第59話 当然の報い
文字数 3,298文字
見張り台などの抜きんでた建造物は全部、壊されていた。
「それでは、そろそろ行きますか」
サディールが雨を止めてやると、幾つかの建物から様子を窺う顔が見える。
「ご覧の通りですので、敵を殺してください。この状況であれば、弓など怖くありませんよね?」
高さはほぼ同じ。
それでいて、相手は狭い室内の窓からしか狙えない。
「人質がいたらどうする? 建物の内部からは移動できるのだろう?」
エリスが訊く。こちらは上階からしか侵入できなかった。
「奴隷というのは
性奴隷は除くが、この状況であれば心配はいらないだろう。
黒い雨が降り出した時点で緊急事態。寝ていた者ですら、叩き起こされ配置につかされていたはず。
「見張りくらいはいるのでは?」
「いたとしても少数ですので、街の人たちで対処できます。それに見たところ、見張りはいませんでした。おそらく、逃げて貰っても構わなかったのでしょう」
「どういう意味だ?」
「敵は弓を主力にして、上層階に散らされていました。これでは逃げたところで、狩りの得物にされるだけです」
つまり、逃亡者は退屈しのぎになるので歓迎されていたということ。
「そして、普通の人々は弓で狙われるとわかっていたら動けません。仕事ぶりに関しては、遅れがあった場合に誰かを殺すなり痛めつけるだけで事足りますし」
また、死に追いやるほど働かせる必要がない限り、奴隷は放っておくに越したことはない。
見張りが退屈であればあるほど、兵の堕落が加速するからだ。
彼らは必ずといっていいほど、遊びだす。奴隷たちを無意味に傷つけ、無駄に消費し、次第に自分たちの責務すら忘れてしまう。
「質問は以上ですか?」
先生みたいな物言いに腹を立てながらも、エリスは頷いた。
「――
サディールの呪文と共に、足が闇で覆われる。さながらネレイドのレヴァ・ワンであるが、彼女と違って闇は足首で留まっていた。
「ちなみに、頭から落ちた場合はどうしようもありませんので注意してください」
そう言って、サディールは水面に着地した。
恐る恐る、エリスも続く。
それを見て勘違いしたのか、敵の一人が真似をして――沈んでいった。
「見事に混乱していますね」
その様子を見て、サディールは笑顔を浮かべる。エリスからすれば、敵の混乱は当然のことだったので、なんとも言えない。
「それでは、速やかに殺してあげましょう」
行動を共にする気はないのか、サディールは一人で走っていった。
仕方なく、エリスは彼とは別の方向へと進む。
水面を歩けるのはいいが、水音が酷いのが難点だった。
これでは隠密に近づくことはかなわない。
案の定、馬鹿みたいに弦音が響く。水没を免れた窓という窓から、矢が放たれた。
それでも、防ぐのは容易かった。
「――
四方に盾を展開すれば、それだけで充分。
また、窓に向かって雷撃の一つでも放ってやれば簡単に無力化できる。幸いにも、雷に関しては言葉を必要としない。
意思と手の振りだけで放てるので、目に付いた窓に叩き込んでおく。
問題は建物に侵入する際。
窓が小さく、中が広いのはどうしようもなかった。
かといって、外から攻撃していては時間が勿体ない。誘われているとわかっていても、中から仕留めるに限る。
エリスは魔力を球状にして室内へと飛ばし、
「――
光に転換させる。
そうして眩い光の中、躊躇いもなく侵入し、短剣を抜く。
それを床に突き立て、
「――
自分を起点に雷が駆け巡る。床から壁へ、壁から天井へ。室内にいた者たちの動きを奪うのに、十秒とかからなかった。
あとは簡単、短剣で首を裂くだけ。
だが、今回は沢山の矢が手近にあったので、それを使うことにした。
エリスは淡々と、矢尻を男たちの喉に打ち込んでいく。何人かは意識を失っておらず、許しを請うも気にせずに。
以前指摘された通り、人間を殺すのは得意であった。
そう、自分たちが魔族と呼んでいた者たちはどう見ても人間だった。
それはサディールとマテリアの話から、わかっていたこと。平然と大選別を受けていたのだから、見た目は人間に決まっている。
それでも、教会はこの人たちを魔族と呼ぶ。
人間が人間を殺し、虐げ、支配していたなんて迷惑以外の何物でもないからだ。
教会の経典において人は平等である。たとえ罪人であっても許される資格はあり、死者となればそれが当然の権利となる。
しかし、それを受け入れられない人もいる。今回の件――彼らの行いに関しては特にそうであろう。
そうなると、今までと違って許せない人間が少数派ではなくなり――それでは困るというのが、教会側の総意であった。
また、彼らが魔族でなければ、神の剣である神帝懲罰機関も容易くは動かせない。
そして、自分たちはただの殺人者――罪びとになってしまう。
「いい加減か……」
ネレイドに言われた言葉を思い出すも、エリスに止める気はなかった。
今はとにかく、街を支配して人々を苦しめる者たちを殺したかった。たとえ、それがただの人間であろうとも――
エリスが奮戦する一方、サディールは真っ先に敵の主戦力を壊滅させていた。
それは彼らがいる建物の一階に空間転移して、火を起こすだけで簡単に成し遂げられた。
「外に逃げて溺れ死ぬか、ここで煙に巻かれて窒息死するか」
淡々と、サディールは彼らの運命を予言する。魔力の炎は建物へと燃え広がることはなく、室内にあるものだけを燃やし、煙を立てていた。
「この鬼畜が……」
指揮官らしき男が吐き捨てる。
外に水は沢山あるのに、火を消せないという絶望。戦う為の拠点であるゆえに、大量の水を汲めるような容器はここにはなかった。
そもそも、あったとしてもこの水で火を消せたかどうかも定かではない。
実際、帽子や兜を使って、窓からせっせと運んだものの、消すことはかなわなかったのだ。
結果、煙に巻かれて大半の兵が倒れた。
最上階に全員を収容することはできなかったので、何人かを見捨てる羽目になった。黒い水は泳ぐことを許さず、飛び込んだ兵たちは皆、沈んでいった。
そうして諦めかけた頃になって、サディールは窓の外に姿を見せたのだった。
なのに、もう武器も残っていない。
あれほど用意した矢も使わないまま捨ててしまっていた。
「おやおや? もしかして、戦いの中で死ねるとでも思っていたのですか?」
相手の気持ちを察してなお、サディールは嘲笑う。
「それにしても、実に良く考えていました。兵を小分けにして、迷路のような街に潜ませるなんて。本気で、私たちと戦う気でいたんですね」
「それをわかっていて……ここまで手の込んだことをしたのか?」
指揮官の男が責めるように漏らす。
「まさか。ただ、あなたたちに望んだ死に方をさせたくなかったってのはありますね」
サディールからしてみれば、死を覚悟していたのが気に食わない。
「だって、そうでしょう? 自分たちのしたことを考えてみてください。罪のない人たちを殺して、傷つけて、苦しめて。散々楽しんだ挙句、死にたいように死ぬつもりだったなんて――反吐がでます」
なのに、この男たちは死ぬことを当然の報いのように考えていたのだ。
「ですので、ここからは私の都合に付き合って貰います。もう勘弁して欲しいと言いたくなるまでね。それこそが、当然の報いというモノではありませんか?」