第29話 サディストの哲学
文字数 2,823文字
「これは酷い。まるで家畜小屋ですね」
ゴミと糞尿が道に放置されたまま。本当に街を占拠したいのなら、働いている者たちを拘束するのは賢くなかった。
彼らはそのまま働かせ、彼らの家族を玩具にすべきである。それも見せしめや罰則として。
そうすれば、長期的に支配できる。
「お楽しみを我慢できてこそ、人間なのですが。あぁ、そう言えば自称魔族でしたっけ? もっとも、私に言わせれば人より劣る知性を持った猿ですけど」
サディールが話しかけている相手――お礼を言いたいと述べていたのは昨夜、森を焼き払った男であった。
「現に、今のあなたは満足に立つこともできないわけですし」
男は恐怖に顔を引きつらせていた。
それもそのはず、目の前にいるのはサディスト。昨夜自分を痛めつけ、獣の脚を与えた鬼畜の一人。
「ここまで来るのも大変でしたでしょう。でも、そのおかげで助かりました」
獣の脚では立つのも難しかった。だから片方しかない手も使って、犬のようにアルベの街まで走って来た。
そうやって、レヴァ・ワンの存在を知らせた。この街には四百人以上の同士がいたから、楽に殺せると思い込んで。
「楽に、全員を始末することができましたよ」
それが間違いだったと男は思い知る。
自分はいいように利用されただけなのだと。
「それで、次はどの街に行くのですが? なにぶん、地理に疎いものでして。あなたに案内していただけると、助かるんですよ」
そして、サディストはまだ自分を使おうとしていた。
「ふざっ……っ! ふざけるなっ誰がっ! 誰が、おまえの言うとおりに……」
震える声で男は叫ぶ。
下の歯が全部折られていたので、まだ上手く喋れなかったのだ。
「別にふざけていませんよ? それに、そのほうがあなたたちにとっても好都合では? このままだと、あなたたちはあっさりとやられてしまう。でも、あなたがいれば、散らばっている戦力を集結させることができる」
男は何もかも――二つあるモノを、一つにされていた。眼球から始まり、耳、鼻、頬、腕、睾丸と順番に削がれた。
「それとも、自分たちが負けると思っているのですか? どれだけ数を用意しても、たった一人の少女に?」
男は考える。
四百人では足らなかった。けど、千人いれば?
「まぁ、こちらはどれだけいても勝つつもりでいますけどね。そのことを、お仲間に教えてあげなさい。レヴァ・ワンは――レイピストの血縁は、あなたがたを舐めていると」
同様に、魔族たちも人間を舐めていた。
だから、このままでは確かに負ける。アルベの街をこうも容易く取り戻されたことを教えなければ、他の街にいる同士たちもあっさりと殺されてしまう。
「それができるのは、あなただけです。レヴァ・ワンの恐ろしさを知っているのは、あなたしかいないんですよ?」
乗せられているとわかっていながらも、男に他の選択肢はなかった。
「こ、後悔させてやる。俺を殺さなかった、ことを……魔族を舐めたことを。おまえの思い通りになど、なるものかっ!」
精一杯の捨て台詞を残して、男は街を去っていった。
「頑張って魔族たちを集めてくださいよ。先代の血縁が一人でもいれば、私は完璧に復活できるのですから」
段階を経てネレイドを鍛えるよりも、そのほうが圧倒的に有利である。
それにこのまま街を解放していけば、何処かで必ず神帝懲罰機関と出くわすことになる。
状況的に考えて、彼女らとは手を組みたい。
ただ、そうするとペドフィが引き籠ることは想像に難くなかった。
彼を手にかけた教会の暗部執行部隊。殺さないと約束はしてくれたものの、協力までは期待できそうにない。
「でも、彼女らがいたら街の解放も楽なんですよね」
サディールは家々を覗き、物理的、もしくは精神的に拘束されていた街の人々の枷を解いていく。
ほとんどの人間が信じられない様子で、口を閉ざしたままだったが関係ない。数をこなすのが先決。
それでも、一部の人間は殺しておく。
「あなたがたは、ここで死んだほうが幸せですよ」
助けに来た自分を見て、怒りと憎しみをぶつけてきた者たち。生かしておく価値はなかった。
この手の人間は、今のネレイドが知るには早すぎる。
「やはり、街の解放はお嬢さんには荷が重い作業ですね」
昨夜、森で玩具にされていた女たちはマシな部類であった。
穴という穴を犯され、何かを差し込まれていたのは同じであるが、汚物に塗れてはいなかったのだから。
教会で生まれ育ったサディールにとって、穢れや不浄は忌むべきものだったので、汚してやりたいと思う性癖だけはどうしても理解できなかった。
見た目だけでなく、糞尿に塗れた女は醜い。人間らしい表情もなく、家畜と同じ虚ろな目を浮かべるだけ。
言うなれば、人としての尊厳が失われた状態。
そんな『玩具』で遊ぶ趣味の持ち主を、サディールは心の底から軽蔑する。反応のない人間など、人形と大差ない。それなら、お人形遊びで満足していればいいのにと。
そう、自分は人間じゃないと駄目だった。
ただ、苦痛の悲鳴が聞きたいだけなら動物を虐めればよかった。でも、そうじゃない。自分が好きなのは人間らしい、生きた反応だった。
痛みと苦しみに悶えながらも、こちらを憎むあの目。
悔しさや屈辱に苛まれながらも、決して折れない心。
――誇りと尊厳を持つ者が自分は大好きだったのだ。
だから、それらを手放した捕虜たちはすぐに放棄した。それを教会の連中が拾っていたのも、見て見ぬ振りした。
だけど、最後まで守り切った者たちは違う。
近親相姦の危険性をわかっていても――禁忌を犯す覚悟で手を出し、孕ませてからきちんと帰してやった。
「この街は解放されました。あなたたちは自由です。だから、他の皆さんも助けてあげてやってください」
そして、生前の想いは今も変わらなかった。たとえどれだけ傷つき汚れていようとも、誇りと尊厳を失わなかった者は美しい。
「っ……! ありがとう、ございます。本当に……」
自由を喜ぶ心がない者を解放したところで、それは家畜を野に放つのと同義である。
「いいえ。あなたも、よく頑張りましたね」
「神様が……きっと、助けて下さると、信じて……っ! おりました」
たとえ愚かであっても――
信じる心を失わなかった者たちを助けるからこそ、英雄は生まれる。
その英雄も、そういった人たちがいるからこそ、また誰かを助けたいと思える。
「あの人たちの感謝の言葉が、少しでもお嬢さんの救いになるといいのですが」