第56話 ディアーネの街
文字数 3,473文字
いつもながらサディールが斥候に動いており、少女たちは木陰で休みながら、祭服の修繕やら武器の手入れをしていた。
集中力が途切れてか、ネレイドは立ち上がって伸びをする。
そのままディアーネの街に目をやり、
「なんか、今まで見た街と比べると……汚いね」
言葉を探したものの、直截的な表現しかでてこなかった。
まず、外壁の並び。今までは丸く囲う曲線だったり四角い直線だったのに、乱雑で規則性が見当たらない。
しかも、壁の形も何種類かある様子。外側の壁は苔だろうか、遠目からでも緑色が目立つ。
「沼地から、湿った風が流れてくるからよ。それでも、あそこまで酷いのは管理を怠っていたからでしょう」
何気ない感想だったのだが、エリスが答えてくれた。
「苔の繁殖具合からして、魔族の襲撃とは関係なくサボっていたのかも」
「へー。でも、掃除は大変そう。ちなみに、奥の壁はなんであるの?」
聖都などが二重、三重の壁で囲われているのは知っているが、ディアーネにそこまでして守るべき要地があるとは聞いたことがない。
また、街の内側の壁が外より高いのも不自然だった。
「おそらく、
淀みない説明にネレイドは感心する。
「そして、最初の街を中心にして増築を重ねたから、あそこまで無秩序になったんじゃない? 少なくとも、当時の人たちはあまり計画的ではなかったみたいね」
短剣を磨く片手間とは思えないほど、見識が深い。
「それで、あなたはいつ続きを始めるの? まさか、それでおしまいなんて言いませんよね?」
なんとなく見ていると、睨まれた上に嫌味を言われてしまった。
「どうせすぐに汚れるから。破れてるところだけ直ればいいかなって」
「いいわけないでしょう。仮にも、教会の祭服を着る以上はきちんとしていただかないと困ります」
ヴィーナの街を出て以来、エリスは説教臭いというかお姉さん風を吹かすようになっていた。
「じゃぁさ、交換しない? レヴァ・ワンにはそっちの黒いほうが似合うと思うし、汚れも目立たないし」
「はぁ……」
ネレイドが提案すると、盛大な溜息が挟まれた。
「似合う似合わないの問題ではありません。わたしは神帝懲罰機関の一員として、この祭服に身を包んでいるのです」
「でも、それってレヴァ・ワンがモチーフだよね?」
「……」
黙ったまま、エリスは自分の衣装に目をやる。座った状態で見下ろし、首を捻って、頭のベールを外して、銀髪の髪が奇麗になびく。
「似て、いますか?」
納得がいかないのか、ちょっとだけ不機嫌な口調であった。
「そっか。エリスは本来のレヴァ・ワンを見てなかったか」
言うなり、ネレイドは首からぶら下げていたロザリオを手に取る。
「レイピスト様、お願いできます?」
聞いていたのか、羽虫型の初代はロザリオに飛び込むように消え、少女のご所望の品――棺に納められていた大剣へと転じた。
「これが……神剣レヴァ・ワン」
本物の聖遺物を前にして、エリスは立ち上がる。
緊張した面持ちで近づいていき、
「噂には聞いていたけど、ここまで巨大だったなんて。初代レイピストは、本当に
こんなモノを扱っていたの?」
「正直、重さは見た目ほどねーよ。まぁ、サイズがサイズだから扱うには相応の技量が必要だけどな」
剣から声がしたのに驚いてか、怯えたように飛び退いた。
「んっしょっと」
示すように、ネレイドが大剣の持ち手を握る。刀身だけでも身の丈を超えるというのに、右手一本。それも、刀身から離れた位置に添えられていた。
「危ないから、ちょっと離れてて。まだ、あんまり上手く扱えないから――さっ!」
刀身に近い持ち手の下に左手首を置き――それを軸にして、少女は大剣を翻した。
その勢いのまま地面に振り下ろし、今度は足で刀身と持ち手の間を蹴り上げる。同時に、両手で振り上げ――放り投げた。
大剣は一回二回と空中で回転し、
「とうっっ!」
切っ先が下に向いた所をジャンプして掴み、ネレイドはレヴァ・ワンを地面へと突き刺す。
「嬢ちゃんのサイズじゃ、身体全体を使うしかないな」
「もっと普通に褒めてくださいよ」
急に始まった演武にエリスは面食らうも、相手の言わんとしていることはわかった。
「黒と赤、漆黒の刀身に血の脈動」
心臓が鼓動を刻むように、刀身に赤い紋様が浮かんでは消えていく。
「確かに、似ているかもしれませんね」
少なくとも、彼女たちが知る限り赤と黒の組み合わせはレヴァ・ワンの他になかった。
「こうやって十字架に見えるのは、教会だからだよね?」
ネレイドは足を閉じて、両手を横に大きく広げる。
白を基調としたのは一般的な祭服。ケープと両腕、そして身体の中心に青いラインが入っているので、両腕を広げて十字架に見えるデザイン。
もっとも、今はヴェールを被っていないのでTの字であった。
更に文句を付ければ、あちこちが汚れていた。
「はぁ……」
再度、溜息を挟んでエリスは汚れに手をやる。
「そのまま、じっとしていなさい」
ネレイドの祭服に
「――
魔力を水に転換させる。
「いわゆる修繕魔術は使えないのか?」
羽虫に戻ったレイピストが言う。
「
容易く言ってくれるも、
「修繕魔術には裁縫の知識が必要ですので」
「なんだ、おまえ女のくせに裁縫の知識がないのか?」
叩きたくなるのを堪えながら、エリスは頷いた。
「その修繕魔術ってどうやるんですか?」
律儀に両手を広げたまま、ネレイドが訊く。
「汚れってのは、服を織り成す糸に付着したもんだろ? だから汚れている部分を一旦解いて、強く振動させるとたいていは落ちる。で、奇麗にした後でもう一度紡ぐ。魔術的にはただの
「うわぁ、面倒くさそう。それって、イメージだけでお裁縫をするってことですよね?」
「嬢ちゃんも駄目なのか?」
「一通りはできますけど、こういった祭服の生地は触ったことすらないですもん」
「なるほど。興味があるなら、サディールに訊くといい。あいつは破れたところすら、奇麗に修繕していたからな」
「……終わりました」
二人が喋っている間も、エリスは黙々と洗濯を続けていた。
「ありがとう」
違いが一目瞭然だったので、ネレイドは素直に感謝する。自分でやるのは面倒だけど、やっぱり奇麗な服は嬉しかった。
「でも、遅いですねサディール様」
「街の内部も無秩序で、迷路のようになっているからでしょう」
エリスのほうも手持ち無沙汰になったのか、応じてくれた。
「だったら、ここいらで更地にしてやるか?」
初代がとんでもない案を出す。
「あそこまで大きくなると、自分たちの意思じゃ壊したくても壊せないだろうし」
言い方からして、善意なのが実に恐ろしい。
「それにたったの一振りで終わる、からですか?」
ネレイドが先んじると、
「ついでに、今なら魔族の所為にできる」
初代はあくどい台詞を口にした。
「冗談でも本気でも、タチが悪い。今は何処もかしこも、手が足りない状況なんですよ?」
エリスは真面目に注意するも、
「だから、だよ。住める状況だったら、移住したくないのが人間の性だ。多少不便で、危険であってもな」
ネレイドはともかく、初代は聞く耳を持たなかった。
「何処も人手が足りないなら、ディアーネを放棄するのも一つの手だろ? で、ここに住んでた奴らを他の街に分配すればいい」
感情論や道徳心、規律といったモノを無視すれば、それは実に悪くない意見である。
「分配って……簡単に言わないでください」
「教会辺りが主導すれば、無理じゃないさ。それに、民の為になるというのならオレたちを利用していいぜ?」
ただし――と初代は繋いで、
「嬢ちゃんの名前を出すのだけは許さない。使っていいのはレヴァ・ワンか、四代目レイピストの肩書きだけだ」
念を押す。マテリアにも、そのように伝えろと。
「……わかりました。ですが、ディアーネを放棄する案を採用したわけではありませんよ」
そう言って、エリスは自分の荷物から謎の円盤を取り出した。話の流れ的に、テレパシーを使う為の術具であろう。
だったら邪魔をしてはいけないと、ネレイドはそっと離れた。
それからしばらくして、サディールが戻ってきた。