第50話 ヴィーナの街
文字数 4,268文字
「はぁはぁ……疲れた」
とはいえ、まもなく日が暮れる頃。
これなら今まで通り歩いていたほうが良かったと、ネレイドは内心で思う。小高い丘から見下ろせるというだけで距離的にはもう少しあった。
空でも飛ばない限り、閉門時刻まで間に合いそうにない。
「昼にはつきたかったんだけど、嬢ちゃんたちが遅いから」
初代の言い分は滅茶苦茶だった。
体力には自信があったエリスでさえ、何を言っているんだこの羽虫は? という目をしている。
「まぁ、いいじゃないですか。そのぶん、街の状況がわかりますし」
同じく、羽虫型のサディールがフォローをする。
門を閉ざしたあとも、警戒をするか否か。また、その規模によって防衛レベルが判断できると。
「ちなみに、あなた方が通った時はどうでしたか?」
「満月で明るい夜だったにもかかわらず、外壁の上には常に魔力の炎と光が灯されていた。その動きからして厳重体制と先生が判断し、夜の内に通り過ぎた」
疲れた様子を見せていたはずだが、エリスは詰まることなく答えた。
そのあと、視線が座り込んでいるネレイドに向けらたところからして、また妙な対抗意識を燃やしているのだろう。
「夜の時分に、あのマテリアさんがそう判断した」
そらんじながら、サディールは考える。
二つあるものを一つにしてやったあの男。身体に不釣り合いの脚を与えただけあって、そう早く移動ができたとは思えない。
それでも、休まず進んでいれば神帝懲罰機関が通過するよりも早く、ヴィーナには辿りつけたはず。
気になるのは、あの街が男の言葉を受け入れたこと。確かに見るも無残な姿だろうが、有頂天になっている集団の頭を醒ますほどではない。
「何を考えてやがる?」
少女二人には読み取るのが難しい顔色も、初代には容易であった。
「先代は、あの可哀そうな男のことを憶えていますか?」
「あぁ、おまえが痛めつけて泳がせている奴だろ。更に言えば、嬢ちゃんが殺したがっている相手だ。というより、ていのいい目安だな」
世界を救う、困っている人々を助ける。それよりはマシだが、魔族を殺すという目標も終わりが見えづらい。その所為か、ネレイドはわかりやすい敵討ち、復讐をモチベーションにしている節があった。
「田舎娘ですので仕方ないでしょう。目に見えないモノを信じるには、それなりの教育――と言いますか下地が必要です。英雄譚に憧れる少年ならまだしも、少女では……」
話が脱線していると、サディールは仕切り直しをする。
「あの男の言葉を信じて、ヴィーナは警戒体制をとっているのか。それとも、最初からそうしていたのか、先代はどちらだと思いますか?」
「どっちにしろ、それなりの統率者と兵がいるってことだな。あと、男の言葉を信じたんじゃなくて、単にレヴァ・ワンを想定していた可能性もあるぞ」
指摘され、サディールは思い至る。
「その場合、先代ならどのような対策を?」
「オレなら、兵と物資を運び出す」
「拠点の放棄ですか」
「あいつらにとっちゃ、ヴィーナは拠点じゃないんだろ。五芒星の街と一緒さ。目的は略奪とレヴァ・ワンの足止め。おまえも今の地図を見たろ? いわゆる、
ヴィーナの次にある街はディアーネ。そこからアレサに至るまでの距離は、聖都カギに戻るのと同じくらい離れている。
「エリスさん、アレサの状況はご存知ですか?」
あの男の身体では、まだアレサまでは辿りつけない。
「着々と、魔族が集まっていると聞いた。だから、私たちは別のルートを辿り、ニューロードを使わずに
「王族の対応は?」
「城塞都市サンドラまで退いた。アレサの状況を止めることは不可能と判断してか、そこを最終防衛ラインとされたようだ」
逆に言えば、そこで食い止める自信があるということ。
神帝懲罰機関を派遣し、レヴァ・ワンに五芒星の街の奪還を急がせた点からみても間違いない。
そうして、教会騎士団とレヴァ・ワン、神帝懲罰機関と王国騎士団による挟撃で、一網打尽にする筋書きであろう。
「ディアーネの様子は?」
「それもわからない。わたしたちがニューロードに戻ったのはヴィーナの手前だ。それまでは魔境の名残がある未開拓地帯を通っていた」
「あなた方が通れたということは、あえて開拓していないんですね」
欲しい情報が得られなくて、サディールはつい嫌味を言ってしまった。
「そんなことはないっ!」
断言したところからして、大っぴらにされてはいないようだ。仮にも、神帝懲罰機関の人間に知らされていないということは王族側の差し金か。
もし
「現にアレサが落ちたのは、未開拓地体から発生した魔物が原因のはずだ」
自分たちの潔白を晴らそうとエリスが吐き出した事実は、
「……はぃ?」
「は?」
初代と二代目に衝撃を与えた。
「ちょっと待て、まさか魔族と魔物が手を組んでいるなんて言わねぇよな?」
羽虫とはいえ、初代レイピストに詰め寄られ銀髪の少女は気圧される。
「……そんなにおかしいことなのか?」
状況から、エリスにも言わんとしていることは理解できているようだ。
「そうだな、まず魔物が生きているのがおかしい。あいつらはペドフィが駆逐した。だとすると、その魔物は何処から出てきた? つか、てめーは魔物をどう認識している?」
「……魔力による、動植物の突然変異」
指導を受ける生徒のように、エリスはおずおずと答える。
「悪かない。じゃぁ、次の問題だ。そこまでの魔力をどうしておまえらは放っておいた? 水鏡を観測し、土地がそうなる前に浄化するのも教会の仕事だろう?」
「……っ」
可哀そうに、少女の唇は閉ざされてしまった。震えようからして、決して答えがわからないからではないだろう。
「ったく、怪しいなんてもんじゃない。これで完全にクロじゃねぇか。水鏡の観測者が一枚噛んでるのは確実だ」
「そうなりますと、私たちの居場所は筒抜けですね」
現に、マテリアたちは待ち伏せをしていた。
「ちなみに、あなたのほうから水鏡の観測者と連絡は取れますか?」
エリスは首を振る。
子供が嫌々っ、とするように幼い仕草で否定した。
「じゃぁ、とりあえずマテリアさんに報告しておいてください」
ここにきて、のほほんと休憩していたネレイドが口を挟む。
「あのー、聞いてて思ったんですけど。魔物って作ったりはできないんですか?」
「レヴァ・ワンであれば可能でしょうが、魔族には無理です。魔物でさえ、人間の女に自分の子供を産ませることはできても、その人間を魔族に変えることは不可能でしたし」
「えーと、魔物のほうが魔族よりも上なんですか?」
田舎娘にとっては、その辺りもさっぱりだった。
「私たちが使っている『魔族』の場合は、そうなりますね。いわゆる、魔物と人間の子供」
「じゃぁ、レイピスト様が犯した魔物たちが子供を産んでいたら?」
「魔族となります。もっとも、人間形態でしたらですが。所詮は便宜上の呼び名ですので」
本来であれば、堕ちた神と人間の間にできた子供を指す。とはいえ、もはやそのような者は存在しないので、サディールは説明しなかった。
「あとは魔境で生まれ育った場合、そうなる可能性もある」
一方で初代が別の例を述べる。
「ようは、魔力による人間の突然変異だな」
「まさか、レイピスト様が?」
「ばーか、だったらレヴァ・ワンに選ばれねぇよ」
「あっ、そっか」
ネレイドは納得すると同時に胸を撫でおろす。
「じゃぁ、魔力がある人とそうでない人の違いってなんなんですか?」
「悪神や魔族を始祖に持っているか、単に魔力に耐性を持ったか。教会は魔に対抗する為に、神より授けられたギフトって言ってるけどな」
本物の神剣レヴァ・ワンを考慮すると、教会の弁は戯言でしかなかった。もし善神の系図であれば、魔力とは別の力を授かるはずである。
しかし、レイピストの時代ですらそのような力の持ち主はいなかった。
ゆえに、この世界の善神は眷属も含めて既に死んでいるのだと初代は断ずる。
だからこそ、神剣も自らの使命を果たす為に姿を消した。すなわち、神を殺す為に別の世界へと渡った。
そして、魔剣レヴァ・ワンが残っている事実からして、この世界にはまだ悪神の眷属が存在している。
また、魔力だけが伝わっていることから察するに、遥か昔、この世界においては悪神側が勝利を収めたのだろう。
もっとも、エリスの前でそのようなことは言えはしない。面倒なのは明らかだし、そもそもその情報自体なんの役にも立ちやしない。
あえて言えば、悪神の眷属を滅ぼせばレイピストも解放される可能性があることくらい。
だが、最悪の場合は別の世界にまで連れ去られ、使役される恐れもある。
「とりあえず、先代の推測が正しいかどうか確かめて来ます。もし正しければ、夜の内に乗り込んでさっさと片付けてしまいしょう」
そう言い残して、サディールは飛び立っていった。
「えーと、エリスって言ったか? おまえには頑張って貰わないといけないから、今の内にしっかり休んでおけよ」
もし推測通りだとしたら、街の惨状は酷いだろう。
少人数でレヴァ・ワンを足止めしようと思った場合、もっとも効果的なのが半死状態の捕虜を沢山こしらえることだからだ。
完全に頭がイっていた時ならともかく、平常時で見捨てられるほどレイピストたちは鬼畜ではない。
もっとも、必要であれば平気で行える。間違っても、自分の身を危険に晒してまで見知らぬ誰かを助ける気概はなかった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、わたしは大丈夫ですので」
エリスは気丈な返事をしてくれたが、きっとわかっていない。顔つきからして、戦いを想定している。
「まぁ、いいか」
面倒を見るのはサディールだからと、初代は少女の勘違いを正してやらなかった。