第117話 最後の一閃
文字数 4,107文字
ネレイドは泣き言のように漏らす。
「どうして……こうなることを教えてくれなかったんですか? 私が戦っていればペドフィ様は……」
ペドフィが消滅したことはレヴァ・ワンが教えてくれた。
「ねぇ、どうしてですか……? レイピスト様、なんでなんで? 二人に任せろなんて言ったんですか?」
「ちいと違うな」
困ったように羽虫型の初代は言い訳する。
「オレはあいつらに任せろなんて言っていない。ただ、任せてやってくれと頼んだだけだ」
「だから、なんで?」
ネレイドは繰り返すも、
「そんな風に……女のコみたいに先代を責めないでやってください」
答えは別のところから。
「いわゆる、男心というものでして。実に私らしくないとはいえ、これでも一応は男ですので……お嬢さんに助けられるのは嫌だったんです」
ボロボロの風体でサディールは歩いてきた。
「どうしてもあの堕ちた天使だけは私の手で……私の力で片を付けたかったんです」
「サディール様……」
ネレイドは泣きそうな声で呼ぶ。
おそらく馬鹿剣――レヴァ・ワンが教えたのだろう。
「……少々、お時間よろしいですか?」
その姿を見て、困ったようにサディールは神に問いかけた。
「もちろんだとも」
その言い草からして、余裕だけではない。
神もまた、この結末を見通しているようだった。
「なんで、生きてんだ?」
人型に転じるなり、初代は言い放つ。
「てっきり、死ぬかと思ってたんだが」
「いや、先代にご報告しておこうかと。気になるでしょう? 水鏡の観測者とどういう話をしたか」
相変わらず、二人の先祖は軽かった。
「ペドフィ様は……本当に死んじゃったんですね」
わかっていたことなのに、懲りずにネレイドは漏らす。
「彼が望んだことです。それに悪くない死に様だったと思いますよ。わざわざ、無駄な行為をしていましたから……きっとね」
そう言って、サディールはここに至るまでの顛末を話した。
「傍迷惑な奴だな。神を裏切り、魔を裏切り、挙句の果てに人間も裏切ってくたばるなんて」
堕ちた天使の生きざまを、初代はバッサリと切り捨てる。
「それもこれも、先代がレヴァ・ワンなんて拾うからですよ」
「そんなの知るか」
「堕ちた天使の転生体が拾っていれば、色々と早く終わっていました」
もしくはあなた以外の誰かが、とサディールは嫌味っぽく付け加えた。
「あなたのような人が選ばれてしまったから、最後の最後に無駄な戦いです」
「オレ以外でも結果は変わんねぇさ。レヴァ・ワンに選ばれるような人間ってのは、きっとマトモじゃねぇからな」
「それはそうかもしれませんね。でもだからこそ、もう一度会いたいと願ったのでしょう。たとえ、すべてを敵に回したとしても――」
「盛大な恋物語って奴か」
「えぇ、実に陳腐な」
このような状況でなお、二人は笑みを合わせる。
そうしてから、
「逝くのか?」
「えぇ、今回はさすがに疲れました」
別れの挨拶をする。
「でも、充分に楽しめました。先代やペドフィ君はイヤみたいですけど、私は嫌いじゃないんですよ。こうして、違う時代を生きられるのはね」
「おまえも迷惑な奴だな」
「私は人間が好きですから。それに先代やペドフィ君みたいに、特別な人もいませんでした」
正確には、いたことに気づけなかった。
「だから次があっても。たとえ、この世界じゃなくても――私は喜んで蘇ります。今度こそ、英雄などではなくただの鬼畜としてね」
最低な決意表明をして、サディールは初代と別れた。
初代は再び大剣を象り、ネレイドの手に収まる。
「……私がやらないといけないんですか?」
「えぇ。神に殺されるなんてごめんです」
殺しやすいよう、サディールは片膝を付く。
「だったら、なんで……っ! ペドフィ様みたいに死んでくれなかったんですかぁっ」
涙声で訴えられ、サディールはつい笑ってしまう。
「まいりました。私としたことが、死に時を間違えてしまうとは」
几帳面な性格が仇となった。先代への報告など考えず、あそこで死んでいればネレイドを泣かせずに済んだのに……。
「本当に、死者は成長しないんですね」
またしても、自分が死ぬことで一人の少女を哀しませるなんて……。
「今回は英雄らしく死のうと思ったんですけど。とても、そういう雰囲気になりそうもない」
「当たり前じゃないですかっ!」
年下の少女に怒鳴られ、サディールは口元を引き締める。
「当たり前じゃ、ないですかぁ……」
「今更ですが、私は既に死んでいる身です。しかも、女の天敵ともいえるでしょう。ですから、お嬢さんが殺すわけじゃありません」
本気で泣かれてしまいサディールは困ってしまう。
慌てて言葉を操るも、
「ただ、教会に籍を置いていた身として自殺は嫌なんですよ。それに死体が残るのも、見ていて辛いでしょう? だから、その馬鹿剣に食べさせるのが一番、傷が浅いと言いますか……」
どうにも軽かった。
「……」
サディールは少し真面目に考えて、
「……私はね、女に殺されるべき人間だと思うんですよ」
自分の気持ちを吐露する。
「どうせならお嬢さんに――ネレイドに殺されたい。神や先代ではなく、あなたの手で――」
それは子供じみた感傷だった。
偽りの神に殺されるのは、ルフィーアやナターシャを思うと受け入れられない。
先祖に殺されるのは、自分が失敗作のように思えて気分が悪い。
だけど、子孫に殺されるのは何故だか悪くなかった。
「私は殺したくない。でも、サディール様が私の顔をした神に殺されるのは……絶対に見たくない」
「ありがとうございます」
場違いな笑顔を浮かべて、サディールはネレイドの顔を見上げていた。
こんな時にまで彼は異常性癖を発揮して、目を逸らさなかった。嫌なことをやらされる少女の顔もまた、実に滾るモノがあると。
死を前にして、新たな発見だった。
可能なら、この記憶を持って蘇りたいと心の底から思う。
ネレイドは剣を振り上げるも、首を振るって下ろした。斬り殺すのには抵抗があったのか、突きの構えへと転じる。
刺し殺しやすいようにと、サディールは立ち上がり両手を広げた。
緑の瞳に溢れんばかりの涙。
ネレイドは激しく顔を振るって、雫を吹き飛ばす。
「――らぁぁぁぁぁぁっ!」
そして、すべてを吹っ切るように叫んで――貫いてくれた。
「……お見事」
サディールは赤い髪を優しく撫でる。顔は見えないが嗚咽からして、泣いているのはわかった。
けどもう――何もしてやれなかった。
「これで眷属は消えたな」
今まで、黙っていた神が投げかける。
「もし汝が眷属ではなく、真にレヴァ・ワンであるのなら、ワタシに勝てるはずだ」
もう待つつもりはないのか、瓦礫や地面を寄せ集めたゴミの剣を構え、その切先をネレイドへと向けた。
「……別にどっちでもいいけど」
静かに答えて、少女も剣を構える。
「おまえは絶対に殺すから」
ペドフィ、堕ちた天使、サディールと連続に喰らってレヴァ・ワンは興奮していた。漆黒の刀身には血管のように赤い紋様が奔り、脈動を繰り返す。
「神だろうが審判者だろうが関係ない」
呼応するように、ネレイドも怒りを抑えきれなかった。
「今この状況で――澄ました私の顔しやがって!」
鏡ではないとわかっていながらも、腹が立って仕方がなかった。
ネレイドは刀身を引きずりながら馳せる。
「怒りで我を忘れたか」
愚かな、と言わんばかりに神は高く振り上げた剣を落とした。
未だ、刀身を引きずっているネレイドに受ける術はない。
だから、避けるつもりだろうと判断していた。
「――はぁっ!」
少女は刀身を地面に触れさせたまま――持ち上げ、柄で神の剣を打ち払う。
予想外の衝撃に神は体勢を崩した。
ネレイドは勢いに任せて身体を運び、神の胴体を薙ぎ払わんと剣を振りしきる。
が、神は後ろに跳んでかわした。
すなわち、剣が間に合わなかった証拠だとして、少女は激しく追いすがる。
ここが勝機に違いないと――
「――
ネレイドはレヴァ・ワンに魔力を吐き出させた。
放出された闇は一瞬で刃を象り、巨大な剣が神を切り裂かんと襲い掛かる。
「――らぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
レヴァ・ワンと繋がっているとはいえ、本体ではないからか神は持ち堪えていた。
ゴミの剣に自身の魔力を纏わせて――黒と黒が、互いに浸食せんとせめぎ合っている。
結局、剣技だけで敵を圧倒できる技術はネレイドにはない。
加え、サディールの存在が強く魔術を意識させた。
それにこれまでの戦いだって、魔術を起点としてきたのだ。
「――いい加減ンんっに!」
だから、これこそが一番自信の持てる戦い方。
「――しろおぉぉぉぉぉっ!」
また、魔術を使うには申し分ないタイミングだったはず。
奇襲となったこれで倒せなければ、もう自分には勝ち目がないとネレイドは覚悟していた。
「私の魔力が欲しければくれてやる。血を飲みたければ飲めばいいっ!」
唇を噛み切り、にじみ出る赤い血をレヴァ・ワンの持ち手に垂らす。
「それに、勝てば、ご馳走が、待っているんだからっ!」
魔力の余波にやられてか、戦装束から青い光が失われていく。白い布地もぼろぼろになり、ところどころ破れている様子。
髪留めも飛び、赤い髪が激しくなびくも――今だけは気にしていられなかった。
「――お願いっ!」
ネレイドは限界まで魔力を吐き出させる。
そして自身もまた、全身全霊を持って剣を振りしきらんとする。
「――頑張れぇ馬鹿剣っ!」