第87話 哀れな女、哀れだった男
文字数 3,337文字
直接聞いた話に加え、サディールとペドフィが読んだ記憶を照合すると、そう悪い待遇ではなかった様子。
主な制限は家族や恋人との接触と、それに伴う移動と行動時間のみ。
その為、ネレイドたちは歓迎されなかった。
彼らからしてみれば、レイピスト一行が来たから沢山の人が――大事な身内が死んだというわけである。
「まぁ、加害者と被害者が仲良くなるのは珍しくありません。現に、私が虐めていた捕虜の方々にも懐く人はいましたし」
慰めになると思ってか、サディールが体験談を披露した。
「別に、感謝されたかったわけじゃないし。それに何人かは本当に助けなかったもん」
が、効果はいま一つ。
ネレイドは気にしていながらも、どうでもいい態度を取る。
二人は第二階層の丘の街にいた。
教会関係者は逃げたか殺されたかしていなくなっていたので、その屋敷の一つを拝借した次第である。
彼女らは久しぶりに椅子に座っていた。村には背の高い机がなかったので、実にディアーネの街以来だった。
「仕方のなかったことでしょう?」
「うん。でもね、気持ちの問題かな? 本当に忘れていた時か何回かあるの。必死だったっていえば聞こえはいいけど……」
机に突っ伏したまま、ネレイドは愚痴のように零す。
「ペドフィ様はちゃんと配慮してた。戦いながらも周囲に目を配って。それを知って、私は駄目だなぁ~って」
「そんなのは罪人が捨て猫を拾っているのを見て、優しい人だと思うようなものです。つまり、錯覚ですよ錯覚。ペドフィ君はそれまで引きこもっていたから、余裕があっただけのこと」
酷い言い草である。
もし本人が聞いていたら言い返していただろうが、彼は今厨房に立っていた。それもエリスと初代と一緒に。
ネレイドは怪我をしているのでお休み、サディールは場をかき乱すからと、お引き取り願われていた。
「でも、あんなに痛かったのに平気で戦ってました。それでやっぱ、凄いなぁって思っちゃったんです。私なんかとは、ぜんぜん違うなって」
「ただの慣れですよ。お嬢さんはこれまで戦いとは無縁でしたので、それも仕方ないかと」
さすがに、こればっかりは慣れさせるわけにはいかなかった。表面の傷ならともかく、内臓まで損傷した場合、必ずしも治せるとは限らない。
「更に言わせて貰えれば、時代と性別の違いもあります。当時の男にとって、傷は勲章でした。それにペドフィ君は旗印でしたので、決して痛みや弱みを見せるわけにはいかなったんです」
「ぼろぼろになっても?」
「えぇ、そうです。誰もが無理だと思う中、それでも成し遂げるのが英雄の条件ですからね。中でも、簡単なのが痛みを我慢すること。傷を負った状態で敵を打ち倒し、仲間を救えばそれだけでもう英雄と呼ばれます」
そして、当時の男たちは皆英雄に憧れていたから、無理を押し通せた。
「みんなが憧れているから、みんなが目指しているから、みんながやっているから。これは大きな力となります」
「そうなんだ」
「そういう意味では、お嬢さんは辛い立場にありますね。この時代、英雄を目指す者はおらず、戦う者も少ないのですから」
僅かな間とはいえ、先祖たちには共に戦う仲間がいた。それも一人や二人ではなく、大勢の仲間たちが。
加え、誰もが信じ、称え、喜んでくれた。
この時代でも、助けられた人々の何人かはネレイドに感謝し、その行為を称えてくれるだろうが、それは少女が望んだモノではない。
その差は、とてつもない大きかった。
ネレイドが落ち込んでいる頃、別の意味で重たい空気が厨房を包んでいた。
「これはどう切ればいい?」
真面目な顔でペドフィが訊く。
後ろで一つに結んだぼさぼさの黒髪に純朴そうな顔立ち。
これで瞳が輝いていたら、幸せそうな若者に見えるのだが……やはり、暗く沈んでいる。
罪を犯した男、職を失った男、恋人に振られた男、家族を失った男、負けて面目を失った男。
エリスは今まで見てきたそういった男たちの目を思い返し、どれに一番似ているかと失礼なことを考えながら、
「一度、薄く切ってください。その後、このように細く。重ねてから切ると、やりやすいと思います」
見本を示してやる。
「わかった」
と、真面目で素直な態度。
元の魔族が華奢で背が低い所為もあって、十代の少年のように見えてしまう。
そう、彼は異形部分をすべて排除していた。
結果、残ったのは女の身体。
サディールと同じように、顔だけを本来の自分に変えている。
「サディール・レイピストは精神を壊す前に色々としていたようですが……あなたは違いましたね」
料理の片手間でする話ではないが、共通の話題が限られているので仕方がない。
「たぶん、サディールの相手は強かったんだろう。けど、こいつは違う。ただの哀れな女だった」
「聞いたところ、元神帝懲罰機関だったようですが?」
「あぁ、
「それは……」
「なのに、それを恨んでなかった。差別だとも思っていなかった。当然と受けいれて……哀れだった」
遠回しにエリスも否定された気がして、ムっとしてしまう。
「男たちに襲われて、つい殺してしまったことを悔やんでいた。自分に信仰を捨てさせた女の心を。そして、心にそんな傷を残したレイピストたちを」
ペドフィは頭の上にいる初代を見るも、微塵も気にした様子はない。
「でも、こいつの先祖はサディールでもあったんだ。つまり、二回も無理やり〝屈服〟させられた女の血を引いていた」
「それが嫌で異形の身体に?」
「こいつは信仰を捨てた時に、女だった自分を殺したつもりでいたようだけどな。けど、そんなことはなかった。ずっとずっと、女だったこいつは泣いていた。ただ、男と異形の仮面で塗りつぶしていただけだった」
本当に哀れだよ、とペドフィは繰り返す。
「強くなる為に、身体を異形にしていたんじゃない。本当は泣きじゃくる女を殺したかっただけ――別の誰かになりたかっただけの、自傷行為だったんだ」
そこをつついてやれば、リビは簡単に壊れてしまった。どれだけ否定しても、精神の世界では異形の身体も男の仮面もありやしない。
本来であれば、内面にこそ自分を支える何かがあるはずなのに――リビには何もなかった。
そういったモノはすべて外に求めて、中にあったのはゴミに埋もれて隠されていた哀れな女だけ。
「その哀れな女を見て、おまえはどう思ったんだ?」
ここにきて、初代が口を開いた。
「馬鹿らしくなったよ。おれが恨んでいた神帝懲罰機関とは、微塵も一致しやがらない」
泣き出しそうに、悔しそうにペドフィは吐き出す。
「もう、みんな死んじまったんだって……今更ながら思い知った。おれ自身も、とっくに死んでいるんだと」
初代と二代目の所為で気付かなかったが、死んだ後も意識が残っているのは辛いようだ。
エリスはその声を聞いているだけで、痛ましく思う。
「誰も気にしていないのに、おれだけが囚われていた。殺戮の英雄で少女を犯したペドフィスト。この時代の奴らはそれ以外、何も知らないのにな」
少女は答えられず、俯く。
「この哀れな女と一緒だったんだ。そう気づいてしまったら……もう、どうしようもない」
困ったように、不器用な笑みをペドフィは見せる。
「言っておくが、恨みは消えてないぞ。ただ、関係のないあんたにぶつけるのを止めただけだ」
こういう時、どう答えたらいいのかわからず、
「……はい。気を付けます」
エリスはつい、幼い頃の口癖で返してしまった。
それは注意された際の万能な言葉。
内容を理解していなくても、相手を満足させる魔法の返事であった。