第15話 殺す覚悟
文字数 3,947文字
実に半日ほど、気を失っていたことになる。
「……ここ、は?」
まだ覚醒しきっていないのか、呑気な言葉。今日一日、必死で走り続けたピエールは苛立ちを抑えきれなかった。
「ディリスの森」
ぶっきらぼうに吐き捨て、食事の準備を続ける。
「えっ? なんでディリスの森? アックスの村に戻るなら、街道を通ったほうが早くない?」
正論を述べるネレイドに対して、ピエールは笑う。嘲るように小さく。
「あのあと、また死体が散らかっていた」
思い出すだけでも嫌だったが、きっと忘れることはできないだろう。ピエールは律儀に、死体を確かめていた。アックスの村で見かけたことのある服や装飾品がないかどうか。また、その過程で死体から金目の物や食料も漁った。
「街道を通ってアルベの街に行ったところで、また死体に出くわすだけだ。もし、まともな頭と危機意識があったら森を行くはずだって、レイピスト様が言うから……」
ピエールの声は沈んでいた。アルベの街の大きさを知っていたから。そこにどれだけの人が住んでいるのかも。たまに村までやって来る商人たちの顔ぶれも――もうそこには何一つないと言われ、途方に暮れていた。
「本当は、こんなところで休んでいる暇なんてないんだ。けど、俺はまだガキだから……これ以上は走れなかった」
夜になるまでは走り続ける予定であった。けど、その前にピエールは倒れてしまった。
そして、レイピストたちに呆れられた。最近のガキはそんなにも体力がないのかと。
「でも、おまえなら行ける。レイピスト様たちが力を貸してくれるから、ずっと早く進むことができる。だから、先に行ってくれ」
「えっ? そんな……」
急にそんなことを言われても、ネレイドには答えられなかった。
「俺なんか案内役にしかならない。そして、それならネレイドにだってできる」
「そんなこと……」
ない、と否定する前にピエールはねじ込んできた。
「村の皆が死んでいいのか?」
暗い声で。
まるで呪いをかけるように、
「もしそうなったら、俺は自分を許せそうにない」
鍋の中身をかき混ぜながら、ピエールは淡々と漏らしていた。
いったい、自分が寝ていた間に何があったのだろうかと、ネレイドは先祖に尋ねる。
「ペドフィ様、何があったんですか?」
初代と二代目の姿は見えなかったので、消去法で三代目が選ばれた。
『あんたが気を失った場所を除いて、死体が散らかっていた場所は三カ所あった。数はどれも数十人。全員が成人した男たちだった』
「……それで?」
ペドフィは困ってしまう。せっかく遠回しに伝えたのに、ネレイドにはまったく届いていなかった。
『基本的に、聖都へ向かっていたのは女と子供と聞いた。けどそれだけじゃ危ないから、護衛として男たちが付いてきていた。そうだな?』
「……はい」
これでも通じないのであれば、もはや明言する他なかった。
『護衛の男たちは全員、殺された。おそらく女子供を逃がす為に、戦ったのだろう』
ピエールに対しては、初代と二代目が言ってくれた。ペドフィよりもきつく、はっきりと。
『その中にピエールの知り合いもいた。もっとも、頭を潰されていたから確かとは言えないが』
「……嘘っ!」
ここにきて、ネレイドは幼馴染の落ち込みようを理解する。どうして、ピエールが今にも死にそうな顔で鍋をかき回しているのかを。
アックスの村から護衛として付いてきた男性は五人。顔も名前も全員、知っている。
しかも、その内の一人はピエールの叔父であった。
「……まだ、そうと決まったわけじゃないん、ですよね?」
ペドフィが答える前に、
「……飯、できた」
ピエールが割り込んできた。
「それを食べたら、行ってくれ」
ネレイドは何も言えなかった。渡された煮込みから、よく知っている匂いがしたから。
恐る恐る受け取り、味を確かめる。
そして、理解する。少なくとも、叔父さんが死んでしまったことを。
食欲をそそる刺激的な香りと、舌を刺すような辛みは間違いなく、叔父さんが『魔法の粉』と呼んでいた香辛料だった。
「……ピエール」
不意に涙が零れる。ピエールは黙々と料理を食べていた。いつもは辛いと文句を言って、ほとんど口に付けなかった料理を。
「……ペドフィ様。私が一人で行ったら、まだ間に合いますか?」
『それはわからない。ただ、二人でいくよりは遥かに早い時間で追いつけるのは間違いない。だが、その場合は間違いなくピエールは死ぬだろう』
「……なんで、ですか?」
『この森にも魔族たちがいる。初代と二代目の助力なしに、見つからず森を抜けることは不可能だ』
なんでも、二人は周囲を探っているらしい。
「だったら……」
「――俺のことはいい」
ペドフィの声は聞こえないはずなのに、ピエールには会話の内容がわかっているようだった。
「俺は自業自得だから。けど、母さんたちは違う」
「そんなこと言われたって、はいそうですかって納得できるわけないじゃない!」
これまでは同情から遠慮していたものの、我慢の限界だった。ネレイドは感情を爆発させ、いつもの調子で言い返す。
「私の気持ちはどうなるの? ピエールを見捨てておばさんを助けて、なんて言えばいいの?」
「勝手な真似をしてごめん、って言っといてくれ」
「そんなの言えるわけないでしょ! それにもし、間に合わなかったらどうするの? そうなったら私は、私は……」
「間に合わない? なんで、そんなこと言うんだよ!」
釣られてか、ピエールの声にも熱が入る。
「だって、間に合うかどうかわからないじゃん!」
「それでも行くんだよ! 二人で行ってもしギリギリで間に合わなかったら、それこそどうするんだ?」
二人は過程の話を繰り返し、平行線の議論を続ける。
と、そこに初代と二代目が帰ってきた。
「おまえら、敵地で痴話喧嘩なんて余裕だな」
「誰が!」
初代の軽口に、二人は口を揃えて言い返す。
「いや、マジで。結構、近い距離にいたぞ」
が、その一言で石を飲み込んだかのように黙り込んだ。
「いやー、今の魔族は本当に人間とさほど変わらないんですね」
理由は知りたくないが、二代目は楽しそうであった。
「だからこそ、人間の女を拉致って輪姦してんだろ。まっ、美的感覚のズレはあるみたいだが」
「先代に言われたら、おしまいですよ。魔物か中年の女か年端もいかない童女を犯せと言われたら、私だって中年の女を選びます。まっ、ペドフィ君は喜んで童女を選ぶでしょうが」
いつもの調子だったから、ネレイドとピエールはあやうく聞き逃してしまうところだった。
「ちょっと、待って。それ、何処? 人が犯されてるって……なんで、そんな風に平気で話してるんですか?」
今にも壊れそうな様子で、ネレイドは言葉を操っていた。
ペドフィだけは少女の気持ちを理解していたが、残りの先祖たちは違った。
「複数人で犯すくらい、人間だってやるだろ? 生娘にとっちゃ酷かもしれないが」
「初体験がアレだと、色々と歪んでしまいそうですね。まぁ、そういう女性もいてくれたほうが助かりはしますけど」
ネレイドの中で何かがキレた。
「もう、いいです。黙って案内してください」
涙を流しながら、少女は先祖たちに頼む。
「その人たちを助けに行きます」
「それは構いませんけど」
二代目はそう言いつつ、初代に目をやる。
「奇襲を仕かける、か。ちなみに、相手を殺す覚悟はあるのか?」
最初は自分の身を守る戦いと、レイピストたちは決めていた。殺されたくないから殺す。それこそが、一番手っ取り早くて優しいと考えていたからだ。
「敵の数は三十近い。しかも、人質になりそうな人間も同じくらいいる。その状況下で、殺せないと言うのは非常に困る」
「……だったら、レイピスト様たちが私の身体を使ってください」
「自分は殺さない。けど、他人には殺させる、か」
「だって――」
「既に数えきれないくらい殺してるんだから、別にいいってか?」
ネレイドは黙り込む。それは確かに自分が言いかけた言葉だったけど、こうして聞いてみると酷い台詞だった。
「まっ、嬢ちゃんの言うとおりだ。今更、殺す相手が増えたってオレはなんとも思わない」
けどな、とレイピストは存外に優しい声で繋ぐ。
「助けてくれた人は嬢ちゃんが殺したと判断するぞ? その視線を受け入れられるのか? それとも、オレたちがやったことだと逃げるのか?」
もし後者だとしたら、レヴァ・ワンはネレイドの精神を殺すだろうと初代は脅しをかける。
「それ……は」
「ちなみに、嬢ちゃんの精神が死んだ時点でオレたちは好きにやる。この世界に守りたいモノは何一つないからな」
相変わらず酷いと思いながらも、ペドフィはなんの助言もできなかった。
言い方はともかく、初代の言い分は正しい。
事実、殺す覚悟もなく殺した自分は狂ってしまった。殺すという言葉を駆除や駆逐と言い換えて、自分のしていることから目を逸らし続けた。
その姿は、傍から見れば異常でしかなかった。
だからこそ、魔境を切り開いた勇者ではなく、殺戮の英雄と呼ばれるに至った。
「私は……」
そうして、ネレイドは決断を下す。
自分の意志で殺すのか、それとも目を逸らすのか――