第121話 奇跡の少女
文字数 5,205文字
久しぶりに、ネレイドの耳が喧しい音色を捉える。
「すべての発端であり、悪夢の元凶! そのような人間が生きていれば、世界は真に救われたとは言えないっ!」
初代の言う通り、世界は面倒くさいことになっているようだ。
意識を完全に取り戻した今、その声は聞き苦しいほどに煩かった。
けど、周囲に騒音の主はいない。
狭い室内にいるのは、白い祭服を着た二人の女性だけ。
まだ、ネレイドが正気に戻ったことに気づいてはおらず、不安そうに室外の様子を窺っている。
「今こそレイピストの血縁を絶やすべきだ! それこそが神の御意思である。ゆえに、この大聖堂と少女は生かされた。そう、これは試練なのだ。我々、人間の手で決着をつけよという神の御心が何故わからぬ?」
聞いているだけで腹立たしい演説。
延々と続いているも、聞く価値はないと積極的に無視をする。
ネレイドは立ち上がり、
「ねぇ、どういう状況?」
率直に二人に尋ねた。
「……え?」
「あぁっ!」
揃って感極まった顔をされ、ネレイドは気まずそうに頬をかく。
「ここ何処? それに何この格好? 頭重いんだけど?」
やたらと仰々しい法衣。ヴェールの裾は背中にかかり、服の裾は床を引きずる長さ。
他にも金色の装飾やら神具やらで飾られ、鬱陶しくて仕方がない。
「……ネレイド様」
二人は声を合わせて祈りのポーズを取り、一人が何処かへ行こうとする。
「ちょっと待った」
ネレイドはそれを止め、
「先に説明してくれる?」
情報を求めた。
「――はいっ!」
渋られるかと思いきや、二人はこちらの要望に応えてくれた。
「ここは旧聖都カギの大聖堂でございます」
室外を覗いてみると、荘厳的な空間。
どうやらここは、神職者たちが控える部屋のようだった。
「これより、ネレイド様による祝福の儀式を執り行う予定でしたのですが――」
「ごめん。私の立場ってどうなってるのかな? あと、何年経ったのか教えて貰っていい?」
いきなり聞き流せない情報を与えられ、ネレイドは質問する。
「はい。ネレイド様は大聖堂をお守りした、奇跡の少女でございます。そして、あの戦いから間もなく、二年が経つ頃です」
「二年……」
ネレイドはまず胸に手をやり、
「おぉ……」
成長していることに気づく。
そのまま腰やお尻もまさぐり、時の流れを噛み締めた。
「二年か……」
つまり、十六歳。
そりゃ成長するはずだと、少女は納得する。
しかも、寝たきりではなくこうして出歩いていた。
その辺りのことはあまり聞きたくないが、きっと誰かが食べさせてくれていたのだろう。赤ん坊みたいに――と思うと、ネレイドは恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
「……うん。わかった。で、あの喧しい声は何?」
深くは考えないようにして、ネレイドは話を戻す。
「本来の教会といいますか――実は神帝懲罰機関は解体して、今は教会を名乗っていまして……」
やはり、色々と大変だったようだ。
眠っていて助かったと、少女は身勝手な感想を抱く。
「そう。わかった。ところで、私の祝福って何やってたの?」
相変わらず、ネレイドの判断は早い。
難しそうな内容は理解しようとせず、知っておくべきことだけを頭に叩き込む。
「魔力を喰らうレヴァ・ワンの特性を使わせていただいておりました。
「それは良かった。馬鹿剣がきちんと役立って」
誰かの救いになっていたのなら、ネレイドとしても文句はない。
「ありがとう。きっと、あなたたちも私の為に色々としてくれたんでしょう?」
「いいえ。私たちこそ、ネレイド様に救われました」
「ネレイド様は憶えていないでしょうが、私たちはあなたに助けていただいた者です」
「そう」
素っ気なく、それでいて優しくネレイドは頷いた。
確かに、自分は彼女たちを助けたのかもしれない。
でも、それはついでの行いだし真に助けたのはサディールだった。
でも、彼女たちはきっとそれを受け取ってくれない。
彼女たちに限らず、多くの人にとって二代目レイピストは
だけど、それでいいと思う。
正しさなんていらないし、正しくなんてなくてもいい。
虚像であれ、必要なモノはあるとネレイドは学んでいた。
先祖たちから沢山教えて貰っていた。
その人の気持ちが本物であるのなら、それでいいのだと。
たとえ間違いだったとしても――悪くない。
「さて、それじゃ行こうかな」
いい加減、聞こえてくる演説に我慢ができなくなっていた。
馬鹿の一つ覚えにレイピストの罪を並べ立て――いもしない神の名前を持ち出しては、自分たちが選ばれた者のように振舞う様は滑稽でしかない。
「作法がわかんないから、付いてきて貰っていい?」
「――はい」
一人がハンドベルを手に先導して、もう一人が法衣の裾が奇麗に見えるよう調整しながら進んでいく。
――リンっ、と澄んだベルの音に引かれて、演説が止む。
大勢の視線が集まり、聖堂内がざわめきに満ち溢れる中、ネレイドは胸を張って歩く。
祭壇の前には白い祭服を着たエリスがいて、淡い紫の瞳には涙が溜まっていた。
ヴェールの上には小さな竜が姿を見せ、
「おかえり。可憐なる赤髪のネレイドよ」
奇麗な声で出迎えてくれた。
その卓抜とした美声は聖堂内にこだまして、大勢の人の言葉を奪う。
「髪、伸びたね」
ネレイドが褒めるように言い、
「第一声がそれ?」
エリスは泣き笑いの表情で返した。
そうして、静謐な空間を少女たちのあどけない声が満たす。
「じゃぁ、ただいま。エリス」
「おかえりなさい、ネレイド」
年相応に空気が読めず、自由気ままなお喋り。
エリスが乗ってくれたのは、やろうとしていることを察してくれたからだろう。
「――ネレイドっ!」
懐かしい呼び声。
顔を向けると、思い出より大人びた幼馴染の顔があった。
「ピエール」
生きていて良かったと、心の底から思う。
ネレイドは久闊を詫びる為にも、邪魔な男たちの群れへと向き合う。
教会の祭服を着た男たちは、既に威勢を失っていた。
今日まで物言わぬ少女で、生気の感じられない顔だったから気づかなかったが――その容貌は神懸って見えた。
かような少女に真っ向から睨みつけられ、男たちは情けなくも後ずさりする。
「そのまま、どいてくれる?」
仮にも、神に時代の勇者と称されただけあって、緑の瞳には有無を言わせぬ苛烈さがあった。
「それとも、私に何か言いたいことがあるの?」
神々しい容姿に並々ならぬ覇気。
それでいて少女らしい物言いで尋ねられ、男たちの頭は混乱していた。
「そう言えば、自己紹介がまだ、だったね。私は四代目レイピスト。まだ十六歳の女のコなんだけどさ。そんな子供に、立派な大人たちがいったいなんの用?」
言葉の端々にあんたなんか嫌いという感情を乗せて、ネレイドは吐き捨てる。
それは女なら誰しもできる喋り方だった。
「……四代目レイピスト、鬼畜の末裔。おまえは死ぬべきだ!」
ゆえに覚えのある男もいて、言い返してきた。
「おまえの所為で多くの人が死んだのだぞ!」
ネレイドは小生意気に鼻を鳴らし、
「ねぇ、語尾に『やーいやーい』って付けてくれない? そしたら、笑えると思うから」
初代に教わった挑発よりも、更にどぎつい煽りをした。
「――馬鹿にするなっ!」
年齢は四十を超えているだろうに、男は被っていた帽子を床に叩きつけて、怒りを露わにする。
しかし、周囲は違った。
最初の熱気はハンドベルでかき消され、竜の声で沈黙。
そして、それを破ったのは少女たちの話し声。
ネレイドはその流れのまま場を支配していたので、大人たちはやけに冷静だった。
特に緑の瞳で射抜かれなかった者たちには、子供と大人の言い争いにしか聞こえなくなっている。
「じゃぁ、本気にしていいの?」
声だけは無邪気だが、瞳は違う。
「先に言っておくけど、神様は私たちが殺したから」
小さく、男だけに聞こえるようネレイドは告げ――彼らが神剣と崇めるレヴァ・ワンを出現させた。
初めて見る黒の色彩と巨大な剣に、周囲は息を呑み込む。
その緊張感は波紋のように伝わり、またしても静けさが周囲を包み込む。
「ありゃ?」
しかし、久しぶりだからかネレイドの手にはしっくりこなかった。
ただ、振り回す事態にはならないと思うので、気にせず切先を天に掲げる。
「私はあなたたちの――ううん、誰の許しもいらない。レイピスト様たちだって、誰かに許して貰いたいなんてこれっぽっちも思っていない」
勇ましい、ネレイドの声が大聖堂を網羅する。
「でもね、あの人たちは見捨てなかった。傷つき、虐げられている沢山の人たちを助けてくれた。それは懺悔でも罪滅ぼしでもない。ただ、悪を見逃せなかっただけ」
そう彼らは紛うことなき英雄で、
「それでも、許せない人がいるのもわかる」
どうしようもない鬼畜だった。
「けど、それは勝手に嫌えばいいと思う」
でもね、と少女は子供みたいに繰り返す。
「たとえ、どれだけ責められても私は死んでやらないし、また困った事態になれば助けてあげる」
年下の少女に上から言われ、男たちは絶句する。
「それで納得できないっていうなら、あとはもう戦うしかないかも。悪いけど、私は先祖たちの名誉の為にも絶対に負けてやらないから、覚悟してかかってきてね!」
あの先祖たちに鍛えられただけあって、ネレイドの面の皮は厚くなっていた。
端から話し合う気などなく――
自分の要望とスタンスを一方的に告げて、
「それじゃぁ、ばいばい」
逃げる腹積もりであった。
大剣が翼となり、誰もが道を開ける。
ネレイドは悠然と進み、ピエールの手を取って外へと飛び出した。
最後に振りかえって見ると、エリスが小さく手を振っていた。
「……おまえ、なんかレイピスト様みたいだったぞ」
空中でピエールがぼやく。
「そーう?」
「……なんで、嬉しそうなんだよ」
「色々あったからねー」
「そうか」
幼馴染はやはり幼馴染だった。
久しぶりだからといって、何かが変わるわけではない。
「――と、ごめん」
魔力の鳴動を感じ取って、ネレイドは速度をあげる。
ピエールを一旦地上に下ろして、自分はしつこく飛んでくる魔力の矢の元へ。
「ちょっと、なんの用?」
そして、懐かしい狩人に文句を付ける。
「知らないだろうから言っとくけど、私はあんたの護衛をしてたの」
ヘーネルは大木の上にいた。
「えっ? なんで?」
「竜オンナに脅されたからよ」
「エリスが?」
「そう。あとはまぁ、同じ先祖を持つよしみってやつね……」
そう言って、ヘーネルは笑う。
「戻ってきてくれて、素直に嬉しいもん」
自分が眠っている間に、何やら心境の変化があったようだ。
もはや、知っている狩人とは別人だった。
「ふーん。じゃぁ、一緒に行く?」
「行くってどこに?」
「色々。王都とか私の村とか、ルフィーアの街とか。あとほとぼりが冷めたら、もう一度ここに戻る」
「あんたね、私が何をしたか忘れたの?」
「何をして貰ったか忘れているから、言ってんだけどなー」
それに沢山の人に先祖や自分のしたことを見逃して貰うのだ。
自分だって見逃してやらないと、公平ではない気がする。
「あと少しだけね。レイピスト様を偲びたいの」
結局、初代の気配は感じられなかった。
こうしてレヴァ・ワンを扱えているのだから、消えたわけではないだろうが……何処にも見当たらない。
「そう言われたら、仕方ない」
同じ鬼畜の末裔は肩を竦めて、頷いてくれた。
「でも、いいの? 恋人と一緒でしょ?」
「あー。あれは幼馴染だから」
実際にそうなので、ネレイドは屈託なく答える。
「ねぇ、子供生む気ある?」
そして、脈絡のない質問を返した。
「は? いきなり何よ?」
「だって、どっちかが子供を生まないと、レイピスト様の血縁が途絶えちゃうじゃん」
「そんなの、あんたが生めばいいでしょ」
「えー、やだなぁ」
「自分が嫌だからって、私に押し付けんなっ」
二人は言い合いながら、歩き出す。
ヘーネルの姿を見て、ピエールは困惑するもネレイドは気づかなかった。
きっと、少年にとっては些か苦労を覚える旅路になることだろう。
ネレイドはまだ、自分が美しく成長している事実に気づいていない。
この二年間で戦士だった手も繊手へと変わり、身体つきも柔らかくなっている。
奇しくも、本人的には一切負担のない日々を過ごしていたおかげであろう。肌も白く、赤い髪も手入れが行き届いて艶やか。
今この瞬間、ネレイドは誰よりも美しかった。
だから、鏡を見ればキルケの言葉を思い出すはず。
そして、一番美しい時の自分を愛して貰いたい――と、望むようになるかもしれない。