第48話 天敵との戦い
文字数 3,956文字
「やはり、そうなりましたか」
羽虫型のサディールが呟くと、エリスが外に目を向ける。
と、熊が来たと勘違いしたのか、無言で短剣に雷を纏わせた。
「ですから、あなたは認識が浅いと言うのです。あんなにゆっくりと、二本足で歩く熊がいますか?」
本当に身体強化は苦手なようで、エリスはわざわざ光を生み出した。
「――
「言葉がいらないのは雷だけですか?」
「……練習不足ですみません」
ふてくされたようにエリスは謝った。意思だけで魔術を行使するには、嫌になるくらいの反復が必要となってくる。
なので、決定打に欠ける光が後回しにされるのはわからなくなかった。
「別に謝る必要はないですよ。現に私なんて、言葉がないと何一つ使えませんから」
「固定城塞型魔術師と恐れられていたのに?」
「レヴァ・ワンがありますからね。あれは意志を持った純粋な魔力でもあるんです」
やはり、エリスはレヴァ・ワンについて詳しく知らないようだった。
そんな彼女が生み出した光を目印にして、ネレイドは休憩所に辿りついた。
「つ、疲れた……」
背負っていた熊を放り投げるように落として、自分もまた倒れ込む。
「お疲れ様です。先代、さすがにやり過ぎでは?」
その熊からぷかぷかと羽虫が飛び立ち、
「よく見ろ。ちゃんと配慮してある」
初代が弁明をする。
「大変だったぞ、人間と同じ背丈の熊を探すの」
「背丈を揃えても、重さが違うでしょう?」
「だから、よく見ろ。先に内臓を取り除いてある」
サディールは人型になり、熊をひっくり返すと腹の中が空っぽだった。
「熊の内臓は高く売れるんですけど?」
「知ってる。だから、レヴァ・ワンに収納した」
二人の会話を聞いて、
「……サディール様も充分酷いです」
ネレイドは愚痴を言う。
「これは失礼。エリスさん、傷の手当てをお願いできますか?」
「何故、わたしが?」
「二度手間になるからです。補給ができなかったにもかかわらず、それなりに魔力を使わされたので。もっとも、それは飼い主の身を守る為に仕方ないとわかってはいるようですが」
「いったい、なんの話をしている?」
「レヴァ・ワンですよ。言ったでしょう、意思を持っているって」
ここでやっと理解したのか、エリスの顔に動揺が浮かんだ。
「けど、基本的には馬鹿で食い意地が張っている。つまり、ここで更に魔力を使わせると近くの魔力――すなわち、エリスさんのをつまみ食いする危険性があるんです」
「……それで二度手間ということか」
「えぇ、最初からあなたが魔力を消費して治したほうがいい」
脅しに屈して、エリスは傷の手当てを始めた。
「……酷いな」
近くで見ると、生々しかった。
重傷こそ負っていないが、細かな傷が多すぎる。
「ほとんど自滅のようなものだ。派手にこけるは木にぶつかるは――」
「だって、怖かったんですもんっ! いきなり包丁で熊を倒せとかっ!」
黙って聞いていられず、ネレイドは吠える。初代の言い草では、本当に馬鹿みたいに聞こえて納得がいかなかった。
「それにこけたのも、木にぶつかったのも熊の攻撃を避けたり受けた結果ですからっ!」
手足だけはレヴァ・ワンを纏うことが許されたものの、踏ん張りまでは利かなかったのだ。
「熊の攻撃を手だけで受ける奴が悪い。体重差を考えろ、吹き飛んで当然だ。あまりに見事な飛びようだったから、オレはあえてタイミングを合わせて受け流したかと思ったぞ――顔面から木にぶつかるまでは」
「それもっ! レイピスト様が手で防げって言ったからじゃないですかっ!」
「そりゃ、おまえの戦闘スタイルの問題だ。前提として、正面からの攻撃は自力で防がないといけないだろう?」
「それはそうですけど、なんで相手が熊なんですか? 意味わかんないですっ!」
黙って傷の手当てをするエリスは面食らっていた。マテリアと対峙していた時と、少女の様子がまったく違ったからだ。
今はただの小娘にしか見えない。それも、つい叱ってしまいそうなほど生意気で口の訊き方がなっていない。
「おまえが抱いた感覚が、レヴァ・ワンと相対した時の魔族の感覚に近いと思ったからだ」
一方で、初代レイピストは礼儀を尽くすに値する人物に見えた(羽虫サイズだが)。これもまた、マテリアに暴言を吐いていたとは思えない変わりようである。
「先に無防備の姿を見つけた時でさえ、おまえは怯えていただろ?」
「そ、それは……」
「まっ、別に熊じゃなくても良かったんだがな。嬢ちゃんに身近なモノで例えると、気持ち悪い虫や蛇を見つけた時の感覚かな?」
釣られて想像してしまい、エリスは気分を害してしまう。
「こちらが見つけ、駆除する装備もあり、優位にもかかわらず、不安や恐怖が身体中に走る。いわゆる天敵っていうのかね。とにかく、レヴァ・ワンを見た時の魔族もそうなる」
「だから、私でも勝てたんですね」
「そうだ。けど、人間にもいるだろ? 平気で熊やら蛇やら虫やらと対峙できる奴が」
「つまり……レヴァ・ワンと戦う覚悟がある者がいるってことですね?」
小娘と見下していた相手に先んじて答えられ、
「あぁ、いると思う。ちなみに、嬢ちゃんならどうする? この馬鹿剣と敵対したら、どう戦う?」
エリスは勝手に落ち込むと同時に対抗心を燃やして考える。
「先に傷を治しましょうか? 見ていて怖いですから」
すると、サディールが小声で忠告してきた。そんな当然の指摘をされたことが悔しくて、エリスは顔を真っ赤にしながら治療を続ける。
「人質を盾にしながら、弓や投石で攻撃します」
が、小娘の回答でまたしても意識を乱されてしまった。
「悪くない答えだな。どうして、そうする?」
「魔力を使ったら居所を探られるから。そうでなくとも、人質がいなければ辺り一帯ごと切り払われておしまいです」
正直、どんな娘なのかが掴めなかった。沢山の妹や姉たちに囲まれて育ってきたから、あらゆる少女を知っているつもりだったのに……今までの経験がまったく通用しない。
「まぁ、正解だ。もっとも、オレたちが恐れているのは近接戦闘の達人だ。人間の技と装備でもって奇襲されたら、サディールやペドフィじゃまず対応できない」
「そう、なんですか?」
「お恥ずかしながら、私では防戦一方になります。ペドフィ君は準備次第ですね。レヴァ・ワンを半暴走状態で纏っていれば大丈夫でしょうが、そうでなければ同じように追いつめられるかと」
傷の手当てが終わったので、エリスも思考に没頭する。
「ありがとう」
「……」
軽い感謝の言葉が飛んできたが、気に食わなくて無視してやった。
「実際、ペドフィはそれでやられてる。神帝懲罰機関の手によってな」
急に矛先を向けられ、銀髪の少女はたじろぐ。
「おまえ、どうやってペドフィを追いつめたか聞かされているか?」
初代に尋ねられるも、エリスは首を振るしかなかった。
「色香で誑かせて、集団で襲ったんだ。しかも逃走経路を残しといて、そこに大量の罠を仕掛けてな」
「あのー、本当にペドフィ様が色香に誑かされたんですか?」
信じられず、ネレイドは確かめる。禁欲趣味と揶揄され、自分が楽しむことを許さなかった人にしては、あり得ないミスである。
「色香、ってのは語弊があるか。一応、ペドフィも相手も本気だったっぽいしな」
「女に騙された、という点では一緒ですけどね」
好きな話題なのか、サディールが張り切って口を挟む。
「処女を貰ってくれ、と言われて馬鹿正直に信じたのが彼の運の尽きです。しかも、それで私や先代に邪魔するなと釘を刺して、封じ込めていたのも悪かった」
ネレイドは心の中でペドフィに声をかけるも、反応はなかった。
「いや、悪かったのはあそこで結婚しようって言えなかったヘタレっぷりだ。自分にはそんな資格はない、また相手の仕事を非難する資格もない。ないないないって言い訳しやがって。それで処女だけは貰おうとして本当みみっちい」
相変わらず、初代の評価は厳しかった。
「処女を捨てるということは、信仰を捨てると同義。つまり相手は信仰か愛か、本気で悩んでいた。そういった彼女の悩みを理解せず、下心丸出しの男の返答なんてするから裏切られてしまった。やはり、鬼畜な先祖たちと同じだと――」
「よく自分で言えますね」
ペドフィに代わって、言ってやる。
「自覚はあります。だからこそ、私たちはペドフィ君ほど教会を恨んではいません。私と先代は、教会に殺して貰ったと思っていますからね」
「けど、ペドフィは違う。こんなガキが一人いるだけで引き籠っちまうほど教会を、ひいては神帝懲罰機関を憎んでいる」
居心地悪そうに、エリスは俯く。
「だからおまえ、できるだけサディールの傍にいたほうが良いぞ。いつ、殺されるかわからないからな」
「先代、そんなつまらない冗談で怖がらせるのは止めましょう。ただでさえ、怯えて面倒なんですから」
二人の先祖は見え見えの挑発をし、
「だ、誰がっ! わたしは怯えてなどいない。ただ、自分の無知を恥じている……だけだ」
あっさりとエリスは乗った。
「はぁ……」
それでネレイドは察する。
「とりあえず、ご飯の支度をしましょう。エリスも手伝ってくれるよね?」
この娘と仲良くしろという、先祖たちの要望に。