第89話 展開、残すは三つ
文字数 5,108文字
その為、解放された翌日の昼には王国騎士団と神帝懲罰機関の人員が派遣され、レヴァ・ワンを訪ねて来た。
それに対応するのはサディールとエリス。
ネレイドは安静、ペドフィは念の為の護衛として傍に付く。
「運が良ければ、護衛付きの馬車で旧聖都まで行けるはずだ」
羽虫型の初代が言う。
「それは贅沢ですね」
これまでの旅を考慮するだけでなく、村娘の感性からしても破格の扱いであった。
「油断させて、ぶすりって可能性もあるけどな」
「でも、レイピスト様たちは油断しないですよね?」
当然と言わんばかりに、ペドフィが鼻を鳴らす。
二人は小さな円卓でお茶とお菓子を楽しんでいた。街の人々の有志たちがお礼として、手作りのお菓子やお酒などを届けてくれたのだ。
その際に、ネレイドは図々しく服も頼んだ。
破れたのはもちろん、大勢の教会関係者に会う可能性があると思うと、さすがに着てはいられない。
それにもう、祭服を着る利点もなかった。
そういうわけで、ネレイドは久しぶりにお着がえ。
白い掛け衣型の上衣に紫色のケープ。赤いスカートは上衣の裾を隠すよう履かれており、間には大きなリボン。時折り、身体の動きの合わせて可愛らしく揺れている。
「しかし、女ってのは化けるよな」
初代が飛んで来たので、
「もう、頭の上は駄目ですからね」
ネレイドは身構える。
たいはんをヴェールで隠していた赤い髪もさらけ出し、緩くて大きい三つ編みに。先端まで巻かず、少し残して前に流してあるので幼くは見えないはず。
「わかってるって。二人が黒いから、嬢ちゃんはこんくらい華やかなほうがいいな」
サディールとペドフィは黒衣。前者は教会の祭服に似ていて、後者は先ほど見かけた王国騎士団の装束にそっくりだった。
「そういえば、下は女性なんですっけ?」
その件で昨夜、エリスが騒いでいたことを思い出して、ネレイドは小さく笑う。
男と同室は嫌、ついてないからいいじゃないですか――と、サディールと下らない押問答をしていたのだ。
「こいつの場合、女であって女じゃなかった。色々と改造していたからな」
ペドフィの言う通り、記憶にあるリビは男に見えていた。
「どっちにしろ、おれにオシャレを楽しむ気はない。それにこの顔で女の身体だと、気持ち悪いだろ?」
「まぁ……そうですね」
実際、背が同じというだけでも、違和感があった。
「せっかくなんだ、女としての喜びも楽しめばいいのに」
初代が悪戯っぽく言い、
「ふざけるな。誰が男に抱かれたいと思うか」
ペドフィは本気で嫌だと返す。
「なら、サディールに疑似男根を借りて一人で楽しめばいい」
「……はぁ」
ペドフィは大きく溜息を吐いてから、
「結局、そういった気持ちは子孫を残したいと思う本能に基づいたものだろう? 既に死んでいるおれには無縁の代物さ」
反論の余地を残さない否定を口にした。
「そうなんですか?」
それがネレイドの好奇心を引き、ペドフィは言葉に詰まる。
「……たぶん、な」
「うーん。私って子供を作りたいって思ってないのかな? そういう気持ちになったことないんだけど……」
だからこそ、男の前でそんな台詞が吐けるのだろう。
もっとも、今となっては先祖たちがそう認識されていない可能性もあるが。
「そういうのはもうちっと、成長してからの話だ。嬢ちゃんはまだ子供を産めるってだけで、産むのに適しているわけじゃない」
初代は一応、慰めておく。
「もしくは、魅力的な男に出会っていないかだ」
「あー……それはあるかもしれませんね」
冗談に流され、ネレイドは笑う。
「ピエール、元気にしているかな……」
「そこで思い出してやんな。可哀そうじゃねぇか」
「そうかな?」
私が帰って来れるように頑張ると言っていたけど、ネレイド自身は既に諦めてしまっている。
あの女魔族を殺したくないと思い、かろうじて踏み留まることはできたものの、それだけだ。
鬼畜ではないかもしれないけど、人間でもない。
もはや平和な日々よりも、血肉と死体のほうが容易く思い出せてしまう。
だから、周囲がどう思うとかではなく自分が嫌だった。たとえ周りが受け入れたとしても、私自身がきっと拒む。
普通の人とはいたくない。
いや、いられないのだと。
もし人の世で暮らすとして、我慢できそうなのはルフィーアくらい。
ああいう仕事をしたいとは思えないけど、用心棒として雇って貰えたら悪くないぁ――とネレイドは思った。
話し合いは長く、夕方になってもサディールたちは姿を見せなかった。
なので仕方なく、ネレイドとペドフィで夕食の支度をして、その準備が整った頃――二人はやっと帰ってきた。
「えーと、大丈夫?」
サディールはいつも通りだが、エリスの表情は酷かった。竜の器にする際、追いつめた時のようである。
「食べながら、説明します。疲れましたよ、本当に」
異論はないようで、全員が席に着く(初代と竜はテーブルの上)。
「とりあえず、私たちが無益な人殺しをする必要はなくなりました。神帝懲罰機関も王国騎士団も、私たちの味方をすると約束してくれましたので」
言い切るなり、サディールはパンを頬張り、酒で流し込む。
「逆じゃねぇのか? あいつらが、オレたちに救援を求めたんだろ?」
初代と二代目は相変わらず、こういう時、通じ合えるようである。
「ご明察です。実は、旧聖都カギと王都ヴァンマリスが
「住んでいた民たちは?」
「王都の民は追い出されたようですが、旧聖都のほうは不明です」
「今の時代でも、そいつらは選民意識を持ってんのか?」
「えぇ、存分に。おかげで面倒な騒動が多く、無駄に人手を取られているとのこと」
「そんな奴らは
質疑応答の応酬。
二人は休憩とばかりに肉に噛り付き、酒を呷る。
「旧聖都カギに残ってんのは水鏡の観測者として、王都は?」
「王と王子の二人。王妃と二人の王女は無事で、王国騎士団が保護しているそうです」
「つまり、正気で狂ってるってことか」
「自分たちの民を受け入れて貰う為に、
サディールは恐ろしい、推測を口にする。
「で、エリスの落ち込みようはなんだ?」
「マテリアさんの消息が不明なんです」
「いつから?」
「昨夜、アレサを解放した夜からです。神帝懲罰機関の誰も連絡が取れないと」
「なびいたか、排除されたか、捕らえられたか」
「捕らえられた、と私は思っています。相手はかなりの策略家。
「考えられるのは戦力の分断か」
嫌そうに初代は言う。
「気に食わねぇな。あの魔族たちが、オレたちに奪われるのも見越してたってか?」
「本気でレヴァ・ワンを倒すつもりなのでしょう。だから、裏の裏の裏まで考えている」
真面目な話過ぎて、ネレイドにはついていけなかった。
それでも気になったことがあったので、
「
隙を見て口を挟む。
「王様と王子様だけじゃ、無理ですよね?」
「結界があるんだよ。あそこはオレがいた時代――いや、もっと昔から聖域だった。だからこそ、王家と教会には求心力があったんだが――」
初代が説明する。ゆえに移転はおろか増築すら叶わず、時代と共に人々が離れていったのだろうと。
「結界の発動は王家の人間にしかできない。聖都カギのほうは知らないが、どうせ似たようなもんだろ」
「えぇ、その方法は水鏡の観測者しか知りません」
王家にいた初代、教会にいた二代目が互いに情報を補う。
「ですが、レヴァ・ワンの前では無力です」
「じゃぁ、何の為の結界なんですか? 私たちと戦うなら、人質はいたほうがいいのに?」
ネレイドには理解できなかった。
「王としての矜持だろう。王には民を守る責務がある」
初代は答え、サディールを見る。
「残念ながら、教会にはそういう理由はないですね。信仰の為の犠牲は歓迎されますので、
「酷い……」
ネレイドは非難し、エリスの落ち込みようを理解する。
自分が育った街の人々が生贄にされたのだ。それも偽りの信仰に基づいて、たった一人の身勝手の為に――
「もっとも、神帝懲罰機関の多くは無事です。彼女たちは神の剣として、城塞都市サンドラに集結していましたので」
王国騎士団も同様。
結果、暴動にまでは発展せず、混乱に留まっていた。
「その彼らの要望は結界の破壊。厄介にも、本人たちは戦う気でいます」
「正直、邪魔だな。何人たりとも寄せ付けない結界なんて、人間の限界を超えている。ありゃ魔の存在がいるぜ」
「結界を壊したら、魔獣なり魔人なり悪魔がでてきそうですね」
そうなったら、犠牲は避けられない。少数精鋭――自分たちだけでいくのが、一番賢い選択であった。
「王都、旧聖都、
黙って聞いていたペドフィが肩を竦める。
「乗ってやる気はありませんけどね。そもそも、レヴァ・ワンとどれだけ離れられるかもわかりませんし、無謀な真似は御免です」
そういう意味では、敵もレヴァ・ワンのことを把握しきっているとは言えなかった。
更には、竜の存在にも気づいていない。
水鏡の観測者――ナターシャが神算の持ち主なのは否定できないが、全知でないのも確かである。
「なら、王都と旧聖都と同時か。一つずつ、片付けるか?」
「私としては一つずつ行きたいのですが……」
訊くまでもなく初代は王都、エリスは旧聖都を優先したいと思っている。
そうなると、必然的にネレイドも王都。おそらく、ペドフィもそちらに同行するだろう。
「王都からでいい」
唐突にエリスが漏らした。
内容からして話は聞いており、思考を張り巡らせていたようだ。
「いいんですか?」
「そもそも、残滓の力で結界を壊せるかどうかもわからないのでは? それに旧聖都では、多くの生贄が捧げられた。そのことを考慮すると、レヴァ・ワンの本体は絶対に必要なはず」
表情とは裏腹に、エリスは淡々としていた。
「今更ながら、あなたの凄さを思い知りました」
「えっ? ……えっ?」
いきなり硬い口調で褒められても、ネレイドにはわけがわからない。それもエリスに同情し、気の利いた言葉を探していたから猶更だ。
「初めて会った時、あなたは母親を殺された恨みを口にしながら――激情を確かに抱いていたのに、先生に向かって微笑を返していました。わたしには……とてもできそうにない」
無理に笑おうとしてか、エリスの顔が痛ましく歪む。
「あれは別に……」
あの時は二日酔いで気分が悪かっただけだと思い出し、ネレイドはしどろもどろになる。
「今でも、どうして? と問わずにはいられない。神に、あの人に――どうして? と。子供みたいな疑問しか思い浮かばない」
震える手を握りしめ――それでもなお、振るえる手を握りしめながら、エリスは静かに涙を流す。
「わたしは神の剣なのに……。そんなこと考える必要ないのに。ただ、悪を断ち切る為だけに存在しているはずなのに……どうして? って……」
声をかける様子を見せた先祖たちを視線で制してから、ネレイドは立ち上がる。
今のエリスに必要なのは現実的な言葉なんかじゃないと、その頭をそっと抱きしめてあげる。
「ごめん。エリスが私に見えた。自分を責める姿が、昔の私に見えたから――」
こちらの言いたいことが伝わったのか、
「……なら、仕方ない、ですね」
エリスは身体を預けてくれた。
――そう、それでいいとネレイドは思う。
そんな状況の中でも竜と先祖たちは食事を続けていたが、
「……」
「……」
「……」
「……」
全員、 黙っていたので良しとすることにした。