第85話 滅びの条件、レイピストの血縁たち
文字数 5,298文字
高みの見物と洒落こんでいる、初代レイピストが他人事のように漏らす。
「随分と余裕ね。どう見ても、ペドフィストが追い込まれているのに」
内心の恐怖を抑えながら、ヘーネルが指摘する。レイピストは後ろに立っているだけなのに、何故か逃げようとは思えなかった。
「ありゃ、自業自得だ。あいつが得意なのは虐殺なのに、戦おうとするから足元をすくわれる」
枷をはめられるなり、武器を突きつけられていれば相応の打開策をとれるものの、こうもあけすけだと難しい。
多すぎる選択肢は時に自由を縛る。
「あのデブだって、よくいる迎撃型の魔物。再生の特殊装甲持ちじゃねぇか。人型という見た目に囚われなければ、いくらでもやりようがある」
「魔物を分別しているみたいだけど、名称とかはないの?」
ふと、気になったのでヘーネルは尋ねる。
「名前を付けるってのは、他と差別化するってことだからな」
名付けるとしたら、基本的に自分たちの天敵。それは住む地域や部族にとって異なるので、体系化はされなかった。
「つまり、あなたにとって特別な魔物はいなかったってこと?」
「戦う者にとって、大事なのは敵の特性と特徴だけだ。それにいちいち名前を付けて分類できるほど、人間側が有利だったわけじゃねぇ」
学者か商人であれば、その行為に意味や価値を見出したかもしれない。
しかし、魔物と遭遇するのは主に戦士たちだった。
「あと、名前はいつか力になる。だから、本当に滅ぼしたい時には、名前なんて必要ないんだ」
そういう意味では、教会が取った手段は愚かであった。どれほど歪めようとも――名前が残っている限り、その存在を消すことはかなわないのだから。
「……そう。なら、私たちは名無しのまま死ぬのが正解なのね」
「そういや、リビ・ジョニスって奴しか知らねぇな。なんて名前なんだ?」
「……普通、ここで訊く?」
「じゃないと、あんたはリビ・ジョニスの仲間その一ってことになるぜ?」
「うわー、それはなんか嫌かも」
冗談ぽく漏らしてから、
「ヘーネルよ」
女魔族は名前を告げた。
「あとはアレクト、アトラス、ケイロン、エイル。そして、リビ・ジョニス」
「墓標に刻んで欲しいのは、その六人だけか?」
「名前を残すとしたら歴史のほうね。レイピストの子孫にして、悪逆非道の魔族たち」
「そこでオレの名を出すのは、勘弁して欲しいんだが?」
「それは無理ね。あなたのことを知れば知るほど、普通じゃないって思うもん。ほんと、とんでもない相手に喧嘩を売ったなって」
ヘーネルは饒舌になっていた。
まもなく、自分が最後の一人になりそうだったから――
初代レイピストに指摘された通り、自分たちの認識が甘かったのだ。
両手に闇の刃を握り、ペドフィは苦戦を強いられていた。
纏った闇を放出してなお、誰一人として倒せなかったのが痛い。
自滅したと思っていた巨漢、喧しい女声の異形、食虫植物のような魔物。
基本的に巨漢が盾となり、その後ろから触手が襲い掛かる。
触手はすぐに生えてくるのか、斬っても斬ってもキリがない。巨漢も同じく、すぐに肉を再生させる。
生半可な闇ではとても突破できない。
かといって、瞬間的に大量の闇を引き出そうとすると、
「いいのかあぁぁっまた暴走するぞっ?」
異形の左腕が邪魔をしてくる。攻撃自体は大したことないのだが、タイミングが絶妙過ぎるのと、金切り声が煩くてかなわない。
「ちっ、なんなんだいったいっ!」
先ほどはレイピストの血に対するレヴァ・ワンの反応と、耳に入ってきた情報が噛み合って、つい敵の言葉に流されてしまった。
だが、今は違う。
ペドフィは本当に暴走を危惧してしまっている。
何を興奮しているのか、レヴァ・ワンの脈動が激しい。血を食べた時よりも、更に著しい反応。
結果、闇を出すことに躊躇い防戦一方。ペドフィは両手の刃のみで応戦しているので、敵に致命傷を与えられずにいた。
ただでさえ、再生の肉、感知の目、使い捨ての触手と厄介なのだから、当然の状況である。
その上、徐々にレヴァ・ワンの制御が効かなくなってきた。身体中から
「……まさか?」
ここにきて、ペドフィは一つの可能性に思い至る。
彼は今日まで引きこもっていただけで、眠っていたわけではない。
だから、ネレイドが見聞きした事柄――また、彼女が発した言葉も記憶していた。
「っ!? ――離れろ!」
半暴走の予兆を感じ取ってか、敵は攻撃を止めて距離を取った。どうやら、感知の目にも見えていたようだ。
既にペドフィは浸食されていると。
今溢れ出ている闇は彼の支配下になく、別の意思によって蠢いている。
「……なるほど。邪魔をするな、という訳か」
ペドフィが状況を理解すると、闇が身体を包み込んだ。火柱のように激しく、黒い闇が空へと立ち昇る。
そして、それが収まると馴染んだ姿――黒い四肢に翼、異形の手で握るは巨大な黒包丁。
「――うがぁぁぁぁっ!」
これ見よがしに吠え、巨漢が襲い掛かる。盾としての役目を果たさんと、その身体をさらけ出し――
「――逃げろっ!」
喚起の声が響くも、遅い。
「――
少女は地面を蹴るなり、低空のまま飛行――刃を振りしきり、巨漢を断ち切る。
今までと違い、その身体は再生することはなかった。裂かれた腹は閉じることなく、むしろ広がっていく。
「……リビ……こい、つペドフィストじゃ……」
巨漢は自分の腹に開いた深淵の眼を閉じようとするも、無駄だった。両手で腹の肉を押さえつけたところで、時間稼ぎにもなりやしない。
現に少女は背中を向けていた。
つまり、彼女の中ではもう終わっているのだ。
「こ……っ! 鬼畜の、末裔があぁぁぁぁぁぁっ……」
しかし、その断末魔すら闇は呑み込んでいた。
結果、あれほどの巨体であったにもかかわらず、他の者からしてみればいつの間にか消えてしまっていた。
そうして、ケイロンは敵にも仲間にも看取られることなくこの世を去った。
だが、仲間たちを責めることはできない。
牙を剥いた天敵を前にして、そのような感傷を抱く暇などなかったのだ。
「だから逃げんなって――!」
巨漢を一振りで屠った少女が怒りを露わに叫び――
それだけで魔の濃い二体は混乱をきたし、周囲に仲間がいることすら忘れてしまった。
ただ、自分が生き残るにはどうすればいいかを考え――揃って、この場から逃げようとする。
「――動くな!」
が、更なる命令。
聞く道理などないのに、これまた揃って立ち止まり――覚悟を決める。
「……来いやぁっ!」
「ふしゅうぅぅぅぅっ!」
二体は異形の左腕と数多の触手を威嚇するよう振り回すも、
――邪魔。
一体は視線だけで無力化される。
そうして、少女は自分が殺すと決めていた獲物へと襲い掛かる。
そう、彼女もまた眠っていたわけではなかったので、外の光景が見えていた。
だから姿形が違えど、この魔物が母親たちの仇だとわかった。
「私はちゃんと殺してあげるから――」
容貌の変化からして、男は充分に苦しんだはず。
もう、これで終わりにしてあげる。
「――そのまま突っ立ってろ!」
揺るぎない殺意に、ほんの少しの優しさを込めて――
ネレイド
は人間の胴体を貫いた。天敵の言葉を信じたのか、それとも単に気圧されたのか――魔物は振り回していた触手を地面へと叩きつけ、無防備のまま刃を受け入れた。
「……り、がとう。きちくの血をひく……かわいそうな、むすめよ」
「黙れ……っ!」
こんな奴から慰めの言葉なんて聞きたくなかったので、少女は腹に刺した剣を振り上げ、その口と頭を切り裂く。
「このっ!」
それでも苛立ちが収まらなかったので、今度は振り下ろして真っ二つに。
「なんで、なんでっ!」
なのにまだやるせなくて、
「……お食べ」
血の一滴に至るまでレヴァ・ワンに処分させる。
「……ははっ」
そこまでして、やっと気が済んだ。
緊張の緩和から自然と口元が笑みを象り、
「……痛いなぁ」
今更ながら、泣き言を漏らす。
矢傷は治ったわけではない。
それでも動けたのは、怒りによるものが大きかった。
そして、それこそがペドフィに暴走を危惧させていたのだった。
「ふざけやがって! ――撃てっ!」
最後の異形が遅すぎる命令を下す。
言葉と目だけでいいようにあしらわれ、今まで息を潜めていたくせして――
その相手が四代目レイピスト。
ただの小娘だと思い至った瞬間、羞恥と怒りからリビは再び戦意を取り戻した。
もっとも、今更である。
現に残っていた雑兵たちの行動も遅い。命令を受けて魔導砲を構えるも、敵を目前にしてやるにはあまりにも無駄が多すぎた。
「……」
ネレイドはその隙を逃さず、固まっていた兵たちに切りかかる。彼らが最初に選ばれたのは、子供の腹を足に敷いていたからだ。
そうして魔族たちを斬り殺していると、魔力の鳴動を感じ取り――
「――ねぇ、約束を破るの?」
魔導砲を構え、今にも放とうとしていた魔族たちに問う。
少女の傍には子供たちがいた。偶然かそれとも狙ってか――今度は
ネレイドが人間を盾に使っている
。「そうだよね。約束は守らないと、駄目だよね?」
もはや、不気味としか思えない口調。痛みと復讐を果たした興奮が相まって、少女は異様な高揚状態にあった。
実際、踏まれている子供を可哀そうだと思ったものの、少し前にした配慮は過りもしなかった。
なので、子供は魔族の血を浴びていた。
それも仰向けにされていたので、顔面から盛大に。
結果、助けられた子供の視界は最悪だった。血で痛む目に見えるのは、異形の手足と翼を持つ少女。
しかも、巨大な包丁で人間に似た相手を切り殺し、微笑んでいる。
子供たちは身体を自由に動かせるようになったものの、助かったとは思えなかった。
だってその姿は、自分たちを傷つけていた魔族よりもずっとずっと恐ろしい。
「あ……あぁ……わぁぁぁぁぁん!」
ネレイドの優しさが奇しくも、恐怖に麻痺していた子供たちの精神に再び火を点ける。
泣くのも叫ぶのも疲れていたはずなのに、ここにきてもう一度、甲高い悲鳴が戦場に響き渡り――
混乱に紛れて、サディールとエリスが参戦した。
二人は少し前に頼まれていた雑用を片付け、遠くから様子を窺っていた。
そこで敵と雑談している初代を見つけ、救援に行けば死人が増えるという意味も察した。
それでも、バレないようサディールたちは突入の機会を待っており、ついに馳せ参じた次第である。
人質として残された子供は十人程度だったので、隙さえ衝ければ助けるのも容易い。
エリスが上空から、石畳を叩き割るほどの勢いで着地し――砂埃に紛れてサディールが救出する。
今の彼には沢山の『目』があったので、無駄なく動くことができた。
「草原地帯まで走りなさい。きっと、優しい誰かに会えますよ」
子供たちに逃げるよう伝えるなり、
「サディストぉぉぉぉぉっ!」
魔族の一人が吠えながら襲い掛かってくる。
「おや、あなたがリビさんですか?」
肉体を手に入れた反面、空間転移は使えなくなった。なので、サディールは新しい特性で相手の動きを封じる。
「なっ! ……貴様ぁぁぁぁっ! それはアレクトの……」
両の掌を向けられただけで、リビの身体は固定化される。
「えぇ、アレクトさんの身体ですよ」
おかげで、リビが二つの目を持つこともわかっていた。
よって、二種の魔眼で縛り付ける。
「しかし、あなた方はいったい何をしたんですか?」
サディールが目をやった先では、ネレイドが虐殺に勤しんでいた。人質がいなくなった今、容赦の欠片もない。
止めるのは無理と察してか、エリスも手伝っている。
「……鬼畜の末裔に、相応しい有り様じゃないかっ!」
「そういうあなたは、敗残者の末裔に相応しいですよ」
「――貴様ぁぁぁっ!」
「そういえば、私の子孫だそうですね」
サディールはころころと会話を転がす。
「やれやれ。相手はちゃんと選んでいたはずですが、随分と情けない仕上がりですね。やはり、近親相姦はするべきではないということでしょうか?」
相も変わらず笑えない冗談を口にして、
「この……鬼畜がぁぁっ!」
これでもないくらい、相手を怒らせていた。