第110話 時に鎖されたモノたち
文字数 3,690文字
ネレイドが泣いていたから、エリスは気まずそうに声をかけた。
「……うん、大丈夫」
当の本人は淡々と返して、涙を振るう。
「あれは、どうしてあなたに似た姿を?」
その態度から、エリスは心配いらないと判断して質問した。どうやら、悲しみや辛さから泣いていたわけではない様子。
「魔を統べる神様だって。良かったね、エリス。アレが――神様だよ」
口元だけを歪ませた笑みを浮かべ、ネレイドは吐き捨てた。腹立たしいことがあったのか、あからさまに煽る物言いだった。
「あれが……」
今は気安く触れないほうがいいと、エリスは竜と神に目を向ける。
「何故、生きているヴァンダール」
小さき竜が問いただす。
「神は壊れはするものの、死にはせぬ。レヴァ・ワン以外ではな」
人間みたいに肩を竦めて、神は答えた。赤い髪に緑の瞳。
まさしく、ネレイドの双子の兄といった容貌である。
「我が知る限り、神の傷は治らないはず。なのに何故、お主は生きている?」
あり得ないと言わんばかりに、竜は繰り返した。
「いかにも。神の傷は治らない。だが、塞ぐことはできる。ゆえに、今のワタシがおまえの知っているヴァンダールと同じかと問われたら、答えに困るな」
人間のように髪を手で梳かしながら、ヴァンダールは語る。
「ワタシの力の源は捧げられる信仰。魔に属するすべてのモノたちの精神だ」
「人間の祈りだけで、そこまで復活できるものか」
「アイズ・ラズペクト。おまえは湖に鎖されていたから知らぬようだな。その点は少女の翼が上手くやってくれた」
「やはり、あやつも生きていたか」
「無論。そして、人間たちの世界にワタシを祈る仕掛けを施してくれたのだよ」
竜はエリスを振り返り、納得した。
「さすがは元天使といったところ。人間を誑かすとなると、ワタシたちよりも遥かにお上手だ」
「そのようだな」
「それでも、おまえの言い分は正しい。幾星霜の祈りを捧げられてなお、ワタシは不完全な状態だった。現に悪魔や魔獣、魔人如きに苦戦を強いられたのだからな」
「なるほど。同胞を喰らって、やっと……か」
「あぁ、そう言う意味では、おまえがその姿で助かった」
「我も喰らう気か?」
嫌悪感を滲ませて、竜が問う。
「それはネレイド次第だな」
「……どういう意味だ?」
「ワタシは壊れたままということ。おまえとて、今更与えられた宿命を果たす気などなかろう?」
「では、何故この街を滅ぼした?」
「確認だ。ワタシがワタシであることの」
「それで、お主は何者なのだヴァンダール」
神はネレイドの顔で笑う。
両頬を釣り上げて、
「――審判者」
不敵な態度で答えた。
「この世界が滅びるべきかどうかを、定めしモノといったところだ」
「正気か?」
「わからぬ。だから、止めたければ止めてくれていいぞ。ワタシは間違っているかもしれぬからな。現にレヴァ・ワンを前にしてなお、戦意を喪失しない。以前のワタシであれば信じられないことだ」
「……」
竜は言葉を引っ込めた。
もう話すべきことはないと判断してか、エリスの中に戻る。
「エリスはサディール様たちと合流して」
躊躇いを隠せないエリスとは裏腹に、ネレイドは決めていた。
「その後は、こんな奴なんか無視して大聖堂へ行っていいから」
「……本気ですか?」
「本気。悔しいけど、レヴァ・ワン以外じゃ勝負にならない。ううん、今のままじゃ足りないみたいなの」
「……足りない?」
「うん。だから、無視していいよ。エリスの目的は水鏡の観測者でしょ?」
「あなた……死ぬ気?」
思ってもいなかった言葉を浴びせられ、ネレイドは小さく笑う。
「まさか。神様なんかに、殺されてたまるもんか」
そして少女には不釣り合いな、凄愴とした顔で吐き捨てた。
「……」
ここにきて、エリスは完全に言葉を失う。
年下の見知った相手なのに、呼びかけることすらできずに道を譲る。
「それじゃ、お願いね」
どいてくれたのを肯定と判断してか、ネレイドは剣を肩に乗せるように構える。
エリスは自分の精神状態と現状から、素直にサディールたちの元へと急ぐことに決めた。
「もう、良いのか?」
律儀に神は待っていてくれた。
ただ、残念そうに竜の翼を見送っている。
「汝の肩には世界がかかっている。そのことを
「そんなこと、勝手に決めないで。世界を壊したくないなら、あなたが止めればいいだけじゃん」
「壊したくないわけではない。壊すべきではないのかもしれない、と思っているだけだ。ゆえに、止める者がいなければワタシは壊す。そして、汝が立ち塞がる限りは壊しはしない」
「――だからっ! 私に押し付けるな!」
ネレイドは剣を振り払う。
慣れ親しんだ感覚があるからか、空中よりはまともに戦えそうだった。
先ほどと違って、剣と剣がぶつかり合っても一瞬で負けを認めるほどの差は感じられない。
ネレイドは一度膝を落として、相手の力を流す。
そのまま刀身の根本と鍔で神の武器を押さえ込みながら、左足で蹴りを放つ。
まったくもって予想していなかったのか、黒い足は見事に神の顔面を捉えた。
しかし、剣に込められている力は微塵も緩まず、追撃とまではいかない。
逆に片足を振り上げたぶん、ネレイドの力が緩んでいた。
その隙を見逃さず、神は剣を引いてからなぎ払う。
ネレイドは持ち手を上げて刀身の根元で防ぐも、腕の力だけでは止められそうになかった。
だから、はしたなくも足を使う。蹴りと違い、裾が翻るのは一瞬で済まないものの今は仕方がない。
両手と左足を駆使して、どうにか持ち応える。
「――りゃぁっ!」
そして、神から更なる力が加えられる瞬間に合わせて、大きく後ろへと跳んだ。
「随分と品のない戦士だ」
「……だって、戦士じゃないもん」
自分と同じ顔の所為か、どうにも無視できなかった。
「それは、まことであるか?」
「悪い? 私はただの村娘。たまたま、レヴァ・ワンに選ばれただけのね」
「……そうか。そういうことか。足りなかったのは眷属を創ったからではなく――汝もまた眷属に過ぎぬのだな」
神は一人で納得して、一人で笑った。
「ふっふふ……出てこい、本物の
さすがに逃げ切れないと悟ってか、大剣を象っていた初代が人型になった。
「人間の戦士よ、汝の名は?」
「レイピスト」
「そうか、汝こそが
「知るか。オレはただの亡霊だ」
武器を無くす羽目となったネレイドは手持無沙汰で佇み、話を聞いていた。
なにやら、初代は機嫌が悪い。思い返してみても、ずっと黙っていた気がする。
「ゆえに己を捨てる者、自らを消し去る者というわけか」
「神といえど、全知全能というわけじゃねぇんだな」
「左様。それで汝は何故、宿命を果たさない? レヴァ・ワンに選ばれたのは汝であろう?」
「あぁ、拾ったのはオレだ」
「なら、望めば永遠の命も叶うはず。何故、それを望まぬ?」
心底くだらないと、初代は溜息を吐く。
「神までも、それか」
「それこそ、人の望みではなかったか?」
数えきれないほど、人間の祈りを捧げられた神が言う。
「そうだな、それを望んだ時も確かにある。けど、もうすべてが手遅れなんだ。今更、一人で永遠を生きるなんてごめんだ」
「時に
「これでも、人間なんでね。オレは仲間や家族が喜んでくれたら、それだけで充分だったんだ」
神に向かって、初代は訴える。
「ともてじゃないが、他人を消費してまで生きてはいけない」
もう、本当の意味で仲間や家族は作れはしないだろう。
かといって、自分を慰める為だけに誰かの気持ちを弄ぶ気にもなれやしない。
結局、自分を嫌いになった時点でその価値はおしまいなのだ。
「あんただってそうじゃないのか?
「……かもしれぬ」
意外にも、神は頷いた。
「だが、ワタシとて今更どうしようもない」
「わかるぜ、その気持ち」
そんなのわかるな! と文句を言いたくなるのをネレイドはぐっと堪える。
「レヴァ・ワンを創った、神々の記憶を見たからな」
「……」
「すべての神々の母ですら、争いを止めさせるのを諦めた。それでレヴァ・ワンなんていう、馬鹿げた代物を創りやがったんだ」
だから、どうしようもないと初代は同情を示す。
「人間が永遠を生きられないように、あんたらは争いを止められない」
「そして、その理を崩せるのは
ネレイドはげんなりする。
せっかく上手く収まりそうな雰囲気だったのに、結局は振り出しに戻ってしまった。