささも知らなかったので、ついつい口を挟んで猥談に巻き込まれるといった次第。
そんな中でも、エリスは内なる竜と話していた。
ネレイドとペドフィはそれぞれ魔術で騒音を妨げる方法を身に付け、完全なる無視。
そういった毎日も、城塞都市クリノに到着して終わりを迎える。
「なんとも、変な気分だ」
夕食までの自由時間、ネレイドの肩に止まっている初代が呟いた。
「ここから魔境ではなく、王都や聖都に攻め入るなんてな。生きていた頃には、考えられなかった事態だぜ」
今までとは逆の展開に、初代はしっくりこない様子だった。
ネレイドは宛がわれた部屋の寝台に腰かけたまま、
「この先は、霊山と霊湖に守られた土地なんですよね?」
道中に聞きかじったことを確認する。
「どっちも塩が取れるんだよ」
「山からもですか?」
「あぁ、そうだ。珍しいか?」
「海から採れるって教えられてたから、ちょっと驚きました」
三つ編みを解きながら、ネレイドは答えた。
「昔は、いつ湖が枯れるかわからないって言われててな。それで節約している最中、どっかの部族が山でも塩が採れることを見つけたんだとさ」
「へー、それはレイピスト様の?」
「あぁ、オレの先祖って話だ。だから、オレの祖父さんや親父は自慢気だったよ。オレたちには王家に貸しがあるってな」
「それで憧れていたんですね」
ネレイドは鏡台へと移り、うねる髪に櫛を通す。
気を利かせてか、初代は台の上に着地した。
「たぶんだが、オレは喜んで貰いたかっただけなんだよ」
子供みたいな理由を聞かされ、なんとも言えない気分になる。結末を知っているからか、ただただ痛ましい。
「これから……大丈夫ですか?」
今夜、王妃と二人の王女に会う約束があった。
「それは問題ねぇよ。王や王子が相手ならまだしも、王妃や王女に言いたいことは何もない。そいつらのことは、オレにはわからないからな」
「私は正直、気まずいかな? エリスだけじゃなくて、サディール様とペドフィ様も誘われていないし……」
「始まりはオレだからな」
「でも、今の王家はレイピスト様の血を引いていないんですよね?」
「あぁ、ペドフィの代で既に途絶えていたらしいからな。それで奥さんの傍系を玉座に据えたって話だ」
それもまた、ネレイドには理解できない内容だった。
直系じゃないと駄目だから、初代の子供に継がせたはずなのに。それが途絶えたら傍系でもいいなんて、なんか納得がいかない。
「レイピスト様はそれを聞いて、怒らなかったんですか?」
「最初はどうかと思ったが、自害だと聞いて褒めてやりたくなったさ。それも芸術的な死にざまだったって話だ」
「褒め……なんで、ですか?」
「そいつは道具であることを、良しとしなかったんだろう。サディールがやらかして処刑された後の話だったからな」
初代の息子は一男一女をもうけ、王女のほうは教会へと預けられた。やがて、その王女はサディールを産み――鬼畜の血を証明することになった。
「周囲は揃って、父親はまともだったという。当然、教会たちも育て方に問題はなかったとほざいた。つまり、悪いのはオレの血筋ってことにされたわけだ」
結果、王家側はこれまで以上に子供を管理した。
自由なんて一つもなかった。ただ、直系を産む為だけの道具。それも万全を期して、予備も用意されていた。
「けど、そうして作られた子供は馬鹿じゃなかった。最期に言い放った言葉からして、愚かだったのは周りの大人たちだ」
――呪われた血は、ここで絶やさなければならない。
そう言って、王は自らの首を貫いた。
奇しくも、その日は彼自身の戴冠式であったので、王国騎士団から預けられた忠誠の剣を用いて――
「おまえは鬼畜、呪われた血を引いている――って言われながら、育てられたのが目に浮かぶ台詞だろう?」
道具を作る側が感情的になって、道具を作れるはずがない。加え、それは王としての正しさや潔癖さとも噛み合わなかった。
呪われた血を引いているからこそ、清廉潔白でいなければならない――そんな理屈は、自分の命を大切にしている者にしか通用しない。
そして、彼はそうではなかった。冷静に自分の命の使い道を考えられる、ある意味、王としての器を持った人物だった。
だからこそ、弟たちも後を追うように自害した。
混乱に乗じた、見事な手際だったらしい。
「ちゃんとした愛と教育を受けていれば、きっといい王になったんだろうな。言葉と行動で持って示し、それに従う者がいたんだから」
本当に褒める口ぶりだったから、ネレイドは何も言えなくなってしまった。
誤魔化すよう、黙って髪に櫛を通す。
とうてい、理解できる感情ではない。
また、自分には絶対に無理だとも思う。
言葉と行動でもって、誰かを導くことなんて――たとえ、それが自害であったとしても、できるはずがない。
復讐を果たして、確かに満足はできた。
でも、誰かに勧めたいと思えるほど嬉しくはなかった。
なんというか、興味があるならどうぞ程度。
たぶん、費やした時間を他に充てていれば、同じくらい満足はできたんじゃないかって思う。
「ねぇ、レイピスト様。私、全部が終わったら何をしたらいいんだろうね」
「オレが知るか。まっ、もし嬢ちゃんが男だったら、王女の婿にって勧められると思うぜ」
「うわー、女で良かったって久しぶりに思ったよ」
「それでいいじゃないか」
「えっ?」
「女で良かったって思えることを沢山すればいい。せっかく女に生まれたのに、これまで男が羨むことばっかりしてたからな」
「……いいのかな? 私がそんな普通の幸せを望んじゃって」
「以前に言ったろ? 一貫性ってのは小物の防衛本能だ。みんなに好かれたいのなら大いに結構だが、そうでないんなら拘る必要なんてねぇ」
「そっか……。そうだよね。どうせ、何をしても嫌われるんだもんね。レイピスト様の血が流れている限り……」
でも、と繋いでネレイドは鏡に笑みを映す。
「この血を厭う人になら、別に嫌われたっていいや。だって、私はいっぱい救われたもん」
「同じくらい、傷つけもしたぞ」
「うんっ、そだね。でも、傷は治るから。矢を受けたお腹が痛くないように……もう、ぜんぜん痛くないんだ」
「そういうとこ、女は強いよな。ペドフィとは大違いだ」
「そっかな?」
「あぁ、そうさ。偉そうなこと言ってるけど、オレもサディールも傷を治せなかった。ただ、痛がらなかっただけだな。いや、むしろ自分で傷口を広げて楽しんでいた」
ネレイドからしてみれば、そっちのほうが凄くて強い。
「だから嬢ちゃんは、しっかり治してやり直せばいいさ。何事もなかったように」
「それ……酷いね。酷くて、いいかも」
「あぁ、酷い。けど、鬼畜とはいえない。せいぜい、悪女ってとこか? まぁ、今の嬢ちゃんには程遠いけどな」
「む……」
ちょうど鏡の前だったので、姿勢を正して顔も作ってみる。
鳩の血のように鮮やかな髪に緑の瞳。唇はピンクだけど、薄くて小さい所為か幼く見える。舌で舐めて艶を出しても、色気は醸し出せず。
それでも気にせず相好を崩してやると、
「可愛いな」
初代は子供に投げかけるような感想をくれた。
「そこで姿勢を正して、普通の笑顔を作るところが最高に嬢ちゃんらしいよ」