第115話 ペドフィスト
文字数 4,389文字
「――!?」
その所為で、ネレイドの意識が流れる。全身で大剣を操る少女にとって、それは致命的な隙であった。
「っ!」
かろうじてヴァンダールの剣を受けるも、力不足。腕力だけでは止められず、ネレイドは派手に吹っ飛ぶ。
が、途中で翼を顕現させどうにか踏み止まった。
そして、突如現れた自分とは違う黒い翼の持ち主を見上げる。
「……人間の女のコ?」
年上に見えるが、お姉さんと呼ぶほどではなかった。
それに黒く艶やかな長い髪を持ちながらも、可憐さが勝っているところからして、もしかすると同年代かもしれない。
「……」
一方、堕ちた天使も自分と似た少女を見ていた。黒い翼に見覚えのある戦装束。
そう、自分が象っている姿とほとんど同じだった。
「久しいな、少女の翼よ」
少女の睨みあいを妨げるよう、神が声をかける。
「……ヴァンダールか?」
発せられる力から、堕ちた天使は判断した。
「いかにも」
「なら、あれが
見知らぬ相手に冷たい視線で見下ろされ、ネレイドはたじろぐ。
しかし、すぐに苛立ちが勝って真っ向から睨み返した。
「ボクの身体は何処だ?」
謎の少女はまなじりを絞り、問い詰める。
「はぁ? なに言ってんの?」
ネレイドは攻撃されたと感じ、ついつい口悪く返してしまう。
「それに、ボクって顔じゃないと思うよ」
レヴァ・ワンとは違った意味で、引き寄せられる黒い瞳。
全体のフォルムが美しい印象を与えておきながらも、そのつぶらな瞳の所為で可愛らしさが拭いきれていなかった。
「――これは彼女の顔だからね」
何故か誇らしく微笑まれ、
「はぃ?」
ネレイドは面食らう。
「あれが、堕ちた天使?」
納得がいかないような初代の声。
「それで、ボクの身体を何処にやった?」
先祖たちから堕ちた天使の情報を得ていないネレイドには、まったくもって意味不明だった。
「だから、知らないし」
それでも、敵意を向けられているのはわかる。何かの犯人に決めつけられ、こちらの話を聞く気がないのも明らか。
「私、いま忙しいの。邪魔をしないで貰えるかな?」
精いっぱいの嫌味を込めて言ってやるも、
「ねぇ、何処? 隠さないで教えてよ、ボクの身体」
微塵も通じていない様子。
「やはり、人間の祈りは厄介だな。同じ種族でありながらも、願いの質があまりに違い過ぎる。ゆえに存在が確定せず――少女の翼もまた、壊れているぞ」
神の余裕なのか、ヴァンダールが律儀に教えてくれた。
「あれこそが、
そして、初代がわかりやすい答えを提示する。
「その正体は堕ちた天使。ただ、あの神の言を信じると、長いこと悪魔として畏怖されてきた結果、狂っちまったようだな」
「……じゃぁ、あの人は?」
「死んだんだろう。もともと、生贄として用意された役目だ。それに、こいつが配慮するとも思えない」
「そっか……」
マテリアのことはあまり憶えていないどころか、いい印象すら持っていない。
ただ、エリスたちが哀しむことは想像に難くなかった。
だから、ネレイドは素直に許せないと憤る。
「ボクの……身体……」
「しつこい!」
レヴァ・ワンの切先を向け殺す意思を込めてやると、
「うぅっ……ボクの……」
堕ちた天使は大人しくなった。突然、怒鳴られた子供みたいに瞳を伏せ、ちらちらと盗み見してくる。
「……もう、やだ」
神だけでも面倒なのに、こんな訳のわからないモノまで相手にしないといけないなんて。
仮にもすべてを仕組んだ黒幕に対して、ネレイドが思うことは鬱陶しいのただ一言。
少女にとっては、マテリアを殺した罪のほうがよほど大きかった。
「先に少女の翼を喰らうか?」
ヴァンダールは剣を下ろしていたので、
「なに、邪魔するの?」
ネレイドも素直に応じる。
「いや。堕ちた天使がどうなろうと、ワタシには関係ない。あの少女がいない以上、な」
「……っ。あっ、そう」
魔を統べる神にすら見放されるなんて、ちょっと可哀そう――と、思ってしまった自分が嫌になる。
堕ちた天使。仲間外れ。独りぼっち。
容姿を触れた際の誇らしげな笑みからして、きっとその人のことが大好きだったんだろう。幾千年の時を経ても同じ姿になれるなんて、強く焼き付けていないと絶対に無理だ。
「あー、もう……」
察したくないのに、相手が親近感を覚える姿をしているから余計な感傷に囚われてしまう。
なんで、よりによって同じ年頃の少女なのかと、益体の無い怒りを持て余す。
これなら、自分に似た神のほうがよほど殺しやすい。
――と、ネレイドが迷っている中、
「あなたの身体なら、私が壊しましたよ」
嗜虐的な声が響き渡った。
その第一声からして、サディールはこちらの話を盗み聞きしていたのだろう。
「堕ちた天使よ。あなたの身体は私が亡き者にしてやった」
遠く、霊山を背に黒衣の男は浮いていた。いや、魔力で象った足場の上に立っていた。
いつからあったのか、巨大な黒い十字架。交差部分を輪が囲い、鳴らない鐘が二つ付いている。
そして頂点にはサディール、円環にはペドフィの姿があった。
自分に付随した魔力だからか、それとも神と堕ちた天使に劣るからかレヴァ・ワンはなんの反応も示していない。
「あなたはもう二度と彼女に会えない。会えないままここで滅びるのだ!」
サディールらしくない演説であるが、挑発効果は相変わらずだった。
「――おまえがぁぁぁぁぁぁっ!」
堕ちた天使は奇声を上げて、円環十字に飛んでいく。
ネレイドは助太刀すべきか悩むも、
「嬢ちゃん。あいつらに任せてやってくれないか?」
初代にそう言われたので見守ることにした。
それが最期を見届ける意味だと知らないまま――
大聖堂の高さに迫る円環十字の上に立ち、サディールは錫杖を下からすくい上げるように振るう。
「――
いつもと違い、起立する壁は黒き十字架。今回の使用目的が防壁ではない上に、かなりの高さも必要だったので調節した次第である。
幸い、サディールには見慣れたモノなので象るのは簡単だった。それに墓標にも負けない十字架の群れは、見ていて気分が良い。
もっとも、こちらは整然と並んではおらず、一見して乱雑に散らばっている。
だから避けようと思えば避けられるのだが、堕ちた天使は十字架など気にも留めず、向かって来ていた。
「――
幾つかの十字架に黒い炎が灯り、ルーンを描く。
わざわざ目立つ位置にいて高さを用意したのは、地面に施した術式から目を逸らさせるのが目的だった。
だが、堕ちた天使の錯乱ぶりを見る限り、無用な小細工だったかもしれない。
「――
文字通り、地面から黒い火柱が上るも堕ちた天使は怯まなかった。避けるなり防ぐなり手段はあるだろうに、その羽を焼きながら火柱を通過する。
「――
となれば、サディールとしては大判振る舞いする他ない。
「――
空へと昇る収束した黒い閃光。
「
竜巻と見紛う、一瞬の
「
世界を分つほどの水流。
地面には宝物庫からくすねてきた術具――指輪やイヤリング、ペンダントなどが埋められており、サディールの魔力を補っていた。
そのすべてを力づくで突っ切りながらも、堕ちた天使は揺るがない。
痛ましいまでのひたむきさでもって真っすぐに飛んでくる。
「……サディール、もういい」
それを見て、円環部分にいたペドフィが声をかけた。
「たぶんだが、おれのほうは上手くいく。だから、おまえは自分のことに専念しろ」
「……本当ですか?」
疑念を込めてサディールは確認するも、
「あぁ、大丈夫だ」
ペドフィは気負いなく返事をした。
「では、お別れですね」
「そうだな。お別れだ」
そう言い交して、サディールは地上へと消えていく。
代わってペドフィが目立つ頂点へと移り、両手を広げる。
「――堕ちた天使よ!」
らしくはないが、気分は悪くなかった。
「人間の身体が欲しければ、おれの身体をくれてやる!」
動きに変化は見受けられないが、聞こえていると信じて声を張り上げる。
「――少女の翼よ!」
まさか死んでからこのような大声をだす羽目になるとは……つい笑ってしまう。
生きていた頃、今みたいに頑張っていられたら――きっと、ここにはいなかったはず。
けど、こうして存在しているのだから仕方ない。
そして、亡霊だろうがこの時代にいる以上、何かを成し遂げるべきであろう。
自分がいたからこその何かを――不意にペドフィは生きた証を立てたくなった。
「――少女の翼よ!」
だからこうして、馬鹿みたいに叫んでいる。聞こえているかどうかもわからない相手に、人間なら決して許してはならない存在に向かって。
でも、亡霊である自分なら少しくらいは許してやっても構わないだろう。
「――受け止めろ!」
清々しい顔でペドフィは身を投げ出した。
少女の翼に抱きつくよう両手を広げて視線を逸らさず――
果たして、傷だらけの堕ちた天使は混乱していた。
どうして受け止めてしまったのかがわからないと言った具合に少女の瞳を瞬かせている。
「……そりゃあんたが翼でおれには翼がないからだろうな」
どうしようもない自分にさえ、抱きしめてくれる人はいたのだ。
身勝手に傷つけ、犯した幼い少女たち。それでもなお、優しく抱きしめてくれた立派な修道女たち。
――こんなおれにも抱きしめてくれる人がいたんだから、堕ちた天使にもいたっていいじゃないか。
そんな想いからペドフィは行動に移した。
それにこんな少女に、辛くて悲しくて……どうしたらいいのかわからない顔をされたら、手を伸ばすしかなかった。
傷だらけで、ぼろぼろになって、もはやなんの為に頑張っているのかもわかっていないのに――それでも、向かってきた少女にせめてもの慰めを与えてやりたかった。
「……ほんとう、ごめんな」
けど、それは酷く勝手な偽善でしかなかった。
「おれも鬼畜の末裔なんだ」
台詞にそぐわない口調でいって、ペドフィは自身の魔力を暴走させる。
本気で抵抗したら逃げられるだろうに、堕ちた天使は未だ状況を理解できていない様子だった。
年相応の少女みたいに不安げな顔を浮かべながら、空中でペドフィの身体を支えている。
「ははっ……」
こんな時に教会が付けた悪名を思い出して、
「なんだよ。結局、死者は成長しないのかよ」
拗ねた子供みたいに吐き捨てる。
それがまた堕ちた天使を混乱させ――最期の時まで二人は抱き合ったままでいた。